表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
146/277

第146話 安堵と喜び

 龍の体表が河の水で濡れているせいか、しっかり握ったとしても非常に滑りやすい。


 そのせいで私は何度か手を滑らせ、そのまま落下しそうになった。


 おまけに、登れば上るほど荒れてゆく横殴りの風が、私の身体を宙に放り出そうとしてくる。


 簡単に言って、過酷な道のりだった。


 指先や太ももなど、全身が軋むように痛むのを感じながらも、私はなんとか袋のある付近にたどり着く。


 それでも、これで全て終わったわけじゃない。


 むしろ、本題はここからだ。


「あと少し……デセオ、準備は良い?」


「うん、大丈夫だよ。それより、マーニャは大丈夫? 結構無理して登ってたみたいだけど」


「これくらい、大丈夫よ」


 心配してくれるデセオを安心させるために、そして、自分を鼓舞するために。


 私は短く告げると、深呼吸して袋の元に向かった。


 龍が街を覗き込んでくれているおかげで、私が今いる後頭部付近は普通に立つことができる。


 それでも一応、体勢を低くしたまま進んだ私は、周囲の様子を観察した。


 今までに登って来た、鱗のゴツゴツとした体表とは打って変わって、見るからに柔らかい皮で出来た袋が4つ、膨張と収縮を繰り返している。


 よく見れば、袋の表面に細い血管のようなものも見えるので、これらは間違いなく、この龍の身体の一部のようだ。


「4つもある……全部割れるかな?」


「1つ割った時点で気づかれそうだよねぇ……急いでやれば大丈夫かも? 一応、振り落とされたりしないように、どこか掴まりやすい場所を探そうよ」


「そうね」


 デセオの提案を受けた私は、改めて周囲を見渡してみる。


 比較的袋に近い場所で、掴まりやすそうな突起がある場所。


 そんな場所を3か所ほど見つけた私は、一番近場にあった突起を握りしめ、大きく深呼吸する。


 そうして、右手の掌にしがみ付いたデセオと目配せをすると、私は躊躇することなく、デセオの背中を膨張しきった袋に向けて振り下ろした。


 針だらけのデセオの背中が袋を突き破った瞬間、パンッという乾いた音が辺りに響き渡る。


 音があまりにも大きいため、耳に若干の痛みを覚えながらも、私は歯を食いしばって耐えた。


 私が空けた穴を起点として、袋には大きな裂け目が出来上がり、その裂け目から猛烈な風が吹き出している。


 その風に吹き飛ばされないように、しっかりと突起にしがみ付いた私は、続いて近場にあるもう一つの袋にデセオの背中を振り下ろした。


 1つ目と同じように破裂した袋から、猛烈な勢いの風が吹き出してくる。


 直後、耳をつんざくような豪快な咆哮が、カナルトスの空をかき乱した。


 龍が痛みでも感じたのか、急に頭を振り回しながら咆哮を始めたのである。


「きゃあぁぁぁ!!」


「マーニャ! しっかり掴まって!」


 どこかでデセオがそう叫んでいるのは聞こえたが、彼の姿を確認している余裕はない。


 吹き飛ばされないように突起にしがみ付く私。


 だけど、そんな私の努力は、一瞬にして無に帰すのだった。


 瞬間的に、左手に激痛が走ったのだ。


 何事かと、突起を握りしめているはずの左手を見た私は、事態を理解し悶絶する。


「っっっ!!!」


 左手の甲が抉れ、真っ赤な肉が露出しているのだ。


 痛みのあまり、声にならない絶叫を上げた私は、徐々に左手から力が抜けてゆくのを感じた。


 何が起きたのか分からない。


 ただ分かるのは、何らかの攻撃によって、私は左手に傷を負ったということ。


 そして、左手の支えを失ったこの状況では、身体を支え切れず、落下してしまうということ。


 それだけでも絶望的な状況だというのに、私はさらに絶望的な光景を目の当たりにする。


 袋を割られたことで体勢を崩してしまった龍が、カナルトスの街に向かって倒れこもうとしているのだ。


 風を切る轟音と街から響いてくる無数の悲鳴を耳にしながら、私は絶望する。


 助けになるどころか、邪魔してしまった。


 そう思ってしまった瞬間、右手から力が抜け、私の身体は宙に放り出されてしまう。


「マーニャ!」


 近くでデセオが叫ぶの聞こえる。


 視界の端では、無数の水の塊が私を取り囲もうとしているのも見える。


 きっと、私の左手に攻撃したのは、この水の塊に違いない。


 今となってはどうでも良いことを考えた私は、水の塊たちが細かな振動を始めたことに気が付いた。


 今にも何か攻撃を仕掛けてきそうだと、本能的に感じた私は、ゆっくりと目を閉じる。


 どちらにしても、このまま頭から落下してしまえば助からない。


 弾に撃ち抜かれて死ぬのも、河の水面に落ちて死ぬのも、大差ないだろう。


 そう思った次の瞬間、聞き覚えのある声が、私の脳を貫いた。


「諦めてんじゃねぇぞ! 嬢ちゃん!」


 どこからともなく聞こえて来た声に、思わず目を開けた直後、私は屈強な男によって抱きしめられた。


 頭や体を固定するように抱きしめられている私は、周囲の様子を確認したくてもできない。


 そんな状況に驚く余裕もなく、ただ息を殺して固まっていた私は、無数に響く乾いた音を耳にした。


 この音は、浮き水から発せられる弾丸の音だ。


 それらは、私を抱きしめている男に向けて放たれているようだった。


 時折、低い呻きを上げる彼は、それでも私を庇ったまま自由落下を続ける。


 どれほどの時間が経ったのか、浮き水による一斉砲火が止んだのを見計らったように、男を抱きしめる力を緩める。


 直後、ものすごい衝撃とともに、私は強烈な重力を感じた。


 何事かと周囲を見て、私は落下が止まっていることに気が付く。


 端的に言えば、助けられたということになるのだろう。


 激しくなり続ける鼓動と荒い呼吸のまま、私は助けてくれた男、ジェラールの顔を見上げる。


 しかし、彼の姿はいつもの物ではなかった。


 オールバックの白髪はいつも通りだが、それに加えて、いくつかの特徴が増えているのだ。


 1つは、顔や首元に見える鱗のような物。


 そして、私の身体を固定するように巻き付いている、太くて長い尻尾。


 おまけに、ジェラールは右手と右足を使って、カナルトスの下のメインブリッジ側面に貼りついているのだ。


 その姿はまさにトカゲ。


 そんな彼は、上空の様子を見た後、固まっている私の姿を見下ろして、告げた。


「嬢ちゃん、無事か? ったく、ヴァンデンス隊長はこうなること分かってて俺を寄こしたのか? 俺は空中戦は苦手だってのに」


 そう告げるジェラールの身体には、いくつものかすり傷ができている。


「ジェラールさん……大丈夫ですか?」


「ん? あぁ、俺のことは気にすんな。鱗があるから、見た目ほど痛くねぇぞ。それより、ほら見てみろ」


 促されるように河の方に目を向けた私は、思わず目を見開いてしまった。


 カナルトスの街に向かって倒れこんでいたはずの龍が、なぜか河の上に背中から倒れこんでいる。


 そうなった理由は、一目瞭然だった。


 龍の全身に巻き付くように、無数の氷柱が出来上がっているのだ。


 それらの氷柱が、水面に龍を拘束してしまっている。


 間違いない、倒れこみそうになった龍を、ウィーニッシュ達が拘束してしまったのだろう。


「良かった……」


 私がそう呟いた時、頭上から私を呼ぶ声が響いてきた。


「マーニャ!」


 その声を聞き、咄嗟に空を見上げた私は、こちらに飛び込んでくるウィーニッシュの姿を見る。


 安堵と喜びの籠った表情。


 彼の表情を見て喜びを覚えた私は、直後、彼と強い抱擁を交わしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ