第147話 繊細で複雑で、難解
「……ウィーニッシュさん? どうしたんですか?」
耳元から聞こえて来たその言葉を聞いて、俺は我に返った。
途端に、猛烈な羞恥心に苛まれた俺は、強く抱きしめていたマーニャをジェラールに預け、彼女に背中を向ける。
そして、大きく深呼吸した。
直後、俺は心の中で悶絶する。
『何やってんだ俺は!?』
未だに震えている両手には、つい今しがたまで抱きしめていた彼女の温もりが残っている。
そう、間違いなく、マーニャは生きている。
記憶の欠片の中で見た彼女の様子とは、全く違う。
あの悲惨な結果を、なんとか免れたと思うと、あまりにも嬉しくて、つい飛びついて抱きしめてしまったのだ。
恥ずかしい。
これ以上ないほどに、恥ずかしい。
どうにかしてこの恥ずかしさを紛れさせることはできないかと、頭を回転させた俺は、背中越しに彼女と会話することにした。
「マ、マーニャ、どうしてここに居るんだ?」
「え? えっと……」
『困らせてどうするんだよ!』
明らかに動揺しているマーニャの声を聞いた俺は、激しく後悔する。
こんなことでは会話が続かないじゃないかと、俺が自責の念に駆られていると、笑いを堪えるような口調で、ジェラールが声を掛けて来た。
「おい2人とも、そういうのは2人きりの時にやってくれ。見てるこっちが恥ずかしくなるだろ?」
「っ」
羞恥心を更に煽るような彼の言葉に、歯を食いしばって耐えた俺は、もう一度深呼吸をして、何とか心を落ち着かせた。
『落ち着け俺、とりあえずサーペントの脅威は去ったけど、まだ完全に終わったわけじゃないんだぞ』
思いながら、俺はマルグリッドのことを思い出す。
今もカナルトスの街中では、カーズ達がマルグリッドの相手をしているだろう。
場合によっては、アンナが敵になっているかもしれない。
すぐにでも俺も加勢に行った方が良いのは明確だ。
そう自分に言い聞かせた俺は、意を決してジェラールとマーニャの方に向き直り、2人の顔をマジマジと見る。
急ぐ必要はあるけど、一応2人がここに来た経緯などは効いておいた方が良いだろう。
とは思ったものの、俺はなぜか口ごもってしまう。
「あー……えっと」
「しっかりしてくれよウィーニッシュ。なんだ? お前もしかして、彼女出来たことないのか?」
「い、今はそんなこと関係ないだろ!?」
ニヤケながら茶々を入れてくるジェラールに文句を言った俺は、ため息とともに緊張を吐き出した。
「ジェラール、それにマーニャ。もう一度聞くけど、2人はどうしてここに居るんだ?」
「そりゃあれだ、ヴァンデンス隊長の指示だ」
「……師匠が?」
「あぁ、なんでも、ウィーニッシュ達の危機を救うためには、俺達の力が必要だって言ってたぞ」
「そっか……」
軽い口調で説明するジェラール。
そんな彼の話している内容を聞き、俺は1つ納得した。
ヴァンデンスの未来予知、という名の、ミノーラの助け舟。
きっと、記憶の欠片の中で救うことができていなかったマーニャのことを、守るために、ジェラールが送り込まれたってことだろう。
そして、そんな二人が俺達の手助けになるという予知。
心当たりがあるとすれば、1つしかない。
突然鳴り響いた何かが割れたような音と、それに合わせて倒れこむサーペントだ。
記憶の中で見た時と同じように、今回のサーペントも後頭部あたりの袋が破れていた。
それはつまり……。
そこまで考えた俺は、倒れこんでいるサーペントを見た後、マーニャに目を向け、問いかける。
「マーニャ。もしかして、あれをやったのは……」
「あ……はい。私です」
そう言ったマーニャは、なぜかバツの悪そうな顔をして、俯いてしまう。
今にも泣きだしてしまいそうな表情の彼女を見た俺は、動揺を隠せずに聞いてしまった。
「ど、どうしたんだ? なんで落ち込むんだよ?」
俺の問いかけに、マーニャは一瞬唇をかみしめると、ゆっくりと話し始める。
「……私、もう少しでカナルトスの街を破壊するところでした。もしかしたら、沢山の人が死んでたかも」
「嬢ちゃん……」
震えながら告げたマーニャ。
そんな彼女に向けて放たれたジェラールの呟きには、驚きが滲んでいた。
俺は、そんなジェラールの驚きに心当たりがあった。
なにしろ、俺もまたマーニャの言葉に驚き、そして、呆れたからである。
一つ間違えば、マーニャは命を落としていてもおかしくなかったのだ。
怖かった。
そんな単純な感情であれば理解できる。
だが、少なくともマーニャという少女の心は、それほど単純なものでは無いらしい。
むしろ、繊細で複雑で、難解すぎる気がする。
「マーニャ。よく聞いてくれ。確かに、あのままサーペントが街に倒れこんでたら、大きな被害が出てたと思う」
「おい、ウィーニッシュ」
俺の言葉を遮るように、ジェラールが声を上げる。
しかし、俺は彼の言葉を無視して、マーニャの顔を見つめながら言葉を続けた。
「でも、マーニャがサーペントを倒れさせなかったら、そもそも俺達は勝ててなかったかもしれない。正直、決定打を与えることができずに、困ってたんだよ。あのまま消耗戦に入ってたら、たぶん負けてた」
「……そんなこと」
俺の言葉を気休めだと受け取ったのか、マーニャが否定の言葉を口にしようとする。
そんな彼女の言葉を遮るように、俺は半ば強引に口を挟んだ。
「あるさ。正直助かったよ。ありがとう」
俺の言葉を聞き、マーニャは呆けたように俺を見つめ返してくる。
あまりにも反応が薄いため、俺が不安を抱き始めたその時、マーニャの方にしがみ付いていたデセオが、ニヤリと笑みを浮かべて告げた。
「よかったじゃん、マーニャ。これで一歩、近づけたんじゃないの?」
「ちょ、デセオ!?」
デセオの言葉で我に返ったらしいマーニャが、慌てた様子でデセオの口を閉ざしている。
そんな彼女の様子を見て、少し安堵した俺は、ふと気になってマーニャに問いかけてみた。
「近づけた? って、どういう意味?」
「な、何でもないから! 気にしないで!」
詳しく教えてくれるつもりは無いらしいマーニャ。
それでも、幾分か元気を取り戻したらしい彼女の様子を見た俺は、ジェラールに依頼をする。
「というわけで、ジェラール。後のことは俺に任せて、マーニャを安全な所に連れてってくれるか?」
「あぁ、分かった。で? ウィーニッシュはまだすることがあるのか?」
生暖かい目で俺達のことを見ていたジェラールが、即座に真面目な表情で問いかけてくる。
そんな彼に、俺は軽い口調で応えた。
「それがなぁ、まだまだ沢山あるんだよ。そもそも、本題が終わってないし」
言いながら二人に背を向けた俺は、深いため息を吐く。
マルグリッドとカーズの関係の事や、イワンの勧誘。
その他にも色々と考えなくちゃいけないことはある。
そんなことを考えているとうんざりするな。
と思いつつ、街に向けてラインを伸ばそうとした俺は、不意に背後から呼びかけられた。
振り向いた先に居たのは、ジェラールに抱えられたマーニャ。
そんな彼女がどこか恥ずかしそうに、そして嬉しそうに、はにかみながら告げたのである。
「あの、ウィーニッシュ……ニッシュ! 気を付けてね!」
一瞬言葉を失った俺は、思わず笑顔を零しながら応えたのだった。
「っ……うん。行ってくる!」