1話 謎のダンジョン
「転校して三日目なのに、今日も友達ができなかったなあ」
下校中にため息をついてしまう。
「いや、せっかく千春おばあちゃんが高校に通えるようにしてくれたんだから、ため息なんかついちゃいけないよな」
親が失踪してしまい、僕は千春おばあちゃんにお世話になることになった。
千春おばあちゃんは東京の立川市にある私立第一学園の寮『こはる荘』を物件として持っていて……。
まあ、そんなことはどうでもいい。
千春おばあちゃんはこはる荘の寮母をやっていたのだが、体を悪くして老人ホームに入った。
そこで代わりに僕が管理人をやるという条件で私立第一学園に一年生として通えることになったのだ。
しかし、そのこはる荘が問題だった。
建物はボロボロ、寮生は少ないのに奇人変人だらけ、挙句の果ては幽霊が出るという噂まであった。
そんな噂もあってこはる荘には、寮生以外は誰も近づかない。
「ただいまぁ」
こはる荘の一〇一号室の扉を開ける。当然、「ただいま」の挨拶に応えるものは誰もいない。
僕は玄関で靴を脱ぎ、ふらふらと奥に入っていき、制服のまま畳に大の字になった。
「大体さ! 5月のゴールデンウィークの後に転校ってなんだよ!」
イケメンや美少女の転校生なら話は別かもしれないが、僕は普通の男子学生だ。
コミュニケーション能力に至っては普通どころかやや劣るかもしれない。
ゴールデンウィークにクラスのみんなでカラオケにいったとか食事に行ったとか盛り上がっている中にどう溶け込めばいいんだよ。
クラスメイトたちだって被害者だ。
僕がいなかったらもっとあけっぴろげに楽しめたかもしれない。
現に何人かの生徒は自己紹介して当たり障りのない挨拶と質問をしてくれた。
しかし、すぐに僕から離れて入学一ヶ月で作ったポジションを確立するために、それぞれの友達の元へ戻っていく。
こういう時に頼もしいのは、中学校が同じ生徒だが、遠くから転校して来た僕にはそれもいない。
つまり、僕はスクールカーストの下のほうにすらいなかった。圏外だ。
「いい天気だな」
部屋のガラス窓から陽が差し込んでくる。寝っころがったまま見ると、青い空が広がっていた。
「少しだけでも布団を干そうかな」
ふとんが少しかび臭かったのを思い出した。
のろのろと立ち上がってふすまを開ける。
「え?」
ふすまを開けるとそこには布団がある押入れではなく、灰色の石のブロックが積まれた壁と頑丈そうな鉄のドアがあった。
「……何これ」
僕はそのまま静かにそーっとふすまを閉じた。
い、今のはなんだ? 石壁と鉄のドア?
「気のせいだよな」
恐る恐る、もう一度、開けてみる。やはり石壁と鉄の扉がたたずんでいた。ダンボール等で作った偽物のようにも見えない。
石壁に触れてみる。ひんやりと冷たい、リアルな感触があった。
「す、少なくとも石壁は本物だ」
昨日も一昨日も確かにここから布団を出したのに。どうなっているんだ?
101号室は角部屋だ。鉄のドアの向こうはすぐに外になる……よな。
こはる荘の壁に勝手口なんかあっただろうか。それにこれは勝手口というよりも。
「まさかアニメやゲームに出てくるダンジョンの入り口? そんなわけないよな」
笑いながらもそれを否定できない。
ドアは団地にあるような普通の鉄のドアなのだが、石壁は緑の苔が薄っらと生えていて、何というか本物っぽく見える。
「と、とりあえず開けてみるか?」
ドアの取手を回す。そして恐る恐る押してみる。
ところがドアは押しても引いても、ピクリとも動かなかった。
「開かない……。鍵がかかっているのか。ん?」
ドアに鍵穴があることに気がついた。
そういえば、この部屋を開けた鍵はキーボックスに入れずに、まだポケットのなかに入れっぱなしだった。
ひょっとして。部屋の鍵があうか試してみるか。
鍵がすっと入り、ひねるとカチャリと鍵が外れる。
「な、なんで?」
ドアを開けるとその先は真っ暗だった。
震える手でスマホを取り出して懐中電灯機能を使う。
「おーけー……」
石壁に囲まれた大きな部屋だった。湿気を帯びたひんやりとした空気が漂っている。
奥の壁には、また別の錆びた鉄の扉もあった。
さらに、水色の物体がボールのようにはね回ったり、アメーバのように這いずっている。
大きいものはバスケットボールほどで、小さいものはソフトボールほどだ。
「……どう見てもダンジョンとスライムやん!」
ドアをゆっくりと確実に閉めて、鍵をかけて、和室の畳に座り込む。
畳の感触を確かめると、窓からは陽光が差し込み、暗い畳と明るい畳のコントラストを作っていた。
日常と非日常が交錯している。
カッキーン! 突如、寮の外からボールに金属バットが当たった音が響き、その後には「回れ回れ!」という掛け声が聞こえた。
「野球部か。空も青い」
放課後の部活動が、ここを日本の学生寮と教えてくれた。
しばらくすると僕は冷静さを取り戻した。
「スライムって弱いのかな。動きは遅かったけど」
ふと、ゲーマーの血が騒ぐ。
あのスライムを倒したら、どれだけ経験値が入って、どんなアイテムがドロップするのだろう。
待て待て。こいつは現実だぞ。
スライムは意外にも強い……そんなこともあるかもしれない。
ってか危険じゃないのか。なんたってドア一つ隔てた向こうには謎の軟体生物がいる。
護身用の武器があったほうがいいか……そうだ!
こはる荘を飛び出て学校のゴミ捨て場に走る。
「これこれ」
拾い上げるとそれはカランという音をたてる。少し凹んだ金属バット。
野球には使えないけど、スライムを殴るのには使える!
「念の為だ。だって部屋にスライムがいたら護身用に武器があったほうがいいだろう」
そんなことを考えながら部屋に戻る。
ふすまを開けると、やはり目の前には石壁と鉄のドアがある。
僕の手には少し凹んだ金属バットとこはる荘の玄関に備え付けてあった非常用の懐中電灯が握られていた。
「別にダンジョンを探索したいわけじゃないんだ。でも、本当にスライムがいるかもう一度確認を」
鉄のドアをそっと開ける。今度はスマホより幾分持ちやすい懐中電灯でダンジョンの闇を照らす。
照らしたと同時に青い物体が足元をくぐって部屋に入り込んでしまう。
「しまった!」
きっとドアの近くにスライムがいたのだろう。
僕は慌ててドアを閉めて部屋に入ったスライムにバットを構える。
畳の上で球体になって跳ねていた。
こんな生物を野放しにしたら大騒ぎになってしまうかもしれない。なにより危険だ。
「やるしかない……か」
懐中電灯を置いて金属バットを両手で握りしめ直す。
金属バットは使い勝手がいい。
振り下すとスライムの真芯をとらえることができた。
スライムはプルンと体を四散させて動かなくなった。
「倒したのか……んんっ?」
スライムを倒した興奮も冷めやらぬうちに、急に体が熱くなる。
なんだか体から力が溢れ出るようだ。ファンファーレこそないが……。
「ひょ、ひょっとしてレベルアップしたのか? そうだ! アマゾーンで買ったアレを使ってみよう」
引っ越ししたばかりでまだ開けいてないダンボールをひっくり返す。
「あった!」
筋トレしようと思って買ったままの握力計。いつもは利き腕で40キロしか出ない。
「44キロ……自己ベストだ。間違いない」
す、すごい! この寮、どうなっているんだ!
謎のダンジョン、謎のスライム、そしてレベルアップだって!?
レベルをあげまくったらどうなるんだ。
「運動は苦手だったけど、プロスポーツ選手にだってなれるかもしれないぞ」
グランドから聞こえてくる野球部の掛け声を聞きながら、僕はつぶやいた。