追放された真顔の聖女は、なにがなんでも祈り続ける。
「聖女セフィー様、王城からお迎えに上がりましたーっ!!」
――十五歳の頃。
修道院に身を置いていた孤児の私の元に、王城からの使者が来て、そう言った。
ちょうど三週間前に、この国の聖女が亡くなったそうだ。
その一週間後、なんと私のお腹に、聖女の紋章が現れた。
そして二週間後の今日、王城から迎えが来た。
トントン拍子で、事は進んだ。
どうやら私は、新しい聖女になったらしい。これからは王城で、祈りを捧げて暮らすのだそう。
王城からの使者は四人。
女性騎士二人と、たくましい壮年の男性騎士と、私と同い年の若い騎士。
彼らはこれから、私付きの護衛になるらしい。
開口一番、若い護衛騎士は満面の笑顔と共に、元気いっぱいの声で、私に迎えの挨拶を繰り出したのだった。
対する私は、彼とは正反対の、抑揚のない声で返事をした。
「聖女セフィー、ですか。本当に私は聖女になるのですね。まぁ、神が望むのならば、お受けするしかありませんか……。では皆様、これからよろしくお願いします」
あまりに淡々とした私の様子に、使者たちは目を丸くした。
――かくして私、孤児のセフィーは聖女となった。
これは私が聖女になってからの、怒涛の数年間の覚え書きだ――……
■
――十五歳の頃、聖女に選ばれたらしい私の元に、王城から迎えが来た。
私はあっという間に馬車に乗せられ、修道院を旅立った。
上等な黒い馬車を囲むように、四人の護衛騎士たちが、それぞれの馬を並ばせる。
なんてことない孤児の私が、このような扱いを受ける日が来ようとは。
あまりに現実感がなくて、私はひたすら淡々とした態度でいた。
その様子に、使者たちは面食らったようだった。
旅の道中、そんな愛想の欠片もない私を、かまってくれた人がいた。
同い年の若い護衛騎士が、馬車の窓からこちらへ向けて、へラリと軽口を飛ばす。
「もう少し喜ばれるものかと思いましたよー! 聖女になって王城暮らしなんて、この世の娘たちの憧れ街道じゃないですか! セフィー様は落ち着いていらっしゃいますね、さすが聖女様だ! やっぱその辺の人間とは貫禄が違うや」
うんうん、と一人笑顔で頷く若い騎士は、赤茶の髪とまぶしい笑顔が、まるで日差しのような人だ。
対する私は、日陰のような人間だ。
のっぺりとした長い黒髪に、グレーの瞳。凹凸のないヒョロっとした体。
そして無表情、平坦な声音。
この私の、人間味を削ぎ落したかのような姿は、筋金入りである。
修道院の長に『長年放置されて、ほこりをかぶった人形』とまで称されたほどだ。
でも仕方ない。
なにせ私には『笑顔』を教えてくれる人間が、周りにいなかったのだから。
家族はいないし、修道院暮らしは粛々としていて、笑う機会もなかったし。
若い騎士にその話をすると、彼はカラカラと笑った。
「失礼しました、聖女様は大変な苦労をされていたのですね。俺は逆に、家族から笑顔しか教えられなかったせいで、変な苦労をしてきましたが」
「笑顔で苦労することが、あるのですか?」
「剣の稽古中に笑顔で挨拶をしてしまうと、先輩たちに『お前余裕だな』なんて難癖をつけられてしまったり。あとは、ヘラヘラするなと怒られたり。それから緊張感がないとか、軽いとかチャラいとか――……」
私は真顔で淡々と、彼の話に耳を傾ける。
若い騎士は、人形のような私をよそに、ニコニコしながらペラペラ喋る。
「俺の家、辺境伯に仕える騎士の家系なんですよ。辺境には魔物が出やすいから、有事に備えての訓練もめちゃめちゃ厳しいし、実際危険が迫ることも多いんです。でも、だからこそ、『笑顔を絶やさず強かに暮らそう!』というのが、家訓になっていて」
「まぁ。あなたのお日様のような笑顔には、そのような理由が」
「一家全員、この笑顔です!」
若い騎士はビシッと胸に手を当て、強い日差しのような、豪快な笑顔を見せた。
彼は家族をよく愛し、よく愛されているようだ。
この日差しの笑顔を育んだ家族だ。きっと素晴らしい人たちに違いない。
家族のいない私には、彼の話がとてもまぶしく、興味深いものに感じられた。
私は自分の人形のような顔を、ペタペタとこねてみた。
(こういう人たちの間で育っていたら、私の表情筋も、もう少し仕事をするようになっていたのかしら)
私は平坦な返事を返すことしかできなかったが、王城への旅は、彼のおかげで大変楽しいものになった。
きっと歳若い聖女を退屈させないために、先方はわざわざ同じ年頃の、明るく人当たりの良い護衛騎士を寄越したのだろう。
――私は心の内でそっと、その配慮に感謝した。
王城に入ると、早速聖女の仕事が始まった。
と言っても、仕事自体は簡単なものだった。
毎日一度、ただ熱心に、天へと祈るだけ。たったそれだけだが、とても大事な祈りらしい。
聖女は一つの国に一人、神から選ばれる。前任が亡くなれば、次の者に印が現れる。
聖女が国土を踏みしめ、祈りを捧げることで、国に魔払いの結界が張られるそうで。
祈りをサボれば結界が弱まり、魔物が入り込む。祈りが雑であっても、同様だ。
前聖女は老齢で、ここ半年ほどは、なかなか熱心な祈りができない体調であったそうだ。
その結果、今、結界はゆるみにゆるんでいるそうで。
王は新しく聖女となった私を、喜んで迎え入れてくれた。
私は謁見の間で、王へ粛々と挨拶をした。
「聖女のお役目、このセフィーが精一杯、勤めさせていただきます」
要人たちがズラリと立ち並び、私は彼らの視線を一身に浴びる。
中でも、王、第一王子、第二王子の視線は、特に圧があったように思う。
王の目は、見定めるかのような目。
第一王子は、絡みつくような熱っぽい目。
第二王子は、優しく穏やかな目で、私を見た。
彼らの視線の理由を知ることになるのは、一年後の話だ。
ともあれ、無事聖女の任についた私は、一日もサボらずに国の平和を願い、心からの祈りを捧げたのだった。
■
――十六歳の頃。
なんと私に、婚約者ができた。
お相手は、『第一王子アンドリュー王太子』だ。
王は随分と、私のことを気に入ったらしい。
毎日熱心に祈る姿を、評価してくれたのかもしれない。
(まぁ、聖女と王太子を結婚させて、両者に箔をつけるという意図も、あるのだろうけども)
私は、ふむ、と理解した。
聖女という身分になった今、もはや私の身は、私のものではないのだ。
そのあたりはもう、割り切るしかないだろう。
良くも悪くも、私は感情が表に出ない質なので、それなりにやり過ごせると自負している。
――なんて、大人ぶってみたけれど。そんな言葉はどこへやら。
私の胸にはもう既に、彼に対して、淡い想いがくすぶっていたのだった。
第一王子アンドリューは、それはそれは甘い笑顔をこぼす人だった。
金髪碧眼の、ため息が出るような美青年。
痩身で上品な見目の彼に、煌びやかな王族の衣装はとても良く映える。
城の中庭で開かれた懇親の茶会で、彼は私の手を取り、流れるような所作で口づけをした。
まさに、絵本から出てきた王子様のようだ。
彼は甘くとろけるような声音で、私の耳に囁きを落とした。
「あなたはまるで、高価な人形のようなお人だ。僕の口づけに、顔色一つ変えないなんて」
キラキラとした甘い笑顔が、私の頬へと近づいてくる。私は思わず目を伏せた。
下を向いたまま、静かに彼に言葉を返した。
「顔には出ない質なのですが、私にだって、気持ちや心はありますのよ」
彼は私の返事に気を良くしたのか、甘い笑みをさらに深めて、今度は頬に口づけを落とした。
ひとしきり口づけの雨を降らせた後、第一王子アンドリューは早めに会を後にした。
何やら執務があるようで。
忙しい中、わざわざ婚約者の私のために、時間を取ってくれたのだろう。
残された私は、手持ち無沙汰をまぎらわすように、侍女が入れ直した紅茶をすすった。
庭の隅に控えていた、同い年の若い護衛騎士に、声をかける。
「アンドリュー様に、口づけをされました。人形のようだと言われてしまいましたが、私は彼に、嫌われましたかね」
若い騎士はいつもの笑顔で、励ますような明るい声を返した。
「とんでもございません! 嫌われてはいないかと思いますよ! むしろセフィー様の慎ましさに、心を動かされているご様子でした。一つ申し上げるならば、殿下に微笑み返して差し上げるべきだったかと。男は総じて、乙女の笑顔に弱い生き物ですから!」
「なるほど。殿方は笑顔に弱いのですね。良いことを聞きました」
私の感心の声を聞き終えるやいなや、若い騎士はスッと下がり、姿勢を正した。
そしてコソッと、小声をかけてきた。
「第二王子ジルフィス殿下がお見えになりましたよ。セフィー様、ここは実戦で鍛えましょう。笑顔でご挨拶をいたしましょうね!」
渡り廊下から中庭へ降り、第二王子ジルフィスが、こちらへ歩み寄ってきた。
私はサッと立ち上がり、挨拶をする。
「ジルフィス様、ごきげんよう」
私の挨拶に、第二王子ジルフィスは困ったような笑みを向けた。
彼はいつも、困り顔で笑う人だ。
甘い顔をした第一王子とは対照的に、彼は普段、ピシリとした表情をしている。
背が高く、綺麗に鍛えられた体。精悍な顔立ちは、まるで王子というより騎士のようだ。
サラリとした銀色の髪に、赤みを帯びた瞳をしている。
困り顔で苦笑をもらし、彼は私に言葉を返した。
「……聖女よ、なにやら口元が引きつっているように見えるが。私と会うのは、嫌だったか……?」
「いいえ、そのような気持ちはございません。笑顔でご挨拶をしたつもりだったのですが。私の笑顔、引きつっていましたか?」
「……あぁ、見事な『苦笑い』になっている」
「それは、なんとまぁ。大変申し訳ございません。私には、笑顔の練習が必要なようですね」
第二王子ジルフィスに指摘され、私は自分の頬を、両手でペチペチと叩いた。
が、ふいにその手を掴まれた。
彼の銀色の髪がサラリと揺れ、赤い瞳が私をとらえる。
「無理に笑顔を作る必要はない。あなたはそのままの表情で、十分魅力的だ」
彼は少々の困り顔と共に、穏やかで優しい笑みをこぼした。
思いがけない言葉に、私は真顔で、ただただ目をパチクリさせるのだった。
■
――十七歳の頃。
第一王子アンドリューに、妾ができた。
婚約期間中に、早くも妾を作るとは。
権力者は色を好むというのは、なるほど、本当らしい。
つい一年前まで私に落としていた、甘くとろける口づけの雨を、今現在、彼はせっせと妾に落としている。
甘い笑みと、甘い声と共に。
「クリスティアーナ……君の微笑みは、まるで花のようだ。仮にも婚約者のいる僕を虜にするなんて、なんて罪なお人だ」
「いけません、アンドリュー様っ。こんなところで、そのように甘い口づけは……聖女様に怒られてしまいます……っ。あぁっ、そんなところに口づけを……! おやめになって! 聖女様に祟られてしまいますぅっ」
クリスティアーナ。最近妾になったらしい、伯爵家の令嬢だ。
クリーム色のフワフワとした髪と、豊かな胸元を持った女性である。
第一王子アンドリューと妾クリスティアーナは、庭の花園の影に隠れるようにして、愛を深め合っている。
いや、正しく言うと、全く隠れてはいないけれど。少なくとも今、私のいる二階のバルコニーからは、モロ見えである。
私は彼らをまじまじと眺めながら、いつもの若い護衛騎士に小声をもらす。
「やっぱり殿方には、人形のような愛想のない女より、花のように愛嬌のある女性が好まれるのですね」
「セフィー様のお心の痛み、お察しいたします……」
若い護衛騎士は珍しく、険しい顔で言葉を返した。
が、それも一瞬。
ケロッといつもの日差しのような笑顔に戻ると、明るい声を上げた。
「ですが、世の中には色々な人がいますから! 目移りする浮気な人間もいれば、硬派な人間もおりますし、好みだって色々だと思いますよ。決してセフィー様に魅力がないわけではございません、断言いたします!」
若い騎士はニコリと笑い、私を誘導するように、視線を後ろへと向けた。
彼の動きにうながされ、私は後ろを振り返る。
と、そこには、第二王子ジルフィスが歩み寄ってきていた。
彼はいつもの困ったような笑顔で、私に声をかけてきた。
「その……不出来な兄がすまない。陛下にも色々と、進言してはいるのだが……。なにぶん、忙しい身ゆえ……」
「いいえ、お気になさらず」
私はいつもの調子で、淡々とした言葉を返す。
「アンドリュー様はいずれ、国を継がれるお方です。私は見ての通り、貧相な体つきですから、子をもうけられるか少々不安がありますゆえ。妃は二、三人、娶るくらいがちょうど良いのでは?」
「しかし……そうは言っても、私はあなたのお心が心配だ」
「私の心、ですか」
心配そうに細められたジルフィスの赤い瞳に、私は真顔で目をパチクリさせる。
少し考え、言葉を返した。
「そうですね、私にも色々と抱えている気持ちはありますが。まぁ、表に出したところで、仕方のないことですし」
言いながら、いまだ盛り上がっている、花園の二人を見下ろす。
ジルフィスも同じように視線を移し、苦笑しながらため息をついた。
「来年あたりには、陛下も大きな仕事が一段落するゆえ。どうにか事態を良い方向へ動かせるように、私も尽力する」
そう言うと、ジルフィスは私の髪を優しく撫でた。
私は身じろぎをせず、人形のようにされるがままとなり、ただぼんやりと、優しい手の主を見上げた。
■
――十八歳の頃。
「聖女セフィー! 本日この時をもって、僕アンドリューはお前との婚約を破棄する!」
第一王子アンドリューは、自身の執務室で、高らかに声を上げた。
突然彼に呼び出された私は、何の表情も浮かべず、静かに宣告を聞く。
「お前は嫉妬に狂い、クリスティアーナを祟ったことで、聖女の力を失ったのだ。お前はもう聖女などではない! ただの孤児の娘――いや、罪人だ! 僕の可愛いクリスティアーナを祟ったのだからな」
第一王子アンドリューは、いつものキラキラとした雰囲気をまといつつ、芝居のような美しい手振りを交えて、私をバッサリ断罪した。
王が外国を訪問している間の出来事。
さらには、第二王子が地方に視察に出向いている間の出来事だった。
アンドリューの隣には、その腕に絡みつくクリスティアーナ。豊かな胸が、彼の腕にたぷりと乗っている。
そのくらい出るところが出ている体をしていたならば、表情筋が機能していない私も、殿方の気を引けたりするのだろうか。
なんて、おかしなことを考えつつ、アンドリューに、淡々と言葉を返す。
「私は特に、彼女を祟っていませんし、聖女の力も失っておりません。今日もいつも通り、祈りを捧げて参りましたし。国を守る結界は、いつも通り強固なものとなっております」
「ふん、見苦しいな。結界の守りは、聖女クリスティアーナの祈りによるものだ! 聖女の力はもう、クリスティアーナへと移ったのだ。――ほら、クリスティアーナ、見せてごらん?」
アンドリューは、言葉尻を甘い声音にすると、クリスティアーナの胸元を、チラリとはだけさせた。
その大きな胸の上部には、赤い聖女の紋章が浮かんでいた。
……浮かんでいた、というか、刻まれていた、というか。
要は色インクによる、タトゥーがほどこされていたのだった。
(周囲の肌まで赤く腫れているわね。胸に彫りものをほどこすとは、さぞ痛かったことでしょうに)
妙な心配をしてしまった私をよそに、アンドリューは続ける。
「この紋章こそが、彼女が真の聖女である証だ。どうだ、君にはこの証があるのかい?」
「私にも聖女の紋章は、あるにはありますが。ここで晒すことのできないような、服の下にありますゆえ」
「ははっ、言い訳はお手の物か。小賢しい人形娘め」
私の聖女の紋章は、へその下にあるのだ。
見せるとなると、あられもない姿を晒すことになるのだけれど。
私は執務室をぐるりと見回した。
私の側に、いつもの若い護衛騎士と、女性騎士が二人。廊下にはもう一人、壮年の男性騎士が待機している。
アンドリューの方には、男性騎士が八人。
やっぱり常識的に考えて、男性の多い中で、腹の紋章を晒すわけには――……
――というか、相手側のこの人数は、異様ではないか。なぜ八人も、屈強な騎士たちが……
私は直後に、理解することとなった。
「僕は真の聖女、クリスティアーナと婚約を結ぶ! そして祟りをもって彼女に害をなした、元聖女セフィーを国外追放の刑に処す! お前たち、セフィーを城から引きずり出せ!」
屈強な騎士たちが、こちらに歩み来た。
私の護衛騎士たちが、即座に前に庇い立つ。
暴力沙汰の気配を察知し、私はサッと意見をひるがえした。
「お待ちくださいませ。わかりました。私は罪人として、国外追放を受け入れましょう。ですが、」
いつも通り淡々と、けれどいつもより少しだけ力を込めて、私は言い放った。
「私は、なにがなんでも、聖女の祈りを続けますので。その点はご容赦くださいませ。では、行って参ります」
潔く踵を返した私に、アンドリューは慌てた声を上げる。
「ま、待て! 護衛や兵を連れていくことは許さんぞ」
「それは困ります、私は馬に乗れませんので。最低一人は、御者もしくは、馬に同乗していただく方を連れて行かなくては、まず国外へ出られません」
続けて私は、少しの煽り文句を口にした。
「それとも、お優しいアンドリュー様が元婚約者の私を憐れみ、手ずから国外へ移動するご手配をしてくださるのですか?」
「アンドリュー様ぁっ! この人に情けをかける必要などありませんっ!」
私の言葉に、わかりやすくクリスティアーナが嫉妬心をあらわにした。
クリスティアーナの言葉に後押しされ、アンドリューは訴えを聞き入れる。
「む……そ、そうか。では、一人だ。一人馬に乗れる者の同行を、許そう。僕はお前のためにさく時間などないから、己で用意して、サッサと出て行くがいい!」
私はふむ、と考える。
とりあえず、同行者を連れていける。まぁ、及第点だろう。
さて、人選はどうしようか。
私はソロリと、若い護衛騎士を仰ぎ見た。
この人は、十五歳の頃は少し背が高い程度であったが、十八歳の今では、もう見上げるほどになっている。
――などと、つい、母親じみた感慨深さにひたってしまったが、今はそれどころではない。
私は気を取り直して、若い騎士に声をかける。
「つかぬことをお聞きしますが、あなたに恋人などはいらっしゃいますか? 長く外へ出ることに、何か不都合などは?」
「いえ、恥ずかしながら、俺は一人身です。――と、これは護衛のお誘いですか? 供なら、女性騎士の方が良いのでは?」
「私が一番、信を置いているのがあなたなのです」
「それは光栄ですが……」
彼はさすがに神妙な顔をしていた。
が、なんやかんや、城を出る頃には、いつもの日差しの笑みをたたえていた。
いや、いつもの笑みが春の日差しならば、今日のこの勇猛な笑みは、夏場の真昼の日差しといったところだろうか。
「では、お供いたしましょう! なに、心配には及びませんよ! 陛下とジルフィス殿下が戻られれば、きっと事態を正してくれましょう!」
「ご無理を言ってすみません。ありがとうございます。よろしくお願いします」
彼は何とも頼もしい。さすが魔物と隣り合わせで育った、辺境出身の騎士だ。
このカラッとした心強い笑顔を側に置きたくて、私は彼を選んだのだ。
こうして私は、一人の護衛騎士と共に、国を追い出されたのだった。
■
刑はその日のうちに密やかに、あっという間に執行された。
勝手についてきた追放刑の立会人とやらは、ご丁寧に、辺境の地まで追ってきた。
ゆかりのある領主の元に身を寄せようかという案は、立会人の睨みによって、断たれてしまった。
立会人らに誘導された道筋はことごとく、良からぬ噂が立つ貴族たちの領地を通る道だった。
第一王子アンドリューもクリスティアーナも、彼らにまんまと使われたのだろう。
留守番を任せた王は、きっと息子の情けなさを嘆くに違いない。
私と護衛騎士は一頭の黒い大きな馬に乗り、辺境の領土から、国境を目指して山道を進んでいく。
その頃には、さすがにもう、立会人の姿は見えなくなっていた。
国と国の間には、魔物の森が広がっている。
魔物の森は、各国が張る聖女の結界の、外側だ。
国同士の結界の隙間を埋めるかのように、深い森が横たわっている。
肌にピリピリくるような、独特の空気を感じるので、魔物の森に入ったこと――国の結界の外側に出たことは、よほど勘の悪い人間でなければ、感覚ですぐにわかる。
その肌のピリピリ感を、ようやく感じられるところまで来た。
どうやら、国外へと出たようだ。
そのまま、隣国に向かって馬を走らせる。
黒く大きな馬は、二人分の体重をものともせず、山道を軽やかに駆けて行った。
この馬は、若い護衛騎士の愛馬だそう。彼の実家には、他にも頼もしい馬たちがいるらしい。
彼は家の馬たちを、家族同様こよなく愛しているそうだ。
私の胴に腕をまわし、護衛騎士は口早に告げる。
「このまま隣国まで、一気に森を抜けます! 魔物が出ると厄介なので!」
その言葉通りに馬を駆り、騎士は森を一気に走り抜けてみせた。
私はギュッと、彼の腕にしがみ付く。
馬って結構、お尻が痛くなるものなのね。
無事、隣国の結界の中に入り、川辺で一息ついた頃。
私たちは、今後の予定を話し合った。
「陛下、もしくは第二王子ジルフィス殿下が帰ってくるまで、早くても一月はかかるでしょうね。その間、国内はごたごたするでしょうから、無理に戻ろうとせず、ここ隣国で過ごすのが得策かと! どうします? 観光でもしちゃいます?」
「観光は置いておいて、その案には賛成です」
馬におやつをやりながら、騎士は悪戯めいた、明るい声で話す。
重い空気にならぬよう、気を遣ってくれたのだろう。
配慮をありがたく思いつつも、私は真顔で、彼の目を見据えた。
でも、と、言葉を続ける。
「――でも、出来れば、私は聖女の祈りを、これまで通り毎日続けたく思うのです。祈りは国の内側で行わないと、効果を発揮しませんから……出来れば毎日、魔物の森を抜け、自国の土を踏みしめて祈りを捧げ、そして隣国に戻る、という生活をしたいのですが」
彼は目を丸くした。
考え込むような顔をして、私に言葉を返す。
「それは……俺はかまいませんし、馬も平気だと思いますが……慣れない女性の身には負担が大きいのでは」
「わがままを言ってしまい、申し訳ございません。――でも、それでも祈りたいのです。国を荒らすわけにはいきませんから」
淡々とした私の言葉に、彼は目を輝かせた。
ニカッと笑い、おもむろに祈りのポーズをとってみせる。
「さすが聖女様だ! 不当に追放されてなお、国を思って祈りを捧げたいだなんて……! なんという慈悲深き御心!」
「そんな高尚なものではありません。ごく私的な気持ちからです」
私は彼から目をそらし、少し遠くを見ながら言葉をもらす。
「想い人のために、祈りたいのです。私が祈りをやめることで国が荒れてしまったら、きっと心を悩ますことになるでしょうから」
「なるほど……国が傾くなんてことになれば、王族まわりは特に、大変な心労を抱えることになるでしょうね……――と、一応、確認ですが」
赤茶の髪を揺らし、彼は私の目を覗き込んだ。
「その想い人とは、あなた様の婚約者……あぁ、いや、元婚約者様の、第一王子アンドリュー王太子殿下のことですか?」
「もちろん、違います」
私は即答する。彼は声を上げて、大きく笑った。
「なら良かった! 心おきなく、協力できます! 不敬を承知で申し上げますと、俺はアンドリュー殿下に少々、いや、結構腹を立てておりましたので! ――では、わかりました。第二王子ジルフィス殿下、および陛下が戻るまでの一月間、あなた様の祈りの道中、この俺がお供します!」
どうやら第一王子アンドリューは、一介の護衛騎士にすら、見限られていたらしい。
まぁ、当然と言えば、当然か。
しかし彼が腹を立てていたとは、意外だった。笑顔の下に、怒りを隠していたなんて。
この人も案外、感情を表に出さない術に長けているのかもしれない。
その上、明るく社交的。いやはや、なんとも世渡りの才に恵まれていることだ。
私は彼を見つめ、ふむ、と深く頷いた。
当人も、その馬も、私の様子にキョトンとしていた。
■
私たちは隣国の、国境近くの領主に話を通し、一番近い村に居を定めた。
幸いなことに、ここは敵国ではない。
『隣国の王家へ恩を売れる』と、領主は私たちの申し入れを快諾したのだった。
私は雨の日も、風の日も、祈りのために国境を越え、自国へ足を運んだ。
と、言っても、ほとんど護衛騎士と、彼の愛馬に頼っていたのだけれど。
彼らには本当に、感謝してもしきれないほどだ。
無事に帰城できたら、王にこの功績を、余すことなく報告しなければ。
今日も森を越え、自国に足を踏み入れて、国の平和を心から祈った。
護衛騎士は、そんな私を傍らでニコニコと見守っている。
文句一つ言わずに、いつも気持ちの良い態度で接してくれる彼に、私は少しばかり申し訳なさを感じた。
だって私のこの祈りは、私の私的な祈りなのだ。
決して清らかなものではなく、私の勝手な、下心に満ちた祈り。
私はボソリと、独り言のような声をもらした。
「私的に、想い人のために祈るというのは、聖女としては俗すぎますね。帰城したら神殿に籠って、うんと反省しなければ」
「そうでしょうか? 俺のような凡人から見れば、純で素敵な気がしますけど。結果的に国民みんな、平和でいられますしね! ――そんなことより、」
彼は日差しのような笑顔を深め、私に軽口を飛ばす。
「反省する時間があるのなら、笑顔の練習をしましょうよ! セフィー様は未だに、第二王子ジルフィス殿下に、引きつった笑顔しか返せていないでしょう? 一度くらい、満面の笑顔を見せて差し上げてはいかがですか」
私は凝り固まった自分の頬を、両手でペチリと叩く。
「こう見えて、密かに練習してはいるのです。そのうち練習の成果を、お披露目できたら良いのですが」
私が満面の笑みを向けたら、どんな顔をするのだろう。
どうせ困った顔で笑われるのが、オチだと思うけれど。
そんな毎日を繰り返し、あっという間に一月が過ぎた。
――正しく言うと、三週間と少しだ。
事件を耳に入れた王と第二王子が、二人して大急ぎで帰ってきたのだった。
■
迎えの騎士隊が隣国に到着し、私は無事に帰城を果たした。
そして現在、そうそうたる顔ぶれの揃った謁見の間に、いつもの真顔で立っている。
謁見の間の、磨き上げられた石床は、窓から差し込む光を綺麗に反射している。
玉座を中心にした面々を囲むように、少し離れた場所に、王直属の騎士たちが数十人、ズラリと並んでいた。
私は玉座の正面から、少し控えた位置で事を見守る。
私の両脇には四人の護衛騎士。半歩下がった位置に、ピシッと整列している。
女性騎士二人と、たくましい壮年の男性騎士と、いつもの若い騎士。
玉座の脇には第二王子ジルフィスが、背筋を伸ばして立っている。
彼がよく私に向ける困った笑顔はなりをひそめ、今はピシリとした表情をしていた。
そして玉座の正面に、第一王子アンドリューと、クリスティアーナ。
彼らは青い顔をしている。
なぜならたった今、王に凄まじい雷を落とされたので。
王は魔人のごとき恐ろしい形相で、地を這うような低い声を発した。
「聖女を追放し、偽りの聖女を立てる行為は、国を傾ける大罪である。加担した者どもは全てあぶり出し、厳罰に処す。もちろん、うかうかと祭り上げられたお前たち二人もだ」
アンドリューは、その美しい容姿を思い切り歪めて、必死の形相で父王に弁解する。
「ク、クリスティアーナは真の聖女です! 現に、セフィーが国外に出ても、聖女の祈りの結界は保たれていました!」
「そうですっ! 私、毎日お部屋から、一生懸命お祈りしていました……! その結果がこの平和です! この一月の間、国内に魔物なんて一匹も入ってこなかったでしょう!?」
クリスティアーナも必死だ。
なにせ彼女は胸にタトゥーまで入れたのだ。そりゃ必死にもなる。
が、私は二人に気を遣うこともなく、いつもの調子で淡々と言葉を放つ。
「私が毎日、隣国から魔物の森を抜け、国土を踏みしめ、聖女の祈りを捧げておりましたので」
アンドリューは私の言葉に目をむいた。
「なっ……毎日、国境の森を抜けるだと……!? そ、そんなことっ……一月の間、わざわざそんな大層なことをする奴が、いてたまるか!」
「先に申し上げていたでしょう。なにがなんでも祈りを続けると。――こちらにおります護衛騎士が、毎日私を馬に乗せ、森を駆けてくださいました。おかげさまで、追放された約一月の間も、無事に国の平和を保つことができました。この場を借りて、彼には心から感謝申し上げます」
私は若い護衛騎士に、うやうやしく礼をした。
彼はわずかに目を丸くした後、胸に手を当て、笑顔で騎士の礼を返した。
王は私と護衛騎士に目を向け、深くゆっくりと頷く。
そして改めて、アンドリューとクリスティアーナを正面に見据えると、厳かな声で言い放った。
「本日この時をもって、第一王子アンドリューは廃嫡とし、第二王子ジルフィスを王太子とする。アンドリューは己の選んだ妾と共に、相応の罰を受けよ」
「そっそんな! 父上っお待ちください! 僕はクリスティアーナに騙されていただけなのです……!」
悲鳴のような声に耳を貸すこともなく、王はアンドリューとクリスティアーナを下がらせた。――もとい、謁見の間から引きずり出した。
兵士たちが容赦なく、二人をどこかへと連行していく。
その様子を見届けると、さて、と王は表情をやわらげた。
私に目を向け、穏やかな笑みをこぼす。
「聖女セフィーよ、私の目が曇っていたばかりに、苦労をかけた。国のため、よくぞ祈り続けてくれた」
私は目を伏せ、身を低くして礼の姿勢をとった。
王は私に言葉を続ける。
「改めて、アンドリューとの婚約を解消し、今ここに、王太子ジルフィスとの婚約を取り結ぼうではないか」
私は王の言葉を、正面から受け止めた。
三度ほど、ゆっくりと呼吸をする。
そして言葉を返した。
「陛下、大変申し訳ございませんが、私は王太子妃という身分に、相応しい人間ではございません」
謁見の間に満ちた空気が、わずかにざわついた。
王はただじっと、私に視線を向けている。
次の言葉を待つように、身じろぎもせずに。
私は背筋を伸ばし、粛々と思いを述べる。
「私は追放されていたこの一月の間、自分が思っていた以上に、低俗な人間であることを思い知りました。恥を忍んで申し上げますと、私は実を言うと、国のことなど、あまり深く考えてはいなかったのです。――『この一月の間』、と申し上げましたが、思えば、もうずっと前からそうでした」
王は私と同じように背筋を伸ばし、聞く姿勢を整えた。
真摯な対応に感謝しつつ、私は続ける。
「私はずっと、私的な感情のもと、祈りを捧げておりました。ここからは、大変俗な話になってしまうのですが……」
「構わぬ、聞こう。自由な発言を許可する」
王の許しを得て、私は覚悟を決める。
たっぷりと深い呼吸をして、凛とした声音で、今まで抱え続けていた思いを解き放った。
「私は聖女として、この王城に入った時からずっと、ただ一人の想い人のために、祈って参りました。その人のご家族は、辺境に暮らしているそうなのです。結界のゆるみによる魔物の被害を、一番に受ける土地と聞いておりましたので、彼の愛する家族や馬が危険に晒されぬよう、彼が不安な思いや、悲しい思いをすることのないよう……私は彼のために、聖女の祈りを捧げておりました」
私は斜め後ろに控えた、若い護衛騎士へと、体を向ける。
「恥ずかしながら、今までの聖女の祈りは、この護衛騎士、ただ一人のために捧げてきたものです。私は想い人のことしか考えられない、視野の狭い、浅はかな娘なのです」
「…………へっ……!? …………お……俺ぇっ!?」
私に見上げられた護衛騎士は、気の抜けた悲鳴のような声を上げ、目を見開いて硬直した。
同僚の騎士たちも驚きに目をかっ開き、弾かれたように若い騎士を凝視する。
私はさらに、言葉を続けようと息を吸う。
なんだかもう、喋り出したら止まらなくなってしまった。だってもうこんな機会、二度とは訪れないだろう。
もうこれっきりだ。
これが聖女という身分の私が、自由に気持ちを口に出せる、最初で最後の機会。
もう全部この場に、解き放ってしまおう――……
「聖女として城にあがった時から、この恋は叶わぬものなのだと、割り切ったつもりでいました。しかし追放されていた一月の間、想い人と暮らす毎日は、あまりにも幸せで。気持ちに歯止めがかからなくなり、もうどうしようもなくなってしまいました」
私は改めて玉座を向き、言葉を締める。
「大変申し訳ございません。ジルフィス様のお相手に、私は相応しくありません。陛下、どうかお考え直しを」
目を伏せ、深く頭を下げた。
そのままの姿勢で身を固めたまま、ただじっと、王からの言葉を待つ。
謁見の間が、静寂に包まれた。
――が、その静けさを打ち破ったのは、王ではなく、その傍らに立つジルフィスだった。
ジルフィスはいつもの困った笑顔で、言葉をもらした。
「……あなたが私に気のないことは、前々からわかっていた。まさかこれほど近くに想い人がいたことには、全く気が付かなかったが」
ジルフィスは護衛騎士に目を向ける。
騎士は機械人形のようにギクシャクとした動きで、私とジルフィス、そして王へと、視線をさまよわせている。
いつものニコリと弧を描く口元はどこへやら。もうずっと、ポカンと半開きのままだ。
その様子に苦笑しながら、ジルフィスは父王へと声をかけた。
「まったく、父上のせいで、このような公の場で失恋してしまいました。父上、かかされた恥の埋め合わせと、傷心の息子への慰めとして、一つ、私のわがままを聞いてくださいませんか」
王もまた、苦笑をもらしつつ応えた。
「これはすまないことをした。どれ、聞こうじゃないか」
「おそれながら、どうか聖女に、王族以外と縁を結ぶ自由を」
ふむ、と顎に手を当て、王は少し困ったような、けれど穏やかな笑みを浮かべた。
「聖女の意思を尊重した縁組を、許そう。――ちょうど、『聖女を守り、その祈りを国へと繋ぎとめた騎士への恩賞』も、考えねばならぬと思っていたところだ。そこの護衛騎士には、聖女に引けを取らぬ、相応の身分を与えよう」
私は王とジルフィスに、深く、心から礼をした。
そして未だ呆けている護衛騎士に、正面から向き合う。
いつもより丁寧に、思いを込めて言葉を紡ぐ。
平坦な声の調子は相変わらずだけれど、少しでも、この思いが伝わりますように、と願いながら。
「私は、出会った十五の頃より、あなたのことを好いておりました。あなたの日差しのような笑顔を見ると、いつもたまらない気持ちになります。笑顔見たさに、つい話しかけてしまうことも、多くありました」
「……え……あの……ほ、本当に、俺…………!? の、ことを、好きなの、ですか……っ!?」
「はい。もしご縁を結んでいただけるのであれば、どうかこの手を、取ってはくださいませんか」
私は真顔でスッと、彼に向かって手を出した。
彼は私の手と目を交互に見やる。
その喉から、掠れたような震えたような、声がもれ出た。
「……ええと、あの……本当に俺のことを……じゅ、十五の頃から、す、好き……と……? だって、その、セフィー様は最初の頃、第一王子殿下の口づけに、ウットリとされていたように見えましたが……」
「あれは煩わしく感じておりました。いっそ嫌われてしまえば、口づけを浴びずに済むのかと、考えてしまうほどに」
「で、でもっ……! 第二王子殿下には、完全に心を寄せておられたでしょう……!?」
「ジルフィス様には、困惑しておりました。私の身は一応アンドリュー様のものでしたし、心はあなたに向いていましたし。私の身も心も、ジルフィス様を受け入れる余地がなく。――どうしたら良いのかわからず、曖昧な対応をしてしまい、申し訳ございませんでした」
玉座の方に向けて謝罪をすると、ジルフィスがやれやれ、と、苦笑しながら肩をすくめた。
若い護衛騎士は、中途半端に口を開けたまま、唇を震わせている。
何か言いたいのに、言葉が上手く出てこない、といった様子だ。
いついかなる時も笑顔の彼が、こういう余裕のない表情を見せるのは新鮮で、不思議な心地がする。
普段は笑顔の印象が強いけれど、こうして見ると彼は存外、精悍な顔立ちをしている。
このまましばらく、この珍しい表情を眺めていたい気もするが、一応ここは王の前だ。
もうそろそろ、この場を収めなくては。
「あなたを驚かせてしまい、申し訳ございませんでした。私の表情がとぼしく、わかりにくいせいで、惑わせてしまいましたね。でも、私のあなたへの想いは本当です。私はあなたの事が好きなのです」
「……し、信じられない…………本当に……俺を…………?」
「――では、これでどうでしょう」
私は息をつく。
そして彼の目をまっすぐに覗き込み――……
――めいっぱい、笑顔を作ってみせた。
「ふふっ、私、密かに練習をしていると言ったでしょう? なかなか勇気を出せず、あなたにお披露目することができなかったのですが――……」
満面の笑顔で、少しばかりの笑い声も添えて、もう一度気持ちを告げる。
「私はあなたのことが、大好きです。例えこの想いが叶わずとも、これから先も、なにがなんでも、毎日あなたの笑顔のために、聖女の祈りを捧げていきたく思います」
私は悪戯めかして、彼の目の前に差し出した手を、ヒラヒラと振って見せる。
「さぁ、ほら。呆けていないで、そろそろ決めてくださいませ。手を取るのか、取らないのか。私は気持ちを告げられただけで、もう満足しておりますゆえ。どちらに事が進もうと、覚悟しておりますから。どうぞ、楽なお気持ちで――……わっ!?」
彼は私の手を、思い切り引っ掴んで引き寄せた。
思いのほか強い力に、私は勢いあまって彼の胸元へと突っ込む。
驚いて顔を上げると、彼は顔を歪め、頬から耳まで真っ赤に染めて、私を見下ろしていた。
そして、その目が濡れていくのを見て、私はさらに驚いた。
彼の目からは水があふれ出し、パタパタと、とめどなく大粒の雫が落ちていく。
この反応は、まったくの予想外。
私が笑顔を披露したところで、彼のことだから、いつも通りヘラッと流されるのがオチだと思っていた。
困り顔で笑いながら『披露する相手が俺だなんて、聞いていませんでしたよ!』なんて言われることを、想像していたのだけれど。
護衛騎士は目元を袖で拭いながら、嗚咽と共に独り言のような、掠れた音をもらす。
「……………………身分が…………違いすぎる、からって…………気持ちを……殺して…………俺……ずっと…………なんで、こんな…………嘘だろ……っ」
涙声はよく聞き取れず、私は首を傾げた。
騎士は呼吸を整えるよう、大きく一つ息をする。
最後にグイッと豪快に顔を拭い、私を真正面から見た。
笑顔を作る余裕もないといった様子で、大いに照れながら、そして目に涙を溜めながら、震えた声を張り上げる。
「ええと、俺で良ければ、お供します……! あっ、いや、違うか、幸せにします……!? ……っと、どちらかというと、民が幸せに暮らせるのは、聖女の祈りのおかげだから……ええと、しっ、幸せにしてくださいっ!?」
くしゃくしゃな顔で、めちゃくちゃな返事を返す彼。
私は堪えきれず、肩を揺らして笑ってしまった。
――それから一月後。
のちに『聖女の祈りを繋いだ、護国の英雄』と祭り上げられることになる騎士は、「恋人ができた!」と聖女を実家に招いて、一族郎党をひっくり返らせた。
まるでコメディ小説のようにすっ転び、てんやわんやとなった一家の様子がおかしくて、私と彼は、お腹が痛くなるほど笑い転げたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
『救国の聖女ですが、国外追放されちゃいました〜!?アンソロジーコミック』にて漫画になっております。
是非、漫画版も合わせてお楽しみいただけましたら幸いです。