10話 膝枕と黒ストッキング
「ひょっとして、一緒に傘に入れって?」
美夕さんはコクンとうなずく。ま、まじか。
確かに住んでいる場所が同じという意味では理にかなっているけど、僕の中では仲の良い男女がしそうな行為に感じてしまう。
「でも、二人で入ると、やっぱり少し濡れちゃうから悪いよ」
彼女の傘がバサッと開く。そして開いた傘を指差す。
大きい傘だよってことのようだ。
「じゃあ、お邪魔します」
一本の傘に二人で入る。雨の匂いと女の子らしい香りが同時にする。
右手が雨の冷たさを感じる。左には美夕さんがいるから、無意識に距離をとってしまって雨に濡れたようだ。
彼女が怖いからだろうか。確かに見た目は某ビデオの幽霊のようだけど、優しい人なんじゃないかと思いはじめている。
そんなことを考えていると左腕の袖を引っ張られる。
どうやら雨に濡れないようにもっと近くに寄ってということらしい。
雨の匂いが打ち消されるほど、美夕さんの長い黒髪からシャンプーが香る。
見た目が怖くてコミュニケーションをうまく取れないけど……すごく良い人なのかもしれない。
こはる荘に着く。雨はだいぶ本降りになってきた。
「雨がひどくなってきた。早く帰れて良かったね。ありがとう」
美夕さんはコクリとうなずいてから、音も立てずに奥に消えて行った。
「食堂の時もそうでしたけど、気配が全然ありませんよね」
確かに美夕さんはいつも突然現れる。
「食堂で見られちゃったかな」
「すいません」
「シズクのせいじゃないし、仕方ないよ。もし見られていたら広めないように話してみるよ」
きっと話せば、わかるはずだ。でも、美夕さんとまともに会話できるんだろうか?
「それよりシズクは雨に濡れなかった?」
「私はあれぐらいの水なら吸収してしまうこともできますし、撥水することもできますから大丈夫ですよ」
シズクが変化した制服は全く濡れていなかった。本当に便利だ。
薄暗い廊下を歩いて、鍵を開けて自分の部屋に入ろうとする。
「ひっ!」
長髪の女性がすっと一緒に入ってきた。
美夕さんだ。どうやらいつの間にか真後ろに居たらしい。
「ど、どうしたの?」
美夕さんは無言でピンク色のバスタオルを僕の頭に乗せた。
そして優しく丁寧に僕の頭を拭いてくれる。
そういえば、引き戻されて相合傘になったけど、最初は走って帰ろうとしたので頭が少し濡れていた。
「あ、ありがとうございます」
バスタオルは柔軟剤が使われているのか柔らかく良い香りがする。
やっぱり女の子らしい人なのかもしれない。
長い黒髪で顔を隠すちょっと不気味な女の子なのに、何だか変な気分になってくる。
バスタオルを頭から取ってくれる手の動きも理容院のお姉さんのように心地良い。
薄暗い僕の部屋で制服の少女と二人、無言で立ち尽くす。
ところが、美夕さんが僕の制服というかシズクを指でツンツンとつつき出す。
やはり学食でシズクにご飯を食べさせていたのを見られていたんだろうか? それとも制服が雨に全く濡れていないことをいぶかしんでいるのだろうか?
どちらにしろヤバい。
美夕さんは不思議そうに少しだけ小首をかしげてツンツンを止める。
とりあえず、ほっとした瞬間、薄暗い部屋が光って轟音が響く。
顔が見えない長髪の少女が一瞬だけ雷で光るのは恐ろしかった。
と、同時に美夕さんが雷を怖がって僕に抱き着いて来ないだろうかという矛盾した謎の期待も抱いてしまう。
雷は一度ではなく、二度、三度と鳴り響く。
「美夕さん、大丈夫? 怖くない?」
ハッキリと首を左右に振る。別に怖くないようだ。
抱きついてくるという期待は無くなり、稲光の度にパッパッと映る黒髪の姿だが、それもなんとか慣れてきた。
このまま立ち尽くしているのもなんだし、お茶でも飲もうか。
シズクのことを見られたか探りも入れたい。
「お茶でも……」
「ご主人様ぁ~この音と光はなんですか? 怖い! 怖いです!」
し、しまった。
シズクはダンジョンの地下深くに隠れ住んでいる白スライム族だ。
雷は知識としては知っていても、初めての体験に違いない。
美夕さんにシズクの叫びを聞かれてしまったし、そもそもシズクを着ているので体があちこっちに引っ張られる。
再びピカッと光って轟音が鳴り響いたのと同時にシズクのズボンに足を取られて後ろに倒れる。
後頭部に強い衝撃を受ける。壁に頭を打ったのかなと思いつつ、意識が遠のいて行った。
◆◆◆
「……ん。いててて」
「ご主人様、大丈夫ですか?」
見覚えのない美少女が僕を覗き込んでいる。
どうやら美少女は膝枕してくれているらしい。
「シズクか」
悲しいけど僕に膝枕をしてくれる女の子なんているわけがない。
シズクに決まっている。
けれども、こんな美少女は全く知らない。色白で顔が整っていて、何より艶のある黒髪が美しかった。一体、誰に変身したのだろう。
彼女が僕の顔を覗き込むと、長い黒髪が二人だけの空間を作った。
「大丈夫だよ」
笑顔を作って大丈夫と応えると、シズクが変身した彼女も微笑んだ。
その笑顔が恥ずかしくて体をひねる。
仰向けから横の体制になると、彼女がスカートを履いていることに気がつく。
ウチの高校のスカートか?手にはすべすべとした感触もある。
黒ストッキング? どこかで見たような……。
「ご主人様、ごめんなさい。大丈夫そうで良かった」
僕は美夕さんのストッキングを触った上に、今でも枕にしている。
体を起こさねば!
起きようと膝から頭を離す。
「え?」
ところが美夕さんが僕の額に手を置いた。
どうやら、膝枕は不本意というわけではなく、まだ続けていていいらしい。
そして、お互いの顔が近いことと、彼女の唇が動いたことで、もう一つ、わかった。
「もう少し安静にしたほうがいいわ」
美夕さんは声が小さいだけで、ずっと普通に話していたのだ。
雷の光と轟音はおさまって、窓からは雲の晴れ間の光が差し込んでいた。