第124話 ほとりに佇む
ゼネヒットの遥か南に、セルパンと呼ばれる、とてつもなく大きな河が流れていた。
だだっ広い密林のど真ん中を流れるその大河は、幅が350キロメートルあり、とても泳いで渡ることのできない河だ。
しかし、誰もその河を渡ることができないと言ってしまうと、それは嘘になる。
東から西に流れているその河を、河口から10キロメートルほど遡ったところに、おあつらえ向きの橋が架かっているのだ。
とはいえ、人工的な橋ではない。
断面の直径が数十キロメートルになるような、巨大な岩の橋が5本、うねうねと川の両岸を繋ぐように横たわっている。
それらの間を縫うように伸びる小枝のような岩の橋が、セルパン川の水面に影を落としていた。
この地のことを知っている人々は、この橋を造り上げた者のことをこう呼ぶ。
ドラゴニュート。
人とドラゴンの混血たるその人物が、かつてこの地を訪れ、橋を架けたのだと。
伝説ともいえるこの話の真偽を知る者は、この地には誰も残っていない。
しかし、この話を語り継ぐ者たちが、セルパン川の上に住み着いていた。
文字通り、大河にかけられた橋の上に、街を作った人間達がいたのだ。
橋を形作っている岩を魔法で変形させ、生活できる居住地や道を造り、漁をして生計を立てているのである。
そんな彼らの生活は、ひょんなことから大変貌を遂げることになる。
漁をするために船を出すことから、自然と街から河に降りる道や港が整備されたことで、物流の拠点としての価値が高まったのだ。
カナルトスと呼ばれるその街が、瞬く間にエレハイム王国にとって重要な拠点に成長したことは、想像に難くない。
成長と同時に、多種多様な人間が訪れるようになったカナルトスは、人と金の大きな流れをも生み出していった。
だからこそ、奴らはその甘い汁に群がって来る。
少し前までは、領主自らが街に群がるやつらを撥ね退けてくれていたのだが……。
今となっては、その平穏は過去のもの。
ウォルフ家亡き今、カナルトスが欲望と暴力に蹂躙されるのは時間の問題だと言えるだろう。
そのような事情を知った者が、今まさに夕日に照らされているカナルトスを見た時、何を思うのだろう。
少なくとも、セルパン川のほとりに佇む一人の少女は、強烈な哀愁と焦燥を覚えていた。
「何をしている。そんなところに突っ立っていると、奴らに見つかるぞ」
「あ、ごめんなさい、ゲイリーさん」
背後から掛けられた声に短く応えたマーニャは、かぶっていたフードを更に深く被り直すと、改めてカナルタスに視線を送った。
「ウィーニッシュさん。無事でいてください」
それだけ呟いた彼女は、足元でゴロゴロとしているバディのデセオを担ぎ上げると、先に森の中に入っていくゲイリーの後を追いかけた。
生い茂る枝葉をかき分けるように進んだ彼女は、その先で、ゲイリーともう一人の男と合流する。
「遅かったじゃねぇか。そんなに心配なんだな」
茶化すようにそう言ったのは、防衛班の副隊長である白髪のジェラールだ。
いつも通り、オールバックを撫でつけなが告げる彼に、マーニャは深々と頭を下げて、謝罪をした。
「ごめんなさい。ジェラールさん」
「おいおい、ジェラールだけに謝るつもりか? 俺様も待たされたんだぜ!?」
ジェラールの片隅でハエを咀嚼しているトカゲのワイルドが、舌先をチロチロと遊ばせながら文句を垂れてくる。
そんなワイルドにも深々と頭を下げたマーニャは、もう一度謝罪した。
「ワイルドさんも、ごめんなさい」
マーニャの謝罪を見ていたジェラールは、苦笑いを浮かべながら言う。
「おいおい、そんなマジで謝らなくていいんだぞ? こいつの言うことなんざ、意味なんてねぇんだからよ。見たとおり、蛇に足が生えてんだし」
ワイルドに喧嘩を売ったような内容に、かなり焦りを抱くマーニャ。
しかし、彼女の気苦労は取り越し苦労だったようだ。
「そうだそうだ! 俺様の言うことは適当に流しとけばいいんだよ! そんなことも分かんねぇのか!?」
自ら肯定してしまうワイルドの言葉に、流石のゲイリーも黙ってはいられなかったようで、ぼそりと呟いた。
「それでいいのか……」
同じく、マーニャの腕に抱えられているデセオも、呆れたように呟く。
「変な奴だなぁ」
当の本人であるワイルドは、何も思うところが無いようで、チロチロと舌を遊ばせるだけだった。
直後に訪れた沈黙に耐えかねたように、マーニャの口から笑いがこぼれる。
「……ふふふ」
穏やかに流れる時間に入り浸っていたい。
この時のマーニャはそんなことを考えていた。
しかし、彼女自身も良く分かっている。
そんなことを言っていられる場合ではないことを。
彼女達がゼネヒット付近のダンジョンを離れ、カナルトスの傍まで来ている理由。
それを説明するためには、この時から2週間前にまで、時間を遡らなければならない。
その日は、普段と何も変わらない、穏やかな午後の事だった。