第145話 追いつきたい
「どうしてそんなに呑気なの!?」
デセオの呟きを聞いた私は、彼に対してそんな文句を言った。
言いながら、両手で突起を握り直し、両足を、別の突起に引っ掛けてバランスを取る。
龍が完全な垂直ではなく、少し前のめりな体勢でカナルトスを見下ろしてくれているおかげで、何とか落ちずに済んでいる。
しかし、それでもあまり長いことしがみついたままでいることはできないだろう。
そう考えた私は、少しでも傾斜が緩い場所に移動を始めながら、デセオの弁解を聞いていた。
「別に、呑気ってわけじゃないよ? そんなことより、ほら見て! あれって、ウィーニッシュ達じゃない?」
「え?」
言われるままにカナルトスの街を見下ろした私は、街の上空を飛び交う小さな影を2つほど目にする。
1つは、大きな白い翼を持っている人影。
恐らく、あれはウィーニッシュではない。
もう1つは、大量の水を周囲に纏いながらこちらへと飛んで来ようとしている人影。
多分、その人影こそがウィーニッシュだろうと、私は直感した。
「ホントだ……」
呟いた直後、私はようやくウィーニッシュ達がおかれている状況に気が付く。
ウィーニッシュが操っているよりもはるかに大量の浮き水が、2人に対して、無数の弾幕を放ち続けているのだ。
それらの弾丸を、2人は華麗に躱したり、水で受け止めたりしている。
当然、そんなことをしていれば満足に空を飛ぶこともできないため、2人は私達がいる龍の頭付近に近づけないでいた。
「あの水、もしかして、この龍が操ってるのかな」
「そうみたいだねぇ。ウィーニッシュ達を近づけたくないみたいだ」
デセオも私と同じ見解だったらしく、右肩にしがみついたまま二人の様子を心配そうに見ている。
そんな彼のことを安心させようと、私はデセオに声を掛ける。
「ウィーニッシュさんなら、きっと大丈夫よ」
私が何の気なしに告げたその言葉を聞いたデセオは、小さく「うん」と頷いた後に、言葉を続けた。
「でもさ、ウィーニッシュ達がこの龍を攻撃したら、僕らも巻き込まれるんじゃない?」
「それはたしかに……でもっ」
言葉を続けようとした私は、小さな違和感を覚えたのをきっかけに、口を噤む。
胸の中にあふれて来たその違和感は、次第に大きさを増してゆくと、チクチクと刺さる棘のようなもので、私の心を刺激し始める。
私は、その小さな痛みのことを、良く知っていた。
『私……何を考えてるの? ウィーニッシュさんを助けるために、ここに来たのに……』
ついさっきまで持っていたはずの確かな覚悟が、いつの間にかどこかに吹き飛んでしまっている。
多分、突然の出来事に驚いたせいで、この街に来た理由のことを忘れてしまっていたんだ。
だから、『ウィーニッシュさんなら助けてくれるはず』なんて、甘い考えに浸ってしまっていた。
足手まといになるために、ここに来たわけじゃないのに。
手を止めて考えてしまっていた私が、そんな結論に至った瞬間、しがみついていたはずの龍の身体が、大きく揺れる。
「きゃ!」
龍が少しだけ姿勢を変えただけで、振り落とされそうになった私は、四肢を精一杯に踏ん張って、何とか堪えることに成功した。
とはいえ、そう何度もうごかれたら、困る。
そんな焦りに急き立てられるように、私が移動を開始しようとした時、デセオが私の右頬に鼻先を当てながら叫んだ。
「マーニャ! あれ見て! この龍、街を攻撃するつもりみたいだ!」
彼の指す方を見るために、背後に視線をやった私は、思わず声を上げてしまう。
「そんな!」
龍のものと思われる巨大な尻尾が、大量の水を滴らせながら、街の傍らに姿を現したのだ。
そんな尻尾は、まるで狙いをつけるかのように街の反対側にしなり始めている。
反動をつけた尻尾をカナルトスに振り下ろそうとしているらしい。
このままでは、街に甚大な被害が起きてしまう。
どうしよう。
焦燥と不安に押しつぶされそうになった私は、直後、聞き覚えのある声を耳にする。
「メアリー! アンナ!」
街の方から響き渡って来たその声の主は、一度河まで降下したかと思うと、大量の水を引き連れて、まっすぐに尻尾の方へと飛びこんでいった。
当然、無数の弾丸がその声の主に注ぎ込まれるが、それらを完全に無視するように、突き進んでゆく。
そして、声の主を追って河から引っ張られた大量の水が、螺旋を描くように尻尾に向かって伸びる。
まるで、水でできた巨大な槍だ。
私がそう思った直後、水の槍が龍の尻尾に突き刺さったかと思うと、一瞬にして凍り付いてしまった。
空気を割るような、バリバリという音が、辺りに響き渡る。
連携のとれた見事な攻撃。
それを受けた龍は、尻尾を自由に動かせないことに戸惑ったのか、短い悲鳴のような咆哮を上げた。
「すごい……」
龍の咆哮に顔を歪めながらも、そう呟いた私は、感嘆すると同時に。少しばかりのあきらめを抱き始めた。
今の攻撃を繰り出したのは、間違いなくウィーニッシュだ。
でも、彼一人だけじゃない。
メアリーとアンナと言う、2人と連携を取ったのだ。
『アンナって誰よ……』
一瞬思考が別の方に向かいそうになった私は、すぐに気を取り直して、考える。
メアリーは、今現在もウィーニッシュと共に戦っている。
そんなメアリーと私が戦って、勝ち目なんてあるのか。
今の攻撃を見ただけで、瞬く間に落ち込んでゆく自分の心。
それを自覚した私は、自らを鼓舞するために、心の中で独白した。
『ダメだ……このままじゃ私、ただのお荷物じゃん』
そして、きっと私の考えを理解してくれるであろう相棒に、問いかける。
「私にできること……ねぇデセオ、今の私に何ができると思う?」
「う~ん……ほとんどないんじゃないかな?」
返って来た言葉を聞いて、私は両手が震えるのを感じた。
それが怒りや悔しさからくるものなのか、それとも、しがみつくことに疲れた証拠なのか、良く分からない。
どちらにしろ、私はここで諦めるわけにはいかなかった。
「ダメなの! それじゃ、いつまでたってもおんなじなの! どんどん、離れて行っちゃうの……」
尻すぼみになってゆく私の声を聞いて、デセオは何を思ったのだろう。
少し目をパチクリとして見せた彼は、小さく頷きながら話し始める。
「そっか……それなら、このでっかい龍をびっくりさせるってのはどうかな? 少しはウィーニッシュ達の役に立てるんじゃない?」
「びっくりさせる?」
「そうそう、この龍は身体がでかいせいか、僕らには全く気が付いてないみたいだし。不意打ちを仕掛けるにはもってこいでしょ? 例えば、ほら、龍の頭の後ろあたりにある袋みたいなやつを、僕の針で割るとか」
「袋?」
言われて龍の頭の方を見上げた私は、確かに、デセオの言う袋のようなものを目にした。
どんな目的の器官なのかは良く分からないが、まるで呼吸をしているように、膨らんだり縮んだりを繰り返している。
あれを割ることができれば、龍に対して大きな衝撃を与えることはできるだろう。
しかし、それをするには一つの大きな課題が残っていた。
「あそこまで登れるかな?」
「追いつきたいんでしょ?」
私の問いに間髪入れずに応えるデセオ。
そんな彼の応えに、私も躊躇することなく応えたのだった。
「うん」