第118話 切り札
色々なことを考えこんでいた俺に向けて、スタニスラスが語り掛けてくる。
「もしかして、だんまりを決め込むつもりか?」
その口調には、どこか苛立ちが含まれているようだった。
俺もそうだが、彼も周囲の熱気に身体が耐え切れなくなっているのかもしれない。
体中の気怠さを吐き出すように、俺が大きなため息を吐いた直後、スタニスラスの背後から、シエルの声が響いてきた。
「ニッシュ! あんた、そんな奴の言葉を真に受けてんじゃないわよ!」
床に空いた穴の奥で、マリーに寄り添っているシエルが、こちらを睨みつけてくる。
彼女から見た俺は、何か迷っているように見えるのだろうか。
頭の片隅で、そんな疑問を抱きながら、俺はゆっくりと頷いて見せた。
そんな俺とシエルのやり取りを見た直後、更に苛立ちの籠った口調で、スタニスラスが告げる。
「うるさいなぁ。邪魔するんじゃねぇよ」
途端、納めていた剣を抜き取った彼は、躊躇することなくシエルとマリーの方に飛び掛かって行った。
突然のことで、俺の反応が一泊遅れる。
「シエル!」
短く叫んだはいいものの、既に俺がスタニスラスの攻撃をどうにかできる状況ではない。
瞬く間にシエル達の懐に潜り込んだスタニスラスは、振り上げた剣を今にも振り下ろそうとする。
その様子を見ながら走り出していた俺は、腕を前方に伸ばしながら、ラインを描いた。
しかし、それらのラインを俺が描き切るより早く、シエルが大きく叫んだ。
「うるさいのはあんたの方よ!」
直後、一瞬部屋中の音が途絶えたかと思うと、ものすごい轟音が辺りに響き渡る。
同時に、一陣の猛烈な風が、スタニスラスや俺を巻き込んで吹き荒れる。
「ぐはぁっ!?」
その突風を真正面から受けたらしいスタニスラスは、短く声を上げながら吹っ飛んだかと思うと、壁を突き破って屋敷の外へと放り出される。
同じように、背中から吹き飛ばされそうになった俺は、転がりながら柱を掴んだことで、難を逃れた。
風の勢いが次第に弱まっていくのを確認した俺は、すかさず背後に目を向ける。
メアリーとヘルムートが心配だったのだが、ある程度の距離があったおかげだろうか、二人は無事だった。
続いてシエルの方に目を向けた俺は、茫然としているシエルに声を掛けながら、天井の方から聞こえて来た異音に反応した。
「何が……っ!? くそっ! 家が崩れちまう!」
ミシミシと音を立てる天井。
次々に現れる亀裂を目の当たりにして、俺がそう叫んだ時、シエルが返事をするように叫んだ。
「私に任せて!」
そういうと、彼女は口を大きく開けたまま天井を見上げると、先ほどと同じ突風を口から放ったのだった。
猛烈な風の圧力によって大きく押し上げられた天井は、バキバキという音を立てながら、空高くへと舞い上がってゆく。
そんな光景を見上げた俺は、ゆっくりと視線を落とし、シエルに問いかける。
「シエル……お前いつから、風魔法を使えるようになったんだよ」
「さぁ……私も良く分かんない。でも、なんとなく、使い方は分かるわ」
あっけらかんと応えるシエルの様子を見た俺は、思わず苦笑いを浮かべた後、彼女の傍に横たわっているマリーを見て、告げる。
「とりあえず、三人を安全な場所に運ぼう」
シエルがスタニスラスを吹っ飛ばした時、周囲の炎もかき消されたらしい。
また燃え広がってしまう前にマリーやメアリー達を一か所に集めた俺は、屋敷の壁に空いた大穴から脱出した。
吹っ飛ばされたスタニスラスはかなり遠くの方まで飛んだようだ。
畑の中にぶち抜いた壁と思われる瓦礫が散乱している。
また、シエルが巻き上げた天井も、少し離れた畑のど真ん中に、ボトボトと落下してきている。
それらの様子を伺った後、俺は、屋敷の前でうつ伏せに倒れている一人の女性を見つけた。
全身に無数の切り傷を負っている彼女は、出血のし過ぎで動けなくなっているのか、横目で俺を見ても、起き上がろうともしない。
そんな彼女と対峙するように、ゴリラのような生物が立ち尽くしている。
しかし、今はこちらではなく、飛んで行ったスタニスラスのことが気にかかるようで、畑の方に目を向けていた。
他の村人たちは避難してしまったらしい。
それだけ、激しい戦闘が行われたということだろう。
とりあえず、動けないヘルムートとマリーを地面に降ろした俺は、二人の手当てをメアリーとシエルに任せる。
そして、倒れたままのクリュエルに声を掛けた。
「外は外で、色々あったみたいだな。で? どういう状況だ? クリュエル」
「くっ……」
短く呻く彼女から、目の前のゴリラに視線を移した俺は、あごに手を当てながら呟く。
「あいつは、スタニスラスのバディ……エルバだったよな」
そんな俺の呟きが聞こえたのか、畑の中を歩いてきている男、スタニスラスが、ボロボロになった格好で告げる。
「なぜお前がその名を知っている?」
「お前、しぶといにも程があるだろ」
「ふん……先ほどの風魔法など、かすり傷程度だよ」
「そうは見えないんだけどな……」
髪はボサボサで、身に纏っていた衣服もボロボロになっている男を見て、呟く。
そして同時に、俺は先ほどのことを思い出していた。
スタニスラスから問いかけられた話。
俺が奪う側に回らない理由。
その話を聞いた時、一瞬、俺の中に戸惑いが生まれた。
この男の言う通りじゃないか。と。
だけど、その考えはどうやら間違いだったようだ。
正確に言えば、スタニスラスの質問は根本的な考え方から、間違っている。
「さっきの話だけどさ、俺分かったよ」
「は?」
おもむろに話し始めた俺に、スタニスラスは怪訝そうな顔を向けてくる。
「いや、お前が聞いてきたんだろ? なんで、こんな風に生きてるのかって」
言葉を並べながら、俺はさらに古い記憶を思い出していた。
『この世界で一番強いのはな! 自分の思い通りに世界を作り直せる奴なんだぜぇ!』
そんなことを言って、手にしていた酒瓶を美しい蝶のガラス細工に作り変えてしまったヴァンデンス。
理由は分からないが、彼のこの言葉が、ひどく俺の心に響いたのを覚えている。
だからこそ、俺は彼の言葉を借りたのだった。
「俺は、自分の思い通りに世界を作り直せるような、世界一強い男になる。そして、俺の思いの中に、沢山の大事な人達が居るんだよ」
「……わからないな。奪う側になれば、何も恐れる必要はないんだぞ?」
「まぁ、そう思うなら俺とお前の価値観が違うってことなんだろ」
彼の返事を聞いて、これ以上の会話は意味をなさないと感じた俺は、背後で手当てを続けているシエルに声を掛けた。
「シエル」
「? 分かったわ!」
特に説明しなかったにも関わらず、俺の意図を理解してくれた彼女は、すぐに俺の元に飛んできた。
右肩にシエルがしがみついたのを確認した俺は、躊躇することなく、彼女とリンクする。
突然俺の姿が変わったのを目の当たりにしたスタニスラスは、一瞬目を見開くと、エルバに指示を出す。
「っ! エルバ! 仕留めろ!」
その指令を聞いたエルバが動き出すよりも早く、俺は右腕を前に突き出した。
直後、俺の右手の指先から、無数の雷が放たれる。
バリバリという音を立てて空気中を貫いていった雷は、そのすべてがスタニスラスの胸元へと収束していった。
眩い光と耳をつんざくような音。
それらが過ぎ去った時、残っていたのは、黒焦げになったスタニスラスの遺体だけ。
動くことのないその遺体を一瞥した俺は、ため息と共に呟く。
「悪いな。お前らに対して、手加減してる余裕はなさそうだったから」
俺がそう判断したのは、至極単純な理由だ。
記憶の欠片で見たエルバの攻撃は、基本的に打撃技だけだったはずなのだ。
にもかかわらず、クリュエルの負っている傷は、無数の切り傷。
十中八九、エルバには何らかの切り札が残されていたに違いない。
その技を、わざわざ受けてやる義理があるようには思えなかったのだ。