第108話 拘束
マリーの家付近に着地した俺は、ぞろぞろと増え始めている人だかりを見渡しながら呟く。
「なにがあったんだ?」
「随分怒ってるみたいね。あ、マリーが出てきたわよ」
シエルの言うとおり、集まっている村人の多くは、怒りの表情を浮かべている。
よほどの事態が起きたのだろう。
まるで、その怒りのはけ口にするように、皆が一様にマリーに対しての罵声を上げていた。
とりあえず事情を知るために、俺は一番近くにいた村人に声を掛けてみる。
「あの、すみません、何かあったんですか?」
「あ? うるせぇ! ガキはすっこんでろ!」
問いかけを聞いた村人は、一瞬だけ俺を睨みつけたかと思うと、そう言ってマリーの家に向き直ってしまった。
そんな男の態度に、シエルが声を荒げる。
「なっ! そんな言い方しなくても良いじゃない!」
「シエル、落ち着け、ここはもう少し落ち着くのを待とう」
今にも男の襟足に掴みかかろうとするシエルを引き留めた俺は、次の瞬間、頭上からかけられる声を耳にした。
「そう簡単に事態が収束するとは思えんがな」
その声の主は、ゆっくりと空から降りてきたクリュエルだ。
「クリュエル! どうしたんだ? 仮眠はもう良いのか?」
「それどころじゃないだろう? とりあえず、この場を離れるぞ」
いつの間にか仮眠をやめて、この騒ぎのことを調べていたのだろうか。
とりあえず、事情を知っているらしい彼女について、俺はジップラインを伸ばしてゆく。
俺の作った小屋のあたりまで離れたところで、クリュエルが移動をやめたため、俺は地面に降り立ち、待ちに待った質問を投げかける。
「で、あの騒ぎは一体何なんだ? 何か知ってるのか?」
「あれは村人たちがマリーに対して今までの鬱憤をぶつけているんだよ」
「いや、それは見れば分かるわよ。その原因を聞いてんの」
苛立ちを隠さないシエルの言葉を聞いたクリュエルは、少しだけ眉を顰めると、言葉を並べ始める。
「つい先ほど、ロゴフスキ家より通達が来たらしい。来月から、この村の税率を二倍に引き上げると」
「なっ!?」
驚きのあまり、俺は言葉を失った。
特定の場所だけ税率を二倍にするなんてこと、常識で考えればありえない。
しかし、この国では至極当然のように実施されているのだろうか。
そして俺は、この急な宣告の目的を早急に理解した。
「この村から、メアリーの居場所を奪おうって魂胆か」
「まぁ、そうだろうな。戦略としては、どちらに転んでも狙い通りの効果が得られる、良策だし。どうせ、反対する者はゼネヒット送りになる。あいつらのいつものやり方だ」
クリュエルの言うとおり、この戦略はロゴフスキ家にとって都合の良い内容のようだ。
「どうするの!? このままじゃあ、メアリーを穏便に連れて行くなんて、到底無理じゃない!」
マリーの家の方を見つめたシエルが、不安そうにそう告げる。
そんな彼女に続くように、俺はクリュエルに問いかけた。
「そうだ、メアリーは無事か!? まさかこんな騒ぎだと思ってなかったから、放置してきたけど……」
「それは問題ない。先ほど空から偵察していた際に、裏口からマリーの家に入っていくのを見た」
「ヘルムートは!? 今の話が正しいなら、彼も危険よね!?」
メアリーの無事に安堵した俺は、続けざまにシエルから投げられる情報を頭で整理する。
ヘルムートは水路の修繕をしていたはずだけど、騒ぎを知っている村人たちに見つかれば、確かに危険かもしれない。
そんなことを俺が考えた時、クリュエルが気怠そうに告げた。
「優先度的には、断然メアリーだ。正直、ヘルムート・ウォルフを救出することに必要以上の意識を裂くつもりは無い」
「へ?」
情け容赦ない彼女の言葉を聞いたシエルは、ぽかんと口を開けて絶句してしまった。
そんな彼女の代わりを務めるために、俺はクリュエルに提案する。
「おい、ちょっと待て! ヘルムートを助けた方が、メアリーの協力を得やすいんじゃないか?」
しかし、俺の提案を聞いたクリュエルは、小さく鼻で笑うと、静かに告げた。
「何を言っている?」
一旦、短く言葉を切った彼女は、俺の目を見つめながら続ける。
「ヘルムートがハウンズのせいで命を落としてしまった。そのシチュエーションの方が、メアリーも復讐に燃えるとアタシは思うが?」
彼女の言葉に思わず激高しかけた俺は、大きく息を吐き出すことで自分を落ち着かせる。
そして、声音に怒りを乗せながら、俺は問いかけた。
「っ……それ、本気で言ってんのかよ!?」
「本気だけど?」
「ふざけるな! もう良い! 俺は今からもう一度マリーと話をしに行く!」
これ以上話をしても得られるものは無い。
そう判断した俺が、クリュエルを無視してマリーの家に向かおうとしたその時。
俺は後頭部から首筋にかけて強烈な痛みを覚えた。
「がっ!?」
どうやらクリュエルによって攻撃を受けてしまったらしい。
少しずつ薄れてゆく意識の中で、俺はクリュエルが次のように告げたのを耳にする。
「邪魔をするな。もう少し大人しくしていろ。動くにはまだ早い」
そこで完全に気を失ってしまった俺が、次に目を覚ました時、目の前の光景ががらりと変わってしまっていた。
まず初めに気が付いたのは、高度だ。
意識を失う前は地面に立っていたはずなのに、いつの間にか高い場所にいる。
正確には吊るされているようだ。
両手両足が背中の方で固定されていて、身動きを取ることができない。
仕方がないので身体を捩じって暴れようとしてみるものの、後頭部から腰にかけて、一本の硬い棒状のものがあるため、自由に動けない。
その棒状のものに、俺の全身がロープでぐるぐると結び付けられているのだ。
どうしたもんかと俺が途方に暮れかかった時、頭上の方から俺に呼びかける声が響いてきた。
「ニッシュ! やっと目を覚ましたの!?」
どうやらシエルは、俺を吊るしているロープの途中に括りつけられているらしく、声とロープの振動で存在を示してきた。
そんな彼女に状況を尋ねようと、視線を少し上に上げたところで、俺はようやく気が付く。
村の方、マリーの家の方が、妙に明るくなっているのだ。
少しぼんやりと暗くなり始めているような空を、赤く照らし出すような光。
その光を形容するなら、一言。空が燃えているようだ。
「シエル? これは……クリュエルの奴か、くそっ! 今どうなってる……!? おい、シエル、あの光はなんだ!?」
「……村の人たちがマリーさんの家に火をつけたの。もう、何が何だか分からなくなってるわ」
「嘘だろ!?」
「ニッシュ! ジップ・ラインで、なんとかできない!?」
「やってみる!」
シエルの提案に応えるように、両手からあらゆるジップラインを伸ばそうと思った俺だったが、中々上手くいかなかった。
両手を背中で固定されていることもあって、ラインを描きにくいのだ。
「くそっ! 拘束するにしても、ここまでするか!? 一応協力相手だろ!?」
それでもあきらめることなくラインを描き続けた俺は、しばらくして、眼下にある一つの石を持ち上げることに成功する。
「よし! 上手くいった!」
持ち上げた石を高速回転させながら近づけた俺は、俺を拘束しているロープの切断に取り掛かる。
そこまでいけば案外早いもので、俺はシエルの拘束も解き、間髪入れずにマリーの家に向かって飛んだ。
家の周辺を、松明や農具を持った村人が取り囲んでいる。
そんな様子を眺めて、ため息を吐こうとした時、甲高い悲鳴が辺りに鳴り響いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「今の声は! メアリーか!」
「ニッシュ! 今の声は二階の左から3番目の窓辺りから聞こえたわ!」
「分かった!」
シエルに言われるがままに、俺はマリーの家の窓に向かって突進する。
「間に合えぇっ!!」
無駄だとは知りながらも、叫び声を上げた俺は、燃え盛る建物の二階の窓に飛び込んだのだった。