72話 少女は魔術師のために泣く
「コーレシュはバラム最後の弟子だった。頭の回転も早く器用でなんでもこなせた。先輩の弟子からは実験器具の取扱や記録の工夫などがとても優秀だと評価されていたわね。でも、なぜか魔法だけは上手くいかなかった」
「コーレシュが!? でも、今では千の魔術師のコーレシュって……」
「当時は魔術書を使った魔法というのは、異端……というほど少なくはなかったけれど、主流派ではなかった。コーレシュも魔術書を使わないバラムと同じタイプの魔法を学んでいたけれど、自分の精神から魔法を引き出すのが苦手だったのよ」
シャドウの脳裏に、ミュールとしてネクロノミコンを復活させるために、ネクロノミコンを使わず魔法を使った時に記憶がよぎった。あれが、過去の魔法なのだ。
「コーレシュは他の弟子が全てバラムのもとから独立しても、バラムの元に残って手伝いを続けていた。バラムも口は悪くともコーレシュのことを気にかけ、雑用として使いながら魔法を根気強く教えていた」
「あの大魔術師にそんな時代が」
「ふん、俺の教えを何一つ理解していなかった馬鹿弟子だ」
ネクロノミコンは憎々しげに、そして寂しそうつぶやいた。
「コーレシュとバラムの関係について詳しく話だすとキリがないから省くわね。あとでバラムに直接聞いてちょうだい。二人の関係は私たちにも良好に見えた……けれど、人はお腹の底で何を考えているのか、魔法を使ったって見えないものね。コーレシュは密かにモウゼと私たちのリーダーだったピーノに通じ、バラムを討ち取ることを焚き付けていたの。無敵の護符をコーレシュが盗み出し、その隙にモウゼと四英雄の力を合わせて討ち取るべきだと」
「あの馬鹿弟子が黒幕だったのか!?」
ネクロノミコンの顔がここに来て初めて変わった。
「どういうことだライラー!」
「言葉通りよ。あの計画を持ちかけたのはコーレシュ。あなたに自分の地位を脅かせれると恐怖していたモウゼが中心となって動いたのは確かだけれど、発案したのはコーレシュだった」
「……そうか」
「コーレシュの目的は、魔術師ギルドでの地位。モウゼはすぐさま取引に応じた」
それは魔法世界を救おうとあがいていたネクロノミコンの目的と比べればあまりにちっぽけで、現実的だった。
シャドウは言葉をなくしてネクロノミコンの顔を見る。
「なんだ、そんな顔して」
だがネクロノミコンはシャドウとシャドウの向こう側にいるミュールが思っていたより、平気そうである。
「俺が馬鹿弟子に裏切られて落ち込んでいるとでも? ふん、どのみち裏切ったのは分かっていたことだ。もう昔の話だと言っているだろうが」
「でも……」
「ええい、鬱陶しい。ライラー、次を話せ」
「ふふ。あなたが平気なのは、昔は得られなかった対等のパートナーがいるからでしょう?」
「その減らず口を縫い合わすぞ!」
「それは恐ろしい。じゃあ続きを話しましょう」
ライラーは笑いながら肩をすくめた。
「さて、コーレシュの目的、モウゼの目的は説明したわね。本題の私達四英雄の目的を話しましょう」
「そう。あなた達はなぜモウゼ側についた? そちらに正義も大義もないって分かってたのだろう!」
「正義や大義じゃ世界は救えないの」
ライラーは微笑を浮かべていたが、シャドウにはその言葉がひどく冷たく、耳障りに聞こえた。
「私達は、バラムかモウゼ。どちらかを選ばなければならなかった。コーレシュの裏切りをバラムに伝えればバラムが勝っていたでしょう。でもそれはできなかった。バラムは人を支配する能力に欠けていた」
「俺は魔術師の法に従っているだけだ」
「魔術師であってもそう割り切れるものではないのよ。人の法と魔術師の法の境界は曖昧。かつては王族を魔術の才能で選んでいた時代もあった。今も、貴族の子息は魔術師であることが推奨されているわ」
「くだらん。人を支配するのは人の法だ。そこに魔法が入り込む余地はない。魔法は現象であり力だ。それ以上でも以下でもない」
「だから、私たちはあなたを選べなかった。でもあなたという才能を失うことも、魔法世界にとって大きな損失だった」
「損失って……!」
ライラーの言葉にシャドウが食って掛かる。
「落ち着け。ライラーの言葉に一々腹を立てていたら寿命が縮むぞ。こいつはこういうやつなんだ」
「……だけど」
「ほれ、ライラー。早く続きを話せ」
「ありがとバラム。モウゼを魔術師ギルドの長のまま、バラムを殺させない方法は一つしかなかった。そのネクロノミコンを封じる依代としてバラムの死体を使う。そうすることでバラムはネクロノミコンに記された神々のマナによって永遠に生きられ、モウゼやコーレシュにも滅ぼすことができなくなる」
我慢の限界だった。
「ふざけるな!!!」
シャドウの手には魔法で作られた槍が握られていた。
切っ先はライラーの眉間にピタリと寄せられている。
「あんたらはバラムを……ネクロノミコンをなんだと思っているんだ! 世界のため? 正義? 大義? その理屈でネクロノミコンを自分勝手に殺して本にして、100年も閉じ込めて! 一体何様のつもりだ!」
「他に方法が無かったのよ」
「一番腹が立つのはそれだ! 自分たちが他人の人生を踏みにじる外道だと思っていないその英雄面だ! ネクロノミコンは人間だぞ! 笑いもするし怒りもする、やりたいことだってあっただろうに! それを踏みにじられて悔しかっただろうに! 何が四英雄だ! 魔法世界を救うという目的のためなら平気で外道に堕ちることができるのなら、それはただ与えられた目的を果たすために存在するモンスターと変わらないじゃないか! そんなのは人間じゃない! 火巫ライラー! 私はあなたを英雄だとは認めない! ネクロノミコンの友とも絶対に認めない!」
「もういいシャドウ! ミュール! 俺たちはライラーと争うために来たんじゃない!」
☆☆
深淵の奥。
右手で顔を覆ってミュールは泣いていた。
「ミュール……」
「ひどいよ、あんまりだよ」
顔を覆った指の隙間から、ミュールの涙が溢れる。
「ネクロノミコンが何をしたっていうの……ネクロノミコンはただ世界を救おうとしただけじゃない。それを認められなくても、一人でずっと研究を続けて、なにが傲慢なるバラムよ、なにが魔術師ギルドよ……!」
「ミュール、もう過去のことなんだ。俺は気にしてない。だから泣くのを止めろ」
「私が気にするのよ!!」
「ミュール」
「私が! あなたのパートナーである私が! あなたとたくさんお喋りした私が! あなたがどれだけ世界のことを考えているのが知っている私が! 私みたいな何も知らない駆け出しの魔術師に魔法の世界を教えてくれたあなたが……そんな冷たい理由で殺されていたなんて……」
「泣くな」
「嫌よ! 泣く! あなたが泣かないから私が泣く! 100年分涙が枯れ果てるまで泣いてやる!」
左手に抱えられたネクロノミコンは、ミュールが声を上げて泣いているのを黙ってみていることしかできなかった。
ラファエラもエステルも、フウゲツ達も、パーティー最強の魔術師が流す涙を、止めることはできない。
「すまんミュール」
「謝らないでよ、あなたは何も悪くないじゃない……」
「今だけは、身体があったら良かったのにと思うぞ……そうすれば、お前の涙くらいは拭ってやれただろうに」
ネクロノミコンを胸に抱き、ミュールは涙を流し続けた。
「だが、ミュール……あー、一度しか言わないからな。確かに俺はあいつらに殺され、こんな姿にされてしまった。100年暗がりに放り込まれ、魔法の枯れた世界に取り残された……確かに酷いことをされたよ。ああ、怒っているとも。だがな」
ネクロノミコンの顔が優しく笑った。
「おかげで俺はミュールというパートナーと出会えた。俺一人では魔法世界を救うことはできなかっただろう。だがお前とならできる。俺はそう信じている……それに、100年前には俺の代わりに泣いてくれるヤツなんて一人だっていなかった。あの頃の俺の周りにいるやつはみんな、そこのライラーのような胡散臭いやつばかりでな。だから、いいんだ。100年分の怒りも涙も、お前に出会えたことで帳消しだ、いやお釣りがくるな。だから泣くな」
「そんなの……私だって思っているに決まってるじゃない。あなたに出会えたことを感謝してないわけないじゃない」
「ならばいいんだ。本になったことで俺はお前に出会え、お前は俺に出会えた。だからいい。お前が悲しむことはないし、ライラーのことをお前が憎む必要もない。そんなことより、俺とお前の今が大事だろう? 俺はそう思っている」
「……分かったわよ。うん、泣き止む」
「くく、良い子だ」
「子供扱いしないで!」
ネクロノミコンがからかうとミュールが怒って反応する。いつもの2人の雰囲気だ。
「かなわないね」
ラファエラは2人の様子を見て、穏やかな微笑を浮かべていた。
書籍版がいよいよ明日4月25日に発売です!
もうやれることはないのに緊張しています!
下の表紙から試し読みもできますので、よろしくお願いします!




