第151話 重なり合う偶然
1か月という時間は、考えるまでもなく長い時間だ。
秒数で考えれば、それこそ数える気が起きないほどの時間になる。
とりわけ、人の流れの多いカナルトスにとって、1か月という時間はありとあらゆる状況をひっくり返すのに十分な時間と言えるだろう。
店にやって来る旅人の顔ぶれや流行りの品々、宿で出る日替わり定食に至っては、レパートリーも2、3度切れてしまう頃だ。
そんな時間が流れてもなお、カナルトスには1つの噂が流れ続けていた。
1か月間、絶えることなく。
伝説の水龍、サーペントが河の底から姿を現した。
突如として現れたその化け物に、住人が恐れ慄かないわけがない。
街を遥かに凌ぐ大きさの化け物に見下ろされた日には、大人であろうと、失禁せざるをえないのだ。
そんな話題を挙げて、住人の一部はこう言った。
カナルトス史上、最も飛び交った話題だと。
しかし、そう言ったのはあくまでも、住人の一部だった。
裏を返せば、住人の大半は別の話題に持ちきりだったのだ。
バーバリウス商会に歯向かうセルパンキーパーズ?
サーペントと戦う、翼を持った魔法騎士?
否。
それらの話題も確かに囁かれたが、囁きにすぎなかった。
あの日、街で全てを見ていた人々が口々に語ったのは、小さな少年の話。
猫耳に、リスの尻尾を持った少年。
特徴的な姿の彼が、魔法騎士を引き連れてサーペントに向かって行ったかと思うと、魔法を駆使して、水龍を倒してしまった。
そんな話が出回り始めた当初、実際に目撃しなかった多くの住民が疑いを抱いた。
子供にそんなことができるわけがない。
そんなバカげた話がある訳がないだろう。
きっと、魔法騎士がサーペントを倒してしまったのだ。
疑いが疑いを呼び、噂が人知れず消えてしまいそうになった時、別の噂が囁かれ始める。
その少年は『ゼネヒットの怪人』という、謎の人物と瓜二つではないだろうか。と。
特徴的な出で立ちに、街の衛兵を悉く躱し続ける少年の逸話を聞いた住民達は、新たな疑念を抱く。
もしかして、本当に存在するのか? と。
重なり合う偶然は、もはや真実なのではないだろうか。と。
そうして、カナルトスで生まれた疑念が、この1か月を経て、エレハイム王国中に広がって行った。
あるいは、多くの国民は、その疑念を小さな希望として捉えたかったのかもしれない。
それを証明するように、反ハウンズを掲げる組織が爆発的に急増する。
この事態を重く受け取ったのだろう、エレハイム国王は国中に対して宣言を出した。
曰く、『ゼネヒットの怪人』などと言う無法者は存在しない。
曰く、無用な混乱を広げるものを厳罰に処す。
1か月間、絶えることのなかった噂は、その宣言を期にパタリと鳴りやんでしまった。
しかし、国民の大半は心の奥深くで理解したのだろう。
『ゼネヒットの怪人』は確実に存在する。
かく言う私も、それを理解した人間の一人だ。
「ようやく辿り着いたであるな」
「ホント遠すぎ。はぁ……なんでこうなっちゃったんだろう」
近くの岩の上で遠く前方を見つめるクレモンに、私は愚痴を零した。
特に何も返事をしてくれないクレモンを睨みながら、腰の水筒に手を伸ばした私は、乾ききった喉を温い水で潤す。
「……ふぅ。ねぇクレモン、カーブルストンの街には冷たい水ってあるかな?」
「はてさて、アンナの望むものが必ず見つかるとは、正直思えないですぞ」
「そこはさぁ、嘘でもきっと見つかるって言ってよ。行く気失せちゃうじゃん」
「きっと見付かるヨ」
「もっと心を込めて! いや、もういいや。それにしても、どうしてこの辺はこんなに暑いの? ホント、鎧なんて着てこなきゃよかった」
そう言った私は、近くにあった岩に背中を預け、天を仰いだ。
ジリジリと肌を焼くような日光を、遮るものは何一つない。
そんな日照りのせいで、カラッカラに干からびてしまった地面には、サラサラとした砂が敷き詰められている。
今私が居るのは、エレハイム王国の北の辺境。
カーブルストンという砂漠の街近辺だ。
なぜ私がこんな辺境の街にいるのか。
簡単に言えば『ゼネヒットの怪人』のせいだ。
「関わるんじゃなかったなぁ……」
「ウィーニッシュとであるか? しかし、あの状況では仕方なかったのでは?」
「そうなんだけどさぁ。あぁ~! もう、なんかイラついてきた! 暑すぎるのよ!」
頭皮からあふれ出る汗が、額や首筋へと降りてゆき、私の不快指数を上昇させる。
そんな汗も、空から照り付ける日光と地面から照り返してくる熱気のせいで、瞬く間に消え去ってしまった。
「クレモン、そろそろ羽も休めたでしょ? 早く飛ぶわよ。空を飛んでた方が、地面からの照り返しが無いから、多少涼しい気がするの」
「それもそうであるな」
そう言ったクレモンは、特に文句を言うこともなく私の肩に乗ると、流れるようにリンクした。
途端、全身の感覚が急激に鋭くなり、背中に翼が生えてくる。
いつも通りの感覚に身体が馴染んだことを確認した私は、躊躇することなく空に飛び上がった。
翼が空気を掴み、身体を浮上させる。
病みつきになるその感覚に身を任せながらも、私はつい先日のことを思い返す。
それはエレハイム王が国中に例の宣言を出した翌日のこと。
私は国王直々に呼び出され、指令を受けたのだ。
北の辺境、カーブルストンの街に赴き、治安維持の任に着け。
魔法騎士団に所属している者なら、この指令の意味をよく知っている。
簡単に言えば、厄介払い。
そもそも、砂漠化のせいで荒れ果ててしまったカーブルストン近郊は、北で隣接しているキューリオ国すら狙わない土地なのだ。
最近は街に住んでいる人間も徐々に減っており、いつ無人の街になってもおかしくない。
そんな街で治安維持をする必要など、どこにあるだろう。
考えても仕方がないことに思い馳せながら地面を見下ろした私は、少しずつ近づいて見えるカーブルストンの街並みを眺めた。
砂漠のど真ん中、小さな川の畔にある街。
すっかり砂を被ってしまっている街の様子は、さながらゴーストタウンだ。
「ホントに人が住んでるのかな……」
ぼそっと本音を零した私は、漏れ出るため息を全力で吐き出しながら、街に向かったのだった。