第112話 追憶:祝いの品
メアリーの13歳の誕生日パーティ当日。
俺は慣れない正装に身を包み、大きな部屋の扉の片隅に立っていた。
エリオット邸で最も大きな応接間を、パーティのために飾りつけしたらしい。
その気合の入り具合は、俺の気持ちを浮つかせるのに十分だった。
ぞろぞろと揃いつつある参加者達を、俺は嘗め回すように見渡し、大きなため息を吐く。
「なんであんたがそんなに緊張してんのよ?」
「いや、これは緊張するだろ!? 俺、こんなパーティに参加したことないし」
「そう? 私も初めてだけど、特に緊張しないわよ?」
「どっちがおかしいかって聞かれたら、完全にシエルがおかしいだろ」
あっけらかんとしている彼女を俺は盗み見る。
対するシエルはというと、俺を見ながらニヤけて見せると、心底楽しそうに告げた。
「可笑しいと言えば、ニッシュ、なんかすごくお坊ちゃんみたいな恰好よね。ぶふぅ……ダメ、こっち見ないでよ」
整髪剤でピッシリと整えられた頭に、うっすらと施された化粧。
身に着けているスーツもさる事ながら、ピカピカに磨き上げられた靴はもう、普段の俺の姿を完全に消し去ってしまっている。
この俺の姿を、『記憶を見ている俺』が別人として目にしたとしたら、確かに笑い転げるだろう。
「人が気にしてることを遠慮なく言いやがって……」
まるで普段の調子を崩さないシエルに辟易とした俺は、歩き出した。
食事の並んでいないテーブルを囲んで、談笑を繰り広げている大勢の客に、俺は無言で会釈をしながら、部屋中を回る。
もちろん、ただ会釈をして回るために部屋を回ったわけでは無い。
怪しい者や人物が紛れてはいないかと、見回りをしたのだ。
そんな見回りが終わって元の位置に戻った時、そばを漂っているシエルがぼそりと呟いた。
「それにしても多いわね。13歳の誕生日って、そんなに盛大にお祝いするものなのかしら?」
「確かにな……去年の誕生日は、こんなに賑やかじゃなかったような」
俺もシエルの呟きに応えるように、囁き返す。
と、そんな俺の囁きを無視するかのように、シエルが俺の後頭部を小突いた。
「あ! ニッシュ! パトリック様が来たわよ!」
小突かれた後頭部をさすりながら振り返った俺は、扉の陰から手招きをしているパトリックを見つけ、そそくさと彼の元に駆け寄った。
部屋の中で話しにくいのだろうか、廊下に出た俺達は、人影の少ない廊下の隅で話し始める。
「おう、ニッシュ。思っていたよりも、似合っているじゃないか」
「パトリック様まで馬鹿にするんですか……俺、もう拗ねますよ?」
パトリックの言葉に、苦笑いを浮かべながら返した俺。
そんな俺の様子を見て、彼は楽しそうに笑った。
「はっはっは。どうしてそんなに卑屈になるんだ? 本当に似合っているぞ?」
本当に似合っていると思ってくれているようだ。
俺がそう思った瞬間。口を挟むようにシエルが呟く。
「パトリック様ったら、お世辞が上手ですねぇ」
「シエルのせいで本当にお世辞だったみたいじゃねぇか」
思わずツッコミを入れてしまった俺を見て、やはりパトリックは楽し気に笑みを浮かべる。
ひとしきり笑ったことで満足したのか、パトリックは少し真面目な表情で問いかけてきた。
「ところで、首尾は上々かな?」
「はい! 会場に異変などは見当たりません!」
「変な人もいないわね。まぁ、見た目でしか判断できないけど」
「よし、さすがニッシュ君だ。それじゃあ、ニッシュ君には、1つ大仕事を頼もう」
「大仕事ですか?」
「なになに!? もしかして、メアリー様にサプライズでもするんですか!?」
「ははっ。まぁ、そんなところだ。これを見たまえ」
やはり楽しそうに話を進めるパトリックは、周りに人がいないことを確認すると、懐から何やら小さな箱を取り出した。
「これは?」
「今日のパーティで、メアリーはある方と婚姻を結ぶことになる。その時に、相手に送る祝いの品だよ」
「婚姻!? それって、結婚するってこと!?」
驚きが大きかったのか、シエルが割と大きな声を出した。
「しっ! 声が大きい!」
「あ、すみません」
彼女の声に焦ったのか、パトリックが口に人差し指を当てて静寂を求める。
シエルもまた、驚きすぎたことを反省したのか、素直に口を閉ざした。
「で、だ。パーティの途中でお互いに祝いの品を送り合う催しがあるから、その時、君がこれをメアリーに渡しに行ってくれ」
「分かりました……でも、その役は普通、親がやるのでは?」
この疑問は、それほど不思議なものではないだろう。
親から受け取った祝いの品を、互いに送り合うことで、婚約の契りとする。
なんとも粋な計らいではないか。
しかし、俺の放った疑問は、パトリックの顔に影を落とした。
「いや……まぁ、色々あるんだ。相手方も親ではなく傍付きの者が、この役目を担う予定だから、安心したまえ」
『なにか、貴族ならではの事情でもあるのだろうか。まぁ、平民には分からない事情なんだろうなぁ』
そんな風に、この時の俺も自分を納得させたのだろうか。
大きく頷いて見せる俺を見て、パトリックはもう一度満面の笑みを浮かべる。
「よし。それじゃあ、しっかりと頼むよ」
そう言って歩き出そうとしたパトリックは、何かを思い出したかのように踵を返すと、俺に囁きかけてくる。
「あぁ、それと、言い忘れていたが、その祝いの品はあくまでもサプライズだ、くれぐれも他の人に見せたりするなよ?」
「分かりました」
快諾した俺を見て、今度こそ満足した様子のパトリックは、そのまま廊下の奥へと歩き去って行く。
そんな彼とすれ違うように、メイドが一人俺達の方へと歩いてきた。
メイドは俺を目にすると、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あら、ウィーニッシュ。護衛のお仕事は順調?」
そう声を掛けてきたのは、大量のパンが並べられた篭を両手に持った母さんだ。
見た目だけは一人前のメイドだ。
正直、母さんの歳でフリフリのスカートやエプロンを着こなすことができるのかと心配だったが、余計な心配だったらしい。
「母さん。うん。特に問題ないよ。……1つ持とうか?」
「順調ならよかった! ふふふ、大丈夫よ! 母さんに任せて!」
本当に、見た目は問題ない。
強いて問題があるとすれば、その仕事振りだけだ。
『パンの盛り合わせを母さんに運ばせてる辺り、ここのメイド長は良く分かってるな』
最悪、床にぶちまけても、客の服を汚したりはしないだろう。
危うい足取りで歩く母さんが、無事にテーブルまでパンを運びきったところまで見届けた俺は、安どのため息を吐く。
そんな母さんに続くように、他のメイドたちが様々な食事を運び入れ始めた。
どうやら、もう少しでパーティが始まるらしい。
「そろそろ始まるよなぁ……あぁ~、なんか緊張でトイレに行きたくなってきた。シエル、ちょっと見張りをやっててくれ」
「何言ってんの!? もう、早く戻って来なさいよ!?」
突然襲い掛かって来た尿意を我慢できず、シエルに後を託して、俺は便所に向かう。
預かったプレゼントをスーツの懐のポケットに収納して、用を足した俺は、胸元のふくらみを見下ろしながら手を洗った。
「それにしても、パトリック様も粋なことを考えるよなぁ……祝いの品って、何なんだろ? ちょっと中身が気になるなぁ。ま、さすがに開けちゃまずいか」
そんなことを呟きながら手を洗い終えた俺は、いつも通りに、手に魔法をかける。
メアリーとの魔法の特訓のおかげで、ある程度の魔法を使うことができていた俺は、いつも手を乾かすときに風魔法を使っていた。
ハンカチでも良いのだが、個人的には風魔法の方が好き。
理由はその程度だ。
しかし、その選択が、一つの大きな分岐点になる。
「ぅあっち! なんだ!? 煙!? っていうか、この煙くさっ!」
風魔法を使用した途端、俺は胸元に猛烈な熱を感じ、思わず大きな声を上げてしまう。
胸のふくらみのあたりから、黙々とあふれ出してくる煙に耐えかねた俺は、スーツのジャケットごと、その場に脱ぎ捨てた。
猛烈な臭さと焦げ臭い煙が、便所に充満してゆく。
ようやく煙の発生が収まったことを確認した俺は、先ほどジャケットの懐にしまった小箱を取り出した。
なぜか焦げて穴が開いてしまっているその小箱を手にした俺は、その中身を見て呟いた。
「どうなってる? なんだ、これ」
恐る恐る取り出された箱の中身は、小さな筒状の物体。
『俺』はこれを、どこかで見たことがある。
『これは……前に見た煙幕と同じ物か?』
明らかにおかしい。
そう感じたのは『俺』だけではなかったようで、まじまじと筒状の物体を見つめた俺が小さく呟く。
「こんなのが婚約祝いの品?……な、わけないよな」
「はぁ……まさか、こんなところで発動させてしまうとは」
今にも走り出そうとした俺の身体が、その人物の声を聞いて固まる。
「っ!? 誰だ!?」
「悪いが、正直に答えるつもりは無い」
勢いよく背後を振り返ろうとした俺は、全身に強い衝撃を受け、ゆっくりと意識を失い始めた。
徐々に暗転してゆく意識の中で、『俺』は確かに、理解し驚愕するのだった。
『こいつ……ゲイリーか!?』