第120話 おぼん越し
デカウ村での一件を切り抜けた俺達は、マリーやヘルムートを村はずれの森の中に埋葬した後、メアリーを連れてダンジョンに帰ってきた。
ダンジョンに着き次第、クリュエルがメアリーを東の森に連れて行こうしたが、当然、俺とシエルは全力で阻止する。
今回の件で、俺やシエルが彼女の考え方に疑問を抱いたのは言うまでもない。
もっと言えば、カーズを含むモノポリーのやり方に、疑問を抱いてしまう。
すぐにでもその辺の文句をぶちまけたいところだったが、渦中のメアリーが塞ぎ込んでいる以上、具体的な話し合いは延期となった。
そんなこんなで、俺達がダンジョンに戻ってきてから今日で丁度一週間。
未だに晴れない気分のまま目を覚ました俺は、背伸びをしながら上半身を起こし、大きく深呼吸する。
一人用の簡易ベッドに小さな机、申し訳程度の棚と洗顔用の水が入った瓶。
それらが良い感じに設置されているこの部屋は、まぎれもなく、俺の部屋だ。
すぐ隣で寝息を立てているシエルを一瞥し、ベッドから降りた俺は、机の正面にある小窓を開け、外の様子を覗き込む。
このエリアに生えていた木々を伐採し、空いた土地に建物を建てたり。
主要な施設やエリアの出入り口を結ぶように、石で道を舗装したり。
武器や防具など、様々なものを加工できる施設を作ったり。エリアの端で畑を始めたり。
あっという間に過ぎ去っていった4年を思い返しながら、俺は小さく呟いた。
「4年で、結構発展したよなぁ……初めは小さな森だったのに、今じゃ小さな町になりつつある」
今までの努力のおかげで、ここでの生活レベルは格段に向上している。
それもこれも、全てこの町に住んでいる皆のおかげだ。
おまけに、ダンジョンの中に住んでいるからだろうか、この町の住人はほぼ全員、魔物と戦える程度の魔法を習得していた。
人によって得手不得手があるので、殆どが風と火の魔法しか使えないが、それでも戦力としては十分だろう。
そんな状況を考えた俺は、思い出したようにメアリーの氷魔法について考える。
この世界において、氷魔法はなかなか珍しいようだ。同じように、影魔法もあまり聞かない。
俺の周りで影魔法を使えるのは、ヴァンデンスくらいだろうか?
ゲイリーの使う幻覚はおそらく、光魔法の応用なので、影魔法では無いはずだし。
「そう考えると、この町には特殊な奴が集まってるよなぁ」
言いながら視線を窓の外から部屋の中に移した俺は、未だに眠っているシエルに目を向けた。
「シエル。そろそろ起きろよ。そろそろ行くぞ」
俺の言葉を聞いたシエルは、ひどく不服そうな顔で起き上がると、俺の頭の上にフラフラと飛んできた。
彼女のその様子を無視して、俺は床に置いてあった瓶でタオルを濡らし、顔を洗う。
そうして、もう一度タオルを濡らした俺は、頭の上のシエルに差し出した。
「顔、洗っとけよ?」
「ん……分かってるわよ」
濡れタオルを受け取ったシエルが、顔をゴシゴシと拭き終えるのを待ち、俺は部屋を出た。
左右に伸びている廊下を左に進み、突き当りにある階段を一階分降りた俺は、そのまま正面玄関から外に出る。
日光ほどではないが、仄かな温もりを持った光に目をしかめつつ、俺は舗装されている道を歩いた。
向かう先には、大きな煙突が1つ付いている平屋がある。
そこは街唯一の食堂で、俺達は朝昼晩の食事をそこで摂っているのだった。
いつも通り食堂に足を踏み入れた俺に向けて、耳馴染みのある声が掛けられる。
「あ、ウィーニッシュさん! お、おはようございます!」
赤色で統一されたエプロンとベレー帽を身に着けたマーニャが、手にしているおぼんを胸元に添えながら挨拶してくる。
「おはようマーニャ。今日も、いつものでお願いするよ」
俺は平静を装いつつ、普段通りに挨拶を交わすと、いつもの席に着きながらマーニャの様子を伺った。
ウェーブのかかった栗色の長い髪の毛は、頭の後ろで綺麗にまとめられている。
いかにも村の看板娘といった彼女の姿は、控えめに言って可愛い。
だからこそ俺は、彼女のこの成長ぶりに少し困惑している。
前回のマーニャと今回のマーニャは、確実に同一人物のはずなのに……。
どうにも今回の彼女とは、どことなく距離を感じてしまうのだ。
未だに彼女から敬語を使われているのが、その最たる証拠だろう。
環境でこれほど人は変わるもんなんだなぁ。
そんな風に考えていると、一人の男が声を掛けてきた。
「おうおう、ウィーニッシュ。朝から何じーっと見つめてるんだ?」
突然声を掛けてきた男は、何の断りもなく俺の隣の椅子に腰を下ろすと、手にしていたパンを頬張り始めた。
切れ長の目とオールバックの白髪を持ったこの若い男は、ジェラールだ。
そんな彼のバディであるトカゲのワイルドは、彼の肩で何やら舌をチョロチョロと動かしている。
「おはよう、ジェラール。それと、ワイルドも」
彼は4年前に俺がバーバリウスの屋敷から逃がした奴隷の一人で、一番初めに俺に話しかけてくれた男でもある。
元々猟を生業にしていたのか、彼は様々なサバイバル知識を持っていた。
それらの技術と経験を見込まれ、ジェラールは今、この町の防衛副隊長を務めている。
彼がこの町の発展に貢献したことは言うまでもない。
1つ難点があるとすれば、酒癖が悪いことだ。
幸い、朝っぱらから酒を飲む習慣は無いようで、今は素面らしい。
ホッと胸を撫で下ろす俺の肩に腕を回したジェラールは、ニヤケながら囁きかけてきた。
「で? ウィーニッシュ。あの娘とどこまで進展したんだ?」
「は? ……いや、何も」
ジェラールの視線の先にマーニャがいることを確認した俺は、彼と同じように囁き返した。
「はぁ!? おいおい、まぁ~だ何にも進展してねぇのか!? ……なんつって。まぁ、街の皆が既に知ってるけどな。ウィーニッシュが意外とヘタレだってことはよぉ」
「なっ!? それは言いすぎだろ? それに、俺達はまだ14歳なんだ。別に急ぐ必要もないだろ?」
俺の言い分を聞いたジェラールは、大きくため息を吐きながら再び囁く。
「なぁ~に言ってんだ!? そこは急げよ! あんだけ可愛い娘を、他の男が放っておくと思ってんのか!?」
「他の男って誰だよ……。ここにいる男は、俺とゲイリーとジェラール以外、全員30代以上だよな。同年代に至っては、俺だけだぞ?」
「それで安心する理由が、俺には分からねぇけどなぁ……。いや、確かに? 俺はもっと大人なレディが好みだけどよ」
そんなことを言うジェラールに、俺が何かを言い返そうとした時。
俺達の方にマーニャが歩み寄ってきた。
手にしているお盆の上には、俺が頼んだ野菜のスープと木の実のパンが乗っているので、十中八九、ここに来るだろう。
すぐさま肩を組んでいるジェラールを引きはがして、取り繕うように背筋を伸ばした俺に、彼女が話しかけてくる。
「パンと野菜のスープです。ふふふ。お二人とも、朝から仲良しですね」
俺の前にスープとパンを並べながら、微笑みかけてくるマーニャ。
そんな彼女に、「あぁ、まぁね」と短く返した俺は、直後嫌な予感を覚えた。
理由は簡単だ。
俺の隣に大人しく座っていたジェラールが、突然立ち上がったのだ。
突然のことに驚いた俺とマーニャが、一瞬顔を見合わせた時、ジェラールがニヤリと笑みを浮かべて話し始める。
「仕方がねぇなぁ! おいおい。ウィーニッシュよぉ! ここはこの俺ジェラールが、人肌脱いでやろうじゃねぇか」
「……おい、ジェラール? 何する気だ!?」
明らかに、何かしでかそうとしているジェラールを制止しようとした俺だったが、既に遅かった。
話し始めた彼の口が止まることは無いのだ。
「マーニャ、この俺に一つ教えてくれ。君はこの4年で随分と可愛らしく成長したと町の皆が言っている。それは事実だと俺も思う。そして、女性が可愛らしく成長する理由は往々にして決まっていると俺は思っているんだが……」
そこで一旦言葉を区切った彼は、ジーッとマーニャの目を見つめながら、一息に言ってのけた。
「ずばり、誰のために可愛くなりたいと思っている?」
「え……っ!? えーっと……その……」
ジェラールの言葉を聞いたマーニャは短い言葉を漏らした後、あからさまに動揺し始めた。
心なしか、顔が少しずつ朱に染まっているような気がする。
そんな彼女と一瞬、視線を交わした途端、俺は顔が猛烈に熱くなった。
直後、持っていたおぼんで顔を隠したマーニャは、おぼん越しに返事をした。
「ご、ごめんなさい。私、まだ仕事中ですので……」
それだけ言い残したマーニャは、逃げるように厨房の方へと走ってゆく。
そんな彼女の後姿を見送って行った俺に向けて、ジェラールが言うのだった。
「な? これで分かっただろ? 彼女がなんで可愛くなったのか。お前もさっき言ってたように、同年代はお前だけなんだからよ」