第152話 廃れた街
カーブルストンに着いた私は、門兵の居ない入り口を通り、街の中央を走る大通りに沿って歩いた。
照り付ける日差しと地面からの照り返しは、街の中に入っても代り映えしない。
汗でしっとりと濡れてしまった髪の毛をかき上げながら、私は周囲から注がれる視線を見返した。
路地裏や建物の小さな窓など、様々な場所から私を見る視線には、どこか鋭い棘が含まれているように感じる。
「なんか、嫌な視線ね」
『きっと、背中に翼を持った人間を見慣れていないのであろう』
「そうかしら」
多くの視線が背中の翼というより、私自身に注がれているように感じていた私は、クレモンの言葉に疑問を抱いた。
僅かな緊張感を胸に、通りを進んだ私は街で一番大きいと思われる建物に到着する。
レンガ造りのその建物は、遠目から見ると立派な風貌をしていたのだが、近づいてみると細かいところに目が行ってしまう。
一階正面の窓が割れたままになっていたり、壁のいたるところが欠けてしまっていたり。
長い間修繕を施されていない様子のこの施設は、一応、このカーブルストンの領主の館だったはずだ。
しかし、今となってはもぬけの殻になっているらしい。
少なくとも、私が物心つく頃には、カーブルストンの領主は逃げ出してしまったらしいからだ。
「まぁ、これだけ暑ければ、逃げ出すわよね」
かつてここにいたであろう領主に対して、憐みの言葉を呟いた私は、それ以上何も告げることなく館の中へと足を踏み入れた。
途端、私はそこを天国かと錯覚する。
「はぁ~……涼しい。日陰に入るだけで、こんなにかわるの?」
『アンナ、そういうわけでは無いみたいですぞ』
頭の中で響くクレモンの言葉に従って、天井に目を向けた私は、不自然に埋め込まれた状態の魔法具を見つけた。
「あれは、冷却用の魔法具? え? 誰もいないはずなのに、魔法具が機能してるってこと?」
『あるいは、別の理由か』
注意を促すようなクレモンに頷いて答えた私は、腰に差していた短剣を抜き取り、身構えながら歩を進めた。
薄暗い廊下を歩き、片っ端から部屋を調べて回るが、誰の気配も感じない。
しかし、私はこの屋敷に出入りしている者がいると確信していた。
見回った部屋の中に、寝床と思われる毛布や鍋などの生活臭が残されていたのだ。
「誰かがここで暮らしてたみたいね。でも、今はここに居ない? どこにいるの?」
何しろあの暑さだ。外に出て行ったとは考えにくい。
もし外に行ったというのなら、よほどの理由があるのだろう。
寝床のある部屋で侵入者が戻って来るのを待とうか、などと考えていた時、廊下の先から何やら物音が響いてくる。
ガッシャーンという物々しいその音はおそらく、さらか何かが落ちて割れたような音だ。
「まだ見回りできない方から……やっぱり誰かいるのかな」
『気をつけるのですぞ』
「わかってるって」
クレモンに軽く応えた私は、改めて短剣を構えると、部屋から出て音のした方へと歩き出した。
なるべく音を立てないように廊下を歩きたいのだが、身に着けている鎧が微かな音を立ててしまう。
そんな音に苛立ちを覚え始めた時、私は廊下の先に何かが姿を現したことに気が付く。
フワフワとした白い毛並みと、大きな耳、赤い目を持ったその小さな犬型の獣が、廊下に座って私をじっと見つめている。
その姿を見た私が、座ったままの獣に対して優しく声を掛けようとした瞬間。
犬型の獣の背後に、大柄な狼型の獣が姿を現した。
ゴワゴワとした灰色の毛並みと、巨大な耳、鈍い赤色の瞳を持ったその獣は、まぎれもない敵意を私に向けている。
「ちょ、なんでこんなところに……っ!?」
途中で言葉を切った私は、背後に大きく飛び退く。
直後、狼型の獣が私に目掛けて飛び掛かって来る。
廊下が埋まってしまうほど大柄な狼は、その凶悪な爪と牙を使って、私の首元を狙ってきた。
狭い廊下でこいつの攻撃を受けてしまったら、勝ち目がない。
そう感じた私は、咄嗟にクレモンとのリンクを解き、叫ぶ。
「クレモン! 援護!」
「分かった!」
すかさず飛んで来るクレモンの返事に頼もしさを覚えながら、私は横なぎに振るわれる獣の爪を、後ろに跳んで避けた。
しかし、そう何度も後退することはできない。
壁や床や天井に、獣の付けたと思われる爪痕を確認した私は、手にしていた短剣に氷魔法を宿す。
そうして、振り上げられた狼の左手を見た私は、体勢を低くして身構える。
直後、振り下ろされた狼の左手を、ナイフで受けつつ右に避けた私は、右にあった壁を蹴りつけながら叫んだ。
「今よ!」
途端、壁を蹴りつけた私の右足の裏に、小さな風の渦が発生する。
発生した風の渦は、直後、猛烈な衝撃を発生させながらはじけ飛んだ。
当然、衝撃によって私の身体は右の壁から左の壁に向かってはじき出される。
その勢いを利用した私は、爪の攻撃を受けていた短剣で狼の左手の甲を突きさし、そのまま、左の壁に縫い付ける。
「凍れ!」
左手を短剣で貫かれたことで、狼が今にも暴れ出してしまう前に、私は短剣に宿していた魔法を解放した。
すると、壁に縫い付けられていた狼の左手は、そのまま凍り付いてしまい、完全に引き剝がせない状態になってしまった。
短剣と氷によって完全に固定されてしまった左手を、何とか引きはがそうとする狼。
そんな狼を見上げた私は、腰に携えていた剣を抜きながら告げる。
「ごめんね。でも、先に襲ってきたのはあなただから」
抜いた剣の切っ先で狼に触れた私は、先ほどとは比べ物にならないほどの魔法を宿して、間髪入れずに解放する。
バリバリという音を立てて、空気が痺れる。
酷く冷たいそのしびれを肌で感じながら、私は目の前で凍り付いてしまった巨大な狼を眺めたのだった。