第123話 巨大な嵐
黙り込む俺を見たクリュエルは、抑え込んでいた怒りをぶちまけるように、言葉を並べたてた。
「最優先で、メアリーとヘルムートとマリーを助ける? そんなこと、アタシにできるわけがないだろう!? 何故だか分かるか!! アタシにアンタほどの強さは無いからだよ!! 最優先ってのは、たった1つ守るべきもののことだ! たった1つ、それさえ守ることができなかったアタシに! 3つも守れるわけないだろ!」
一息に怒鳴り散らされたそれらの言葉は、俺の心を抉ってゆく。
価値観の違い、その違いを生み出していた根本的な原因は、俺にあるってことだ。
遠くて近い過去において、俺も彼女と同じ立ち位置にいたはずである。
魔法も使えず、シエルとも分断され、奴隷として生活していた日々。
奪われる側の人間として、数々の卑劣な行為にひれ伏すしかなかった日々。
あの時の俺も、今目の前にいるクリュエルと同じように、多くを望むことなどできなかった。
望めるようになったのは、俺が強くなったから?
いや、違う。
沢山の人に支えられて、何とか立ち上がることができるようになったからだ。
そこまで考えた俺は、デカウ村でスタニスラスから言われた言葉を思い出した。
『奪う側の人間』
俺は無意識のうちに、スタニスラスの言う『奪う側の人間』になっていたのかもしれない。
クリュエルの赤く腫れあがった左頬と、俺を睨みつける鋭い目が、何よりの証拠だ。
俺が強烈な罪悪感と公開に苛まれた直後、背後からメアリーが語り掛けてきた。
「ウィーニッシュさん、クリュエルさんを放してあげてください」
「メアリー……」
ゆっくりと歩み寄って来る彼女の方を振り返った俺は、一度深く息を吐き出すと、クリュエルを拘束していた魔法を解除する。
ずるずるとその場に崩れ落ちたクリュエルに、小走りで近寄ったメアリーは、項垂れる彼女の背中を撫でながら言葉を続けた。
「私はクリュエルさんのことを完全に許したわけじゃありません。けれど、クリュエルさんがヘルムート様やマリーおば様を完全に見捨てたとも思えないんです」
ゆっくりと目を閉じた彼女は、何かを思い出すように話を続ける。
「なぜなら、屋敷に火が放たれた時、彼女は真っ先に村人たちを諫めて、私達を救出しようと動き出したから」
彼女の言葉を、俺はただ黙って聞いていた。
俺はその場にいなかったから分からないが、恐らく、メアリーの言うことは本当なのだろう。
対するクリュエルも、黙ったまま項垂れている。
そんな俺達の様子を、穏やかな目で見比べたメアリーは、更に言葉を続けた。
「その時はまだ、例の刺客も現れておらず、ヘルムート様も屋敷の外にいました。だから、こう考えたんじゃないでしょうか? 3人は無理でも、2人なら助けられるかも……って」
「……」
黙り込むクリュエルを見ながら、俺は記憶の欠片で見た光景を思い出していた。
確かに、4回目の記憶の中でも、マリーの屋敷に火が放たれた時、俺とヘルムートはまだ外にいた。
その直後、スタニスラスとエルバが現れて、俺たち二人を屋敷の中に連れ込んだのだ。
今回の話にもそれを適用するなら、つじつまは合う。
そして、おのずとクリュエルがその時に取った行動も、なんとなく理解できる。
彼女はおそらく、屋敷の外でエルバの相手をしていたのだろう。
俺はメアリーの悲鳴を聞いて、屋敷の中に入ることだけ考えていたから、屋敷の外でクリュエルが戦っていることなど気づかなかった。
クリュエルにとっても、スタニスラスが現れることが想定外だったと考えれば、その状況にも少しは頷ける。
一人で納得した俺は、しばらく続いた沈黙を破るメアリーの言葉に耳を傾けた。
「私、貴女の気持ち、なんとなくですけど分かります」
そう言ってゆっくりと立ち上がったメアリーは、淡々と言葉を続ける。
「父様が捕まってから、私は父様の無事を毎日祈り続けていました。どうか、無実であることが証明されて、無事に帰ってきますようにと」
言い終えた彼女の表情が、一段と暗くなる。
苦悶や悲しみに満ち溢れた表情のまま続く彼女の言葉は、まるでそれらの感情に浸されたかのように、ひどく震えていた。
「けれど、父様が帰ってくることはもうありえません。なぜなら、私が見殺しにしてしまったからです。どこかの誰かが、父様のことを助けてくれるなんて、夢に溺れていたからです。父様は多くの方に慕われているから大丈夫だろうって」
そこまで言い終えた彼女の表情には、新たに怒りのようなものを見て取れた。
その怒りは誰に対する怒りなのか。深く考えるまでもなく、明らかだ。
「とんだ馬鹿な夢でした。挙句の果てに、私はヘルムート様やマリーおば様まで失ってしまいました。私もまた、たった一つ守るべきものを、守れなかった弱者なのです」
そうして、言葉を区切ったメアリーは、大きく息を吐き出すと、意を決したように告げる。
「あなたも同じなのではないでしょうか?」
明確に、クリュエルに対して投げられた言葉。
しかし、その言葉に返事をしたのは、クリュエルではなかった。
「ここにいる全員が、同じ光景を見てきた」
相変わらず穏やかな口調でそう告げたカーズは、その場にいる全員のことを見渡した。
彼の視線に応えるように、全員が黙ってカーズを見つめる。
それらの視線を肯定と受け取ったのか、カーズは再び話し出す。
「だが、故に私達は互いのことを知らなすぎた。当然だろう。人の事など構っていられる場合ではなかったのだから」
確かに、彼の言うことはその通りだろう。
現に俺は、カーズやクリュエルの事情など、何一つ知らない。
「そして、この世の中には、私達が見てきたのと同じような光景が、そこら中に転がっている。それらを生み出しているのは、例外なく、奴らだ」
ハウンズ。
全ての元凶にして、倒すべき敵。
「しかし、ここにきて私達は状況を打破できる2つの特異点に巡り合うことができた」
そう言ったカーズは、メアリーと俺を見比べる。
これは、いつの間にか俺も、対ハウンズへの切り札として数えられているってことだよな?
そんな俺の考えを余所に、カーズは仰々しく告げる。
「私達がとるべき最善手は何か。最優先は何か。何のためにその命を使うのか。今一度考えたうえで、答えてほしい」
区切られた言葉の後に、一瞬の沈黙が降りる。
その沈黙が薄れて消えてしまう前に、カーズが短く問いかけてきた。
「手を貸してくれ」
俺とメアリーに放たれたその提案に、俺達二人は互いの顔を見合った。
メアリーは既になにかしらの決意を抱いているようだ。
そんな彼女の顔を見ていた俺は、ふと、一つの言葉を思い出した。
『未来を展望するためには、より大きな羽が必要になります』
ミノーラが告げたその言葉。
ふわっとしたその言葉に、漠然としたイメージしか持っていなかった俺は、唐突に一つのイメージを思い浮かべた。
それは、巨大な蝶。
いつか見た、夜闇に浮かぶ大きな蝶。
そんな蝶の姿と、俺の現状を重ねた俺は、かつて耳にしたことのある小話を思い出し、思わずにやけながらカーズの提案に応える。
「あぁ。手を貸すさ。そして、俺達で巨大な嵐を巻き起こしてやろうぜ」
「ニッシュ、あんた何言ってんの?」
俺の言葉を聞いたシエルが、呆れたような顔で呟いたのだった。