第119話 遺言書
私はメアリー・エリオット。
エレハイム王国の貴族、エリオット家の長女として生を受けた私は、ほんの数か月前まで、何不自由のない人生を謳歌していましたの。
そんな私は今、ゼネヒットと呼ばれる街の近く、ダンジョンの中で生活をしています。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。
考えれば考えるほど、私は今のこの状況を理解できなくなってしまいます。
一緒に生活している皆さんは、元奴隷だったそうです。
そんなことは、初めて彼らを目にしたとき、すぐに気が付きました。
身に纏っている衣服も、歩き方や話し方も、口にする食べ物も。
全てが、私に似つかわしくないものばかりだったからです。
今すぐにでも、この場所から逃げ出してしまいたい。
豊かな土壌に恵まれたエリオット領にある、私の……私達の屋敷に帰って、また、あの頃のような生活を送っていたい。
父様、母様、兄様。
屋敷のメイド達に世話係のデイジー。それに、コック長のダニエルや庭師のトム。
そして、ヘルムート様とマリーおば様。
みんなに、会いたい。
でも、そんな私の願いは、もう二度と叶うことは無いのでしょう。
それは分かっています。
分かっているのです。
ですが、納得できません。
なぜ、あれほど領民に慕われていた父様が、身に覚えのない罪状で領地を奪われなければならないのでしょう。
なぜ、エリオット邸で働いていた皆が、共謀者として裁かれなければならないのでしょう。
なぜ、私とヘルムート様を逃がすためにと匿ってくれていたマリーおば様が、命を落とさなければならないのでしょう。
なぜ、一緒に逃げおおせたはずのヘルムート様が、突然襲撃してきた刺客によって、殺されなければならなかったのでしょう。
なぜ、私を助けてくれた彼らは、もっと早くに駆けつけてくれなかったのでしょう。
なぜ、デカウ村の村人たちは、マリーおば様を責め、家に火を放ったのでしょう。
なぜ、ヘルムート様とマリーおば様のお墓を、デカウ村に作ってはならなかったのでしょう。
なぜ、私にこれほどひどい仕打ちをした人間が、ゼネヒットや旧エリオット領で、のうのうと生活しているのでしょう。
なぜ、私には、これらの不条理を覆すだけの力が、備わっていないのでしょう。
なぜ、私は、未だに生きているのでしょう。
これら全てを解決できるような、明確な答はないのだと、私も理解しています。
だからこそ、こんなことを考えながら生きていくのは、とてつもなくつらいではありませんか。
それなのに、彼は私に「生きろ」と言うのです。
デカウ村で刺客を倒した後、今にも事切れてしまいそうなヘルムート様やマリーおば様に対しても、彼はそう言っていました。
腹を一突きされたおば様や、首を切り裂かれたヘルムート様が、あの状況で生きながらえることなど、できるわけもないのに。
私よりも小さい彼には、そんなことも分からなかったのかもしれません。
最後の最後まで二人の手を握りしめたまま、彼は何度も叫び続けていました。
なぜ、そんな酷なことができるのでしょう。
これも、私には分かりません。
死んでほしくなかったのには賛成しますが、生きながらえたところで、地獄には変わらないのです。
先ほど、父様の処刑が執行されたそうです。
私は……私はどうしたら?
彼に言われるままに、生きることを選択しましたが、本当にこの先、生きていて良いことがあるのでしょうか?
それとも、彼らは私とルミーの氷魔法を利用するためだけに、私を生かしているのでしょうか?
全ての元凶だというハウンズに一矢報いるためには、私の力が必要だと、カーズという男が言っていました。
もし、復讐することができるのなら……。
そんなことも考えましたが、今はもう、何も考える気力がありません。
今日はもう泣き疲れたので明日の朝考えたいと思います。
次に私が目覚めた時、私自身の中で明確な答えが出てしまっていた場合……。
もしかしたら、これが私の遺言になるかもしれません。
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私はエリオット家の人間に生まれたことを誇りに思っています。
父様や母様だけでなく、沢山の方々が長い年月をかけて培ってきた家だからです。
だからこそ、私がその誇りに泥を塗る訳にはいけません。
ですので、今日を持ってメアリー・エリオットという女は死ぬこととします。
私はメアリー。
ただのメアリー。
彼の言うとおり、私は私からすべてを奪った奴らに一矢報いるため、この命を使います。
父様や母様、そしてヘルムート様やマリーおば様の人生に、大きな泥を塗りたくった奴らに、制裁を下す。
そのためならば、どんな苦しみも受け入れます。
それがどれだけ間違った道なのだとしても、私の歩みは歪まない。
きっと、ヘルムート様の下さった仮面が、私を導いてくれるはず。
これは私、メアリー・エリオットの遺言で、ただのメアリーの宣言よ。