13話 真神? フェンリル? 神狼伝説
ところが、美夕さんはその狼のほうに歩いていってしまう。
戻ろうと呼びかけたいのだが、先に進んでしまった美夕さんを呼び止めるほど大きな声を出せば、腹を立てて攻撃してくるかもしれない。
足元のシズクにだけそっと話す。
「シズク、先に部屋に帰っていてくれ」
「どうして!?」
今の巨狼は波のない穏やかな海のように見える。
しかし、僕らは大海に浮かんでいる小さなイカダなのだ。
海が荒れれば立ちどころに飲み込まれ消える。
「僕が美夕さんを連れて帰るから」
足が勝手に震えて前に出すのが難しくなっていた。
「ご主人様は私のことをお友達と言ってくれました! 冒険をするならどんな時も一緒ですよ!」
「シズク……わかったよ。一緒に行こう!」
足の震えが小さくなって、なんとか歩けるようになる。一緒に歩いてくれる友達がいることがこれほど大きいのか。友達はやはりスライムだろうと関係ない。
美夕さんに追いついたのは巨狼の前だった。
巨狼は明らかに目の前に立つ美夕さんを意識している。
『まさか人間が二人もマカミの間にくるとは』
この狼は話せるのか! それなら説得はできるかもしれない。
僕は美夕さんの横から前に出る。
「あ、あの。お邪魔しました。すぐに帰りますんで」
巨狼が牙を見せてニヤリと笑った。
その大きな牙に美味そうだと言われている気がした。
『まあ、ゆっくりしていけ』
ダメなのか。いや、諦めるな!
「あ、あの人間とか食べても美味しくないですよ。スライムも全然美味しくないと思います」
『ほう。そうなのか。だが腹は減っている』
やっぱり、そうきたか。
だが、美夕さんもシズクも僕によくしてくれた。最後の説得をしてみる。
こうなりゃ僕が食われている間に二人だけでも。
「女の子を食べたら髪が絡まるし、スライムは水っぽくて味がしないですよ。僕は結構美味しいと思うんで……その、お願いします!」
『ははははは』
巨狼が笑う。納得してくれたのだろうか。
美夕さんはスススッといつもの音のしない歩きでどんどん巨狼に近づいていく。
まさか美夕さんも僕と同じことを?
ところが巨狼は微動だにしない。
美夕さんはベッドにダイブするように動かない巨狼のお腹に倒れ込んだ。
そして大の字になる。
これはベッドのように巨狼のモフモフ感を楽しんでいるのか……?
『どうした? 食われるとでも思ったか? 思ったんだろうな。ははははは』
「お、思ってないですよ」
『レイコとスライムを守ろうと自分自身を食わせようとしていたではないか』
レイコというのは麗子だし、美夕さんのことだろう。
図星だが、適当に笑って誤魔化すことにした。
「ま、まさか。そんな。ははは」
巨狼さんは僕らの命をとるつもりはなさそうだった。
ほっとはしたが、恥ずかしいから美夕さんやシズクの前でそんなことを言わないで欲しい。
『レイコが男を連れてきて驚いたが、連れてくるだけのことはある』
「男ぉ?」
『隠さずともよい。どうやらお前はそこらの人間の男とは違うようだな』
男。美夕さんが人間の生物学的オスをこの場所に連れてきて驚いたということか。
でもなんとなく恋愛の対象としての男という表現のような気もしないでもない。
そんなことを考えていると、美夕さんが立ち上がって僕の腕を取る。
彼女が僕の腕を取ったまま巨狼さんのお腹にダイブする。
「ふおおおおお」
き、気持ちいい。外から見ていてもこのモフモフは気持ちよさそうだったが、実際に飛び込んでみると格別の肌触りだった。
そして美少女が笑顔で寝転んでいる。シズクもいつの間にか球体になって気持ちよさそうに転がっている。
『ははははは』
巨狼さんも楽しそうに笑っている。
一瞬、もう実は死んでいて天国にいるのかと疑うほどだった。
美夕さんが顔を僕の顔にくっつくほど近づけてくる。
「ね? マーちゃんのお腹気持ちいいでしょ?」
「え? マーちゃん?」
「うん! マカミのマミマミ、マーちゃんって呼んでいるの」
マーちゃんってこの巨狼さんのことだったのか?
そういえば美夕さんは手を広げるジェスチャーをしていた。
マーちゃんは怖くないとか話せるとか先に教えていて欲しかった。教えてくれていたかもしれないけど。
「それにしても〝マカミ〟?」
〝マ〟についてはわからないが、〝カミ〟とは神のことではないだろうか。
巨狼さんの存在の大きさは大自然に触れたような神聖さを感じさせる。
『真神はニホンオオカミの神だ。お前たち日本人はワシや力を持つ同族をマカミと呼んでいた』
「ニホンオオカミ? 絶滅したんじゃ?」
ニホンオオカミは既に絶滅したと言われている日本にいた狼だ。
『ふっ。こちらの世界では生きているよ。たまに今でも日本に迷い込んでしまう子がいるようだがな』
確かにたまに目撃したというニュースになる。
僕もそれでニホンオオカミのことを知ったのだ。
「マカミ……」
日本人は結構なんでも神様にしてしまう。
真神というのは聞いたことはないけど、そんな神様もいるのかもしれない。
『知らんか? では、日本でフェンリルを聞いたことがないか? ヤツは有名になったと聞いているぞ。あいつはワシの同族だ』