第149話 毛皮の女
「なんで私の邪魔するの?」
アンナに鞭を弾かれたことで不貞腐れてしまったのか、マルグリッドはそんなことを言いながら頬を膨らませた。
人に対して攻撃を仕掛けておきながら、身勝手な言い草だ。
しかし、彼女自身はそのようなことを自覚していないらしく、至極単純に感情を顕わにする。
「うざい! ウザイウザイウザイ! 死んでよ! なんで死なないの!? チャットォ~。なんとかして!」
駄々をこねたマルグリッドは、でたらめに鞭を振り回すことで周囲を牽制しながら、肩に乗っているバディに声を掛ける。
ネコの妖精のような姿をしたバディの名前は、チャットと言うらしい。
三毛猫に半透明な羽が生えたような、かわいらしい姿とは裏腹に、チャットは物騒なことを言い始めた。
「落ち着きなって。すぐに私が全員八つ裂きにしてあげるから。そのまま鞭を振り続けてね」
チャットがそう告げたのとほぼ同時に、マルグリッドが振り回していた鞭の様子が一変する。
ただ風を切るだけだった鞭の先端から、何やら風の刃が放たれ始めたのだ。
彼女の周囲で隙を伺っていたイワンとクリュエルは、鞭の変化を目にした途端、一斉に距離を取り始める。
そんな彼らの判断が正しいのだと証明するように、放たれた風の刃が一陣、近くの建物に直撃した。
途端、石でできている筈の壁が、バッサリと切り裂かれてしまう。
『あの鞭、普通じゃないわね』
「だな、威力が異常だし、風の刃なんて、普通できない。十中八九、魔法だよな」
縦横無尽に放たれる風の刃のせいで、迂闊に近づくことができない。
とはいえ、完全に手段がないわけじゃない。
そう考えた俺が、両手からラインを伸ばしながら飛び掛かろうと身構えた瞬間。
視界の上端に、影らしきものが飛び込んできた。
全身を駆け巡る悪寒が身の危険を知らせているが、今にも飛び出そうとしていた俺は、咄嗟に反応できない。
仕方なくそのまま前方に飛び込もうとした俺は、直後、黄色いモフモフによって全身を包み込まれてしまった。
この感覚には覚えがある。
「シェミー!?」
まるで、俺を庇うように現れたシェミーは、俺を毛の中にうずめたまま地面を転がったのだろう。
その衝撃に少しの間耐えた俺は、ようやく衝撃が収まったところで、毛の中から這い出し、周囲の状況を確認した。
鞭を振り回しているマルグリッドや、身構えた状態のイワンとクリュエル、そして、アンナ達の立ち位置に、なんら変わりはなかった。
しかし、確実に変化している個所が2つある。
そのうちの1つは、俺が先ほどまで立っていた場所だ。
巨大なハンマーを地面に振り下ろした状態の女が立って居る。
獣の皮を身に纏っている奇怪な様相の女は、振り下ろしたハンマーを軽々と持ち上げると、肩に担いで俺の方へと目を向けた。
身に着けている毛皮のせいで、奇抜な印象を受けてしまうが、良く観察してみると非常にスタイルの良い女性らしい。
ヴァンデンスの好みそうな女性だ。
顔を隠すように巻いている布の隙間から睨んでくるその視線には、非常に鋭い光を宿している。
そんな彼女の傍らには、二股の尾を持った赤い狼が居る。
間違いなく、女のバディだろう。
もう1つの変化は、突如として現れた女の背後、屋根の上にあった。
先ほどまで横たわっていたはずのカーズが、傷を負った目元を押さえながら立ち上がっているのだ。
彼の指示で、シェミーが俺を助けてくれたんだろう。
そうして観察を終えた俺が、口を開こうとした時、マルグリッドが先に口を開く。
「カトリーヌ姉さま!? どうしてここにいるの!?」
呼びかけられたカトリーヌという女は、俺を睨みつけるのをやめて、マルグリッドに視線を移した。
「マルグリッド、退きますよ」
「えぇ~!? なんで? 今からこいつらを八つ裂きにできると思ったのにぃ~」
「無意識の油断が一番危険です。何度もそう教えたはずですが? 自制なさい」
「むぅ……分かった」
そんな会話を交わしたマルグリッドとカトリーヌが、そのままどこかへと逃げ出そうという雰囲気を醸し出した瞬間、ジャックが2人に声を掛けた。
「待ちたまえ」
カトリーヌを見つめたまま告げたジャックは、傍らの獅子を撫でつけながら問いかける。
「どこに行くつもりだ? マルグリッドにはこの街でするべき仕事が残っているはず」
「仕事?」
ジャックの問いかけに、短く呟いて見せたカトリーヌは、呆れたような声で告げる。
「簡単なこと、そんなくだらない仕事よりも重要な仕事が出来た」
「くだらない? 国王陛下の命令だったはず! それをくだらないというつもりか!?」
「我々が従うのはバーバリウス様だけだ。それ以外はすべて、くだらない」
「なっ!?」
カトリーヌの言葉を聞いて怒りをあらわにするジャック。
そんな彼のことなど眼中にない様子のカトリーヌは、マルグリッドに向かって目配せをすると、風魔法で空に飛んで行った。
当然のように、カトリーヌの後を追っていったマルグリッドを、俺達は見送る。
ジャックやアンナは2人を拘束したかったようだが、結論を言えば、2人とも動かなかった。
それはなぜか。
正確な所は分からないが、1つ言えることがある。
カトリーナのバディである狼が、この場にいる全に向けて、威圧の視線を向けて来ていたのだ。
その視線に恐れおののいたわけじゃない。
しかし、どれだけの実力を持っているのか分からない相手に、迂闊に動くことはできなかった。
恐らく、そんな理由だろう。
もし、そうではなくて、ジャックもアンナもカトリーヌの強さを知っていたうえで動かなかったんだとしたら……。
「なんだったんだよ、今の……」
あまり考えたくない想像をしてしまった俺がそう呟いた時、いつの間にか近くにまで歩いて来ていたカーズが、端的に教えてくれたのだった。
「あいつらはヘルハウンズ。バーバリウスお抱えの戦闘集団だ」