第129話 濡れた体
メアリーと別れた俺は、大通りの人ごみをかき分けながら、少し先を歩いている男の後を尾けた。
深いフードをかぶりながらも、周囲の様子に目を配っている様子が、やはり怪しく見えてしまう。
男は街の東に向かってひとしきり歩いたかと思うと、人通りの少ない路地へと入り込んでいく。
すかさず後を追った俺は、暗い路地の奥を右に曲がる男の姿を目にした。
男の後を追って路地に足を踏み入れた俺は、右肩のあたりを漂っているシエルと顔を見合わせ、尾行を続けた。
バレないように尾行しなくてはいけないので、自然と俺達は沈黙してしまう。
足音を立てないように、男の曲がった角まで小走りで進んだ俺は、慎重に角の先を覗き見る。
大人が一人通れるかどうかの、細い通路。
もはやそれは通路と呼んでいいのか分からないような道の先に、フードの男が見える。
街の構造が非常に入り組んでいるせいだろうか、この通路は上空からは見えない作りになっていて、隠れ場所には最適に思えた。
狭い通路の先に見えていた男の姿が見えなくなったところで、俺はその通路に入り込んだ。
小柄なおかげだろうか、すんなりと通路の先に到達した俺は、そーっと通路から外の様子を伺う。
そこには小部屋程度の空間があったのだが、フードの男の姿は見当たらない。
天井も壁も、逃げ場所と思えるようなものは一切なく、まるで男が忽然と姿を消したかのようだ。
とりあえずその小部屋に出た俺は、壁を手当たり次第に調べてみたが、これと言って怪しい場所は無い。
これ以上は無理か。
と、俺が諦めかけた時、シエルが俺の肩を軽く叩いて告げた。
「ニッシュ、下から何か音がする。ちょっとリンクしてみて」
「分かった」
彼女の言葉に応じる形でシエルとリンクした俺は、その場にしゃがみ込んで目を閉じた。
両の掌を地面に当て、耳を研ぎ澄ませてみると、確かに、俺達の真下から何やら乾いた音が響いてきている。
「これは……なんだ? 足音? にしては少し違うような……梯子? そっか梯子を降りてる音か」
なんとなく音の出所を理解した俺は、スッと立ち上がり、今度は目を凝らして部屋の床を調べる。
ゴツゴツとした岩肌の床には、特に何も異変は無いように思える。
しかし、そんな岩肌の表面に、俺は小さな違和感を覚えた。
一か所だけ、以上に踏み荒らされたような、すり減っているような個所があるのだ。
まるで、今までに何度も、そこだけピンポイントに強く踏みつけられたかのような、そんな痕跡。
「ここか?」
違和感を強く覚えた個所に右足を添えた俺は、少しだけ強めに体重をかけてみた。
すると、ゴリゴリと言う音と共に、床の一部がせり上がってくる。
簡単に説明すれば、てこの原理のようなものだろう。
俺が踏みつけた個所が力点で、入り口にあたる場所が作用点になっている。
そうしてせり上がった床の一部が扉の機能を果たしているのだ。
取り敢えず地下への入り口を見つけた俺は、重たい岩の扉をジップラインで固定し、右足を外した。
「結構深いな……どこまで降りるんだ? これ」
『降りるって、アタシたちの場合は別に梯子を使わなくても良いんだから、そんなに時間もかからないでしょ』
「それもそうだ」
頭の中で響くシエルの声に賛同した俺は、一人で小さく頷き、穴の中へと飛び込んだ。
落下しながら扉を支えていたジップラインを解除し、続けざまに新たなラインを描く。
そのラインに沿って降下を続けた俺は、程なくして細い穴を抜け、開けた場所に飛び出す。
どこかの広い空間に出たのかと思った俺だったが、それは間違いだった。
「ここ、橋の下か!?」
『そうみたいね……セルパン川がすぐそこに見えるわ』
巨大な5本の橋の下は、セルパン川のほとりからでも、あまり詳しくは見えなかった。
というのも、メインブリッジと呼ばれる5本の大きな橋は、複雑にうねっているため、死角になっている場所が多いのだ。
「街の下だけ、人工的な柱があるんだな。流石に、街が沈まないように対策したってことか」
『そうみたいね。でも、あんな細い柱でこの街を支えきれるのかしら』
「そこはほら、本数で勝負してるんだろ」
橋と同じように石魔法で作られたと思われる無数の柱が、河の中にまで伸びている。
それらの柱は、数本が絡み合うように捩じり合うことで、強度を増しているようだ。
それらの光景を眺めながらも、先に降りていたフードの男を探していた俺は、まっすぐに伸びている梯子の先に、その姿を見つけた。
柱に沿うように設置された梯子の先には、人が一人立てる程度の陸地があり、そこに男が立っている。
「何するつもりだ? 見た感じ、ここには拠点みたいなものは何もないけどな……」
辺りを見渡してみた感じ、他にあるものと言えば少し離れた場所にある港のような場所だけだ。
とはいえ、港までの距離はかなりある。
そんな場所まで船もなく行けるわけがない。
俺がそう考えた矢先、フードの男はその格好のまま、河の中に飛び込んだ。
「なっ!?」
『飛び込んだわね』
「どうなってるんだよ! どこに行くつもりだ!?」
慌てた俺は、先ほどまで男が立っていた梯子の傍に着地すると、そこから河の中を覗き込む。
しかし、シエルとリンクしている今の俺にも、河の中を鮮明に見ることは出来そうにない。
街を支える柱が、河の底にある深淵に向かって伸びていて、その内1つの柱に向かって、男が泳いでいることだけが分かる。
ただ、本当にその柱に向かったのかは、俺も実際に潜って見ないと分からないだろう。
「俺、水着なんて用意してないぞ」
『とりあえず、服を脱いで潜れば?』
「……他人事だと思って」
『他人事じゃないわよ! 今はニッシュとリンクしてんだから!』
それもそうかと納得した俺は、急いで下着姿になり、軽く全身の筋肉を伸ばすための、ストレッチを行う。
準備運動は大事だからな。
そうして、肺に目一杯の空気をため込んだ俺は、そのまま河の中に飛び込んだ。
全身を包み込む冷たい水の感触を楽しみながら、俺は男が泳いでいった方向にジップラインを伸ばす。
どれだけ潜っただろうか、少しずつ視界が暗くなり始めた頃、一本の柱が姿を現した。
その柱には人が入れる程度の亀裂が入っており、その亀裂から微かな光が漏れてきている。
躊躇することなく亀裂に向かった俺は、なるべく慎重に中に入り、様子を伺った。
柱の中は空洞になっているようで、少し浮上すれば空気もあるようだ。
そこまで確認した俺は、亀裂から柱の外に出て、元来た道を引き返す。
今すぐに潜入するのは危険だろう。
まずは皆と情報を共有して、準備を整えてから来るべき。
そう判断した俺は、濡れた体のまま、宿に戻ったのだった。