第117話 小さな事実
「あっっつ!!」
そんな声を吐き出しながら飛び起きた俺は、直後、炎に包まれている自分の状況に気が付いた。
無防備に声を張り上げたせいだろう、喉の奥を掻き毟られるような嘔吐感に苛まれた俺は、ひどくせき込みながらその場にしゃがみ込む。
どうやら、メアリーの仮面を拾い上げた直後、意識を失ってしまったらしい。
それを証明するかのように、俺の頭の中では、つい今しがたまで見ていた『記憶の欠片』が駆けまわっている。
その記憶は、とても後味の悪い終わり方をした。
そして、記憶の後に現れたミノーラと、彼女の言葉。
色々と考えたいことは山積みだけど、今はそれよりも、やるべきことがある。
俺は少しずつ落ち着き始めた咳を強引に飲み込み、傍にいるメアリーに目を向ける。
出血しているヘルムートを抱きしめたまま、へたり込んでいる彼女。
幸いなことに、まだ意識があるらしい彼女の肩に手を添えた俺は、次にシエルの方に視線を投げた。
マリーの様子を見に行ったはずのシエルが、どこにもいない。
というか、炎の放つ光と、煙によって生じる影のせいで、部屋の中を充分に観察することは出来そうになかった。
それでも、シエルとマリーのことを諦めることはできない。
「シエル! 聞こえるか! 聞こえるなら返事をしてくれ!」
もう一度せき込むことを覚悟した俺は、躊躇することなく大声で叫ぶ。
そんな俺の覚悟を感じ取ってくれたのか、シエルが返事をしてくれた。
「ニッシュ! 聞こえるわ! マリーはまだ無事よ! でも、かなりひどい傷だから! 早く手当てしなきゃ!」
「分かった! ちょっと待ってろ!」
とはいえ、俺に何ができるだろう?
部屋中に満ち溢れる熱気が、俺の身体をじわじわと焼いてゆく。
そんな熱に対抗しようと、俺の身体も全身から汗を噴き出してはいるが、そんな微量な水分では太刀打ち出来っこない。
もし俺が、氷魔法を使いこなせれば。こんな場面もあっという間に解決できるのに。
そこまで考えた俺は、ふと、目の前で生気を失っている一人の女を見つめた。
「……そうだよ、そうだ! メアリー! おい! メアリーは氷魔法を使えるんだろ!? それも、とびっきり強い奴を! 頼む、その魔法で俺達を助けてくれ!」
「……」
両肩を揺すりながら頼み込んだ俺。
そんな俺のことを、まるで理解できない何かを見ているような目で、メアリーが見つめてくる。
止めどなくあふれ出てくる涙を、拭うつもりもないらしい。
ぼたぼたと床に落ちる雫は、しかし、あっという間に蒸発してしまうのだった。
こんな状態の彼女に頼るのか? それはあまりにも、酷じゃないか?
頭の中を過った考えに引っ張られるように、俺はゆっくりと視線を落とした。
『考えろ。俺に何ができる? 力魔法は、風魔法に似たようなことができる、なら、煙を追いやることもできるんじゃないか?』
少しずつ落ち着きを取り戻しつつある頭をフル回転させて、俺は周囲にラインを張り巡らせた。
なるべく俺やメアリーから煙が遠ざかるように、そして、シエルとの間に道ができるように。
間髪入れずにジップラインを発動すると、ゆっくりではあるが、煙が俺の描いたラインに沿って移動を始める。
『よし、次だ。遠ざけた煙を、どこかに逃がさないと……窓、はダメだ。俺達の退路がなくなる。くそっ……屋根さえなければ』
考えながら周囲を見渡した俺は、とあるものを見つける。
俺がメアリーの仮面を拾う前のこと。
俺達に向かって倒れこんできた壁のさらに奥には隣の部屋がある。
その部屋の天井付近に、小さな窓らしきものを見つけたのだ。
「あれだ!」
すかさず近くに転がっていた大きめの瓦礫を拾った俺は、躊躇することなくその小窓に向けて投げつける。
もちろん、瓦礫にはジップラインを通した。
そうして、勢いを増しながら小窓に飛んで行った瓦礫は、激しい音と共に窓を破壊する。
その様子を確認した俺は、すかさず、周囲の煙を全てその小窓の方へと流した。
『よし、これで少しは煙の脅威も減るだろ。次は、脱出だ……』
俺がそう考えた直後、背後からシエルの警告が飛び込んでくる。
「ニッシュ! 気を付けて!」
「っ!?」
彼女の声を聞いた直後、振り返りざまに接近してくる人影を目の当たりにした俺は、床に転がっていた瓦礫をがむしゃらに蹴り上げた。
その反撃が功を奏したのか、奇襲を仕掛けて来た男―――スタニスラスは瓦礫を避けるために足を止める。
「へぇ……お前、結構やるな」
「……生きてたのかよ、しぶとすぎるだろ」
先ほど俺が床に開けた穴から見える階下は、既に炎に包まれている。
そんな炎の中から、目の前の男がどうやって生還したのか、ぜひ教えて欲しいものだ。
「なぁ小僧、お前、今のこれがどんな状況か、よく理解してんだろぉ?」
「そうだな、早くこの家から出ないと、俺もお前もこんがりと焼けちまうってことは、理解してる」
「舐め腐ってんなぁ……まぁいいや。面倒くせぇし。で、お前はその嬢ちゃんを助けるつもりなのか?」
本気で面倒そうに言うスタニスラスを、俺は睨む。
熱気のせいで全身から噴き出してくる汗に、気を散らされそうになるが、俺は全力で目の前の男に注意を払い続けた。
気を抜けるほどの相手ではない。俺の直感がそう騒いでいた。
「……だったらなんだ?」
「なんでそんなことすんのかねぇ? お前あれだろ? ゼネヒットで暴れまわってたガキだろ?」
身構える俺の警戒心をおちょくるように、スタニスラスは口を動かし続ける。
そんな彼に対して、俺は沈黙で答えた。
「やっぱりそうだよなぁ。そんなに肝の据わった目のガキが、世の中に何人もいちゃぁ、敵わねぇしな」
そう言ったスタニスラスは、不敵な笑みを浮かべると、少し声のトーンを落として問いかけてきた。
「なぁ、なんでお前は、そんなことをしてるんだ?」
「は?」
「だってそうだろ? お前ほどの力があれば、なんだって奪い放題なんだぜ? 金に、物に、女に、命! 好きなだけ手に入れて、好きなだけ浪費する、奪う側の人間になれるんだ! なのになぜ、お前はそんなことをしてるんだ?」
そこで一度言葉を切った彼は、浮かべていた笑みを消し去ると、不気味な表情で、更に問いかける。
「お前に会ったら聞きたかったんだよねぇ……最高の人生を選べるのになぜ、お前はそれを放棄する?」
何一つ偽りのない、正真正銘の本心を吐き捨てるように、スタニスラスは告げた。
その問いかけの意味を、深く、深く理解してゆくにつれて、俺は息を呑んだ。
何かを守るのではなく、誰かを助けるのではなく。ひたすら奪い続ける人生。
それは確かに、俺が人生を謳歌することができる、1つの道なのだ。
親も友達も知人も、誰一人構うことなく、自分の為だけに生き続ける。
今の俺なら、そんな人生を歩んだところで、敵になりうる人は少ないかもしれない。
だってそうだろ? 俺はそれなりに強いんだから。
その人生を進むのであれば、閻魔の呪いを使わずに済むのかもしれない。
なにせ、守りたいものなどなく、逃げたいときに逃げることができるのだから。
気づいてしまった。
俺はそんな小さな事実に、この時初めて、気づいてしまったのだった。