第133話 追憶:理解できない状況
俺はカナルトスの街中を、風を切って走り抜けていた。
人の多い通りはなるべく避け、狭い路地の壁や屋根やちょっとした出っ張りを駆使しながら、縦横無尽に駆け回る。
そんな風に駆け回ることができるのは、得てして、4年間ゼネヒットで培った特訓のおかげだ。
何しろ、今の俺は2人の魔法騎士から逃げているのだから。
「なんなのあの子! 全然当たらないわよ!?」
頭上から聞こえて来た叫び声は、確実にアンナのものだろう。
大きな白い翼を背中に生やしている彼女は、美しい金髪を風になびかせながら、俺に目掛けて氷の矢を放ってきている。
が、単純な飛び道具をシエルとリンクしている俺に当てることは簡単ではない。
「アンナ・デュ・コレット! 落ち着け! 奴の体力も無限ではない! 確実に追い詰めるぞ」
そう言って俺の背後で叫んでいるのは、ジャックだ。
獅子型のバディとリンクしている彼は、その筋骨隆々な体格を駆使して、俺の後を追いかけてきていた。
正直、彼の持っている剛腕と鋭い爪に攻撃されれば、流石の俺でもひとたまりもない気がする。
とはいえ、スピードでは俺の方が勝っているらしく、今のところ追いつかれることは無いと信じたい。
そんな俺達の追いかけっこは、かなりの騒音を発生させているようで、住民達の注意をひいてしまっているようだ。
というのも、進行方向にある窓や扉から、数人がチラッと顔を覗かせて、俺達の様子を伺っている。
万が一、彼らが巻き添えを食らったら申し訳ないと考えた俺は、大声で叫んだ。
「危ないぞ! 早く家の中に入れ! 暴れ獅子のお通りだぁ!」
「誰が暴れ獅子だ! おい小僧! 余計なことはせずに、今すぐ投降しろ!」
俺の叫びに反応したジャックがそんなことを叫ぶ。
しかし、叫んだ直後、ジャックは路地の片隅に積み上げられていた木箱を、盛大に破壊してしまった。
同じような光景は、幾度も繰り返されている。
壊されてしまった扉や窓、そして木箱の数はどれだけになるだろうか。
「そんなでかい図体で、狭い路地に入ってくるから! 余計な被害を出してるんだろ! 頼むから、諦めろよ!」
そう叫んだ俺は、積み上げられている木箱を後ろに蹴りつける。
足の裏に発生させたポイントジップによって、急加速した木箱は、盛大にジャックに衝突した。
箱の中身は果物だったらしく、果汁まみれになったジャックは、それでもあきらめることなく俺を睨みつけてくる。
「おい! 今のは俺じゃないぞ!」
「悪い、足が滑ったんだ!」
適当に返した俺は、視界の上端で動くアンナの影を目にし、とっさに右の壁を蹴って軌道を変えた。
直後、俺の進路を妨げるように、氷の壁が空から降ってくる。
「あぶねっ! っと!?」
アンナの豪快な妨害を避けたことで、急停止を余儀なくされた俺は、すぐさまジャックの方に目を向ける。
しかし、目を向けるのが一拍遅かった。
「喰らえっ!」
既に俺の真後ろに位置取っていたジャックが、振り上げた剛腕を勢いよく俺に向けて振り下ろしたのだ。
避けることはできない。
咄嗟にそう判断した俺は、両腕を頭上に構え、ジャックの攻撃を迎え撃つ。
両の掌にポイントジップを発生させ、彼の攻撃を弾き返すことに成功した俺は、つんのめるジャックの頭を飛び越え、元来た道を引き返す。
「なにやってるんですか!」
頭上でアンナが喚いたのとほぼ同時に、街の東の方で大きな火柱が上がった。
「あっちか!」
そう言って、俺はその火柱が上がった方へと向かう。
ここまでの光景を、ただ見ていた『意識だけの俺』は、若干混乱しながら独白する。
『え、これ、どういう状況?』
困惑を独白している間にも、ウィーニッシュの逃走劇は続いている。
少しずつ火柱の上がった方に近づいていくのを見ながら、『俺』は状況を整理することにした。
『とりあえず、この記憶の欠片の中では、俺はアンナとジャックに追いかけられてるんだよな。その理由は今のところ分からない。で、俺の目的地は、さっきの火柱のところ? そこにいるのは誰だ? 考えられるのは、カーズか』
豪快な火の魔法と言えば、カーズだろう。
ただし、この時のカーズが敵だったのか味方だったのか、今のところ明確ではない。
『アンナ達と敵対してるから、恐らく味方だと思うけど……』
その他にも、今のところ分かっていることから、情報をひねり出そうとしてみる『俺』だが、あまり重要そうな情報は導き出せなかった。
仕方がないので、考えることは一旦放棄することにする。
そうして、ついに火柱の上がった場所にたどり着いた俺が目にしたのは、大勢の人々だった。
大きな通りを占領している人々。
そんな彼らは、手に銛などの武器を持ち、一人の人物を睨みつけている。
その人物に目をやった俺は、思わず呟いた。
「お前は……!?」
『いや、誰だよ』
『俺』もまた、呆れを込めてそう呟きながら、その人物を凝視する。
薄い桃色の髪を持った、小柄な女の子。
そんな女の子が、大勢の人々の頭上に浮かび上がって、2本の鞭を振り回しているのだ。
ピンク色の鞭には、何やら魔法が込められているようで、その軌跡に炎を浮かび上がらせていた。
「あ、みっけ! みっけ! 見つけたぁ!」
小柄な少女は路地から飛び出した俺に気が付くと、そう言って楽しそうにケラケラと笑う。
どうやら少女の方は俺のことを知っているようだ。
そこまで考えた俺は、ふと、視界の端に映った人物に気が付く。
少女から少し離れた位置にある建物の屋根の上に、見知った男が倒れこんでいるのだ。
「カーズ!? 大丈夫か!?」
そう叫んで、倒れているカーズの元に駆け寄ろうとした俺のことを、追いかけて来たジャックが妨げる。
「俺達のことを忘れたのか!?」
「っ!? 危ないなぁ!」
躊躇することなく繰り出されるジャックの爪を、横に跳んでギリギリ避けた俺は、続けざまに迫りくるアンナの氷の矢を、尻尾で弾き落とした。
一瞬訪れる膠着状態。
そんな中で、唯一声を発していたのは、ケラケラと笑う桃色の少女。
『本当にどういう状況なんだよ、これ』
予想していなかった新しい登場人物と、理解できない状況を前に、『俺』は一人でぼやくしかないのだった。