68話 魔術の都ウルの地下に広がる世界
シャドウとランカースの2人は、4番街の通りを歩いている。
ここは貧乏人の歓楽街とも呼ばれる場所で、寂れた様子の酒場や個人経営の小さな娼館が並んでいる。
普通歓楽街は朝は寝ているものだが、ここの酒場は労働者向けの朝食を提供しており、朝から作業服を着た労働者や職工達が、ガツガツと器に入った豆と麦のリゾットをかきこんでいる。
「正直、気に入りませんね」
ランカースは不満そうに呟いた。
「だが、そちらはもう手詰まりなんだろう?」
ミュールの魔術書ポーチに入っている“ように見せかけている”ネクロノミコンのイメージは、ランカースを言い含めるように話しかける。
「困っているところに見知らぬ相手から都合よく差し出された手というものには、大体のところ悪意がこもっているものです」
「見知らぬ相手ではないよ。私の仲間だ」
シャドウがはっきりっと言った。ランカースは眉をひそめる。
「ですが、ラファエラさんの背後についてはあなた達だってよく知らないのでしょう? 今更ラファエラさんが魔術ギルド側だというつもりはありませんが、我々とは何か別の目的があるのではありませんか? それが何か分からないのに、あなたという我々の生命線を相手の目の前にさらけ出すのは危険だと言っているのです」
シャドウの存在はミュール達にとって、ウルでの勢力を保つ切り札だ。シャドウがアカド王子として影響力を保っているからこそ、苦境に立たされている冒険者ギルドは、それでもなんとか魔術ギルドと渡り合えている。
だが、そのアカド王子が偽物だとバレれば、あるいは殺され魔法が解除されてしまうことになれば、深淵にいるアカド王子が戻ってくるまでにアカド王子派と冒険者ギルドはズーラ姫と魔術ギルドによって制圧されてしまうだろう。
「今も暗殺されそうになったこと何度もあるし、今回も大丈夫なんじゃない?」
シャドウは軽い調子で肩をすくめた。
今朝も食事に毒を盛ろうとした暗殺者を捕らえ、その騒動の隙をついて襲いかかってきた暗殺者を返り討ちにしていた。
それを可能にしているのは、毒を検知するディテクト・ポインズンに、皮膚に鋼鉄の硬度を与えるアイアン・スキンなど、シャドウの魔法によるところが大きい。シャドウ自身も、最初は緊張していたものの、魔法による警戒をすり抜けられる暗殺者は滅多にいないことが分かってきてからは、あまり緊張はしなくなっていた。
「ですが油断はしないでください。いくら強い魔術師とはいえ、たった1人でも魔法の警戒網をくぐり抜け、肋骨の間からナイフを、その心臓まで差し込まれては一溜りもないのですから」
「分かってるって」
「……今からでもあなたは引き返しませんか? 交渉だけなら私だけでもいいでしょう」
「それは昨晩、何度も話しただろ。ネクロノミコンやラファエラと会話できる私がいくのが最良だって」
「それはそうですが、まずは私だけで様子を見ても」
ランカースは不安を隠せずにいたが、やがて2人はラファエラの言った店へとたどり着いた。
「炎の踊り亭ね」
看板には炎に手をかざす女性の絵が書かれている。
店の中からはガヤガヤと騒ぐ声が聞こえ、なかなか繁盛しているようだ。
シャドウが扉を開けようとするが、ランカースはそれを遮ると、先頭に立って扉を開けた。
「いらっしゃい」
中にいたのは、頭に布を巻いた中年男性の店主。そしてテーブルに座り、入ってきたシャドウ達を一斉に見た労働者風の客達だ。
客たちは珍しい客に興味をそそられたようだが、すぐに視線をテーブルに置かれた料理に戻した。たまにちらりとシャドウ達の様子をうかがうことはあっても、ジロジロとは見てこない。
だが、長年冒険者を続けてきたランカースは、彼らの視線の中に、ただの労働者とは思えない、首筋のあたりがチリチリと焦げるような鋭さが混じっていることに気がついていた。
(ただの店ではないと思ってはいましたが)
ランカースの直感が警報をあげる。すぐにでもシャドウと一緒にここから出たいという衝動にかられる。
が、シャドウは気にした様子もなく、つかつかと店の中を歩いていくと、カウンターに立つ店主へ話しかけた。
「いらっしゃい。新顔だよな? 朝はシチューとパンとビールしか出せないが、それでもいいか?」
「“折れた角を持つラファエラの紹介だ”」
「あん?」
店主は怪訝な顔を浮かべる。だが、それが見せかけだとネクロノミコンは気がついている。
「おどおどするなよ」
ネクロノミコンにそう囁かれ、シャドウは慌てる様子もなくじっと店主を睨む。
「うちじゃそんなやつは知らないよ。多分、うちのかみさんの友人だろうかね? かみさんは奥にいるから、勝手にやってくんな」
そう言って、視線を落とすが、ふと思い出したように再びシャドウを見る。
「ところで、ビールはいるかい?」
「私は水でいいよ」
店主は少し意外そうな顔をして、コップ一杯の水をカウンターに置いた。
☆☆
店の奥には、肩まで届く黒髪の女性が椅子に座って編み物をしていた。
シャドウが近づくと、座ったまま、じっとシャドウの目を見つめる。それは何かべたつくような視線だった。
「なんとも居心地の悪い場所だな」
ネクロノミコンが軽口を叩くが、女性に驚く様子はない。
「“折れた角を持つラファエラの紹介だ”」
「そう」
女性は椅子から立ち上がると、頑丈そのうな椅子を、女性の細腕で軽々と持ち上げどかした。
それから床にふれると、ぐっと床を持ち上げる。女性の腕が筋肉で盛り上がったのをシャドウは見た。
「地下通路ですか」
ランカースがそう言った。円形状の扉が開き、地下に伸びるはしごが見えた。
「明かりはいる?」
「魔法が使えるなら」
「それは大丈夫」
シャドウはライトの魔法を使い、ランタンのような明かりを浮かべる。
「先に行きます」
ランカースが先頭に、2人は地下へと降りていった。
はしごを少し下ったところで、ガタンと音がして頭上の扉が閉められた。
「ここって」
シャドウがなにかに気がついたように壁に手を触れる。
「むっ」
本来ならば真っ先に気がついたであろうネクロノミコンも、今回はこの場に直接はいないため、気がつくのが遅れたようだ。
そして、長年、冒険者としてダンジョンに潜り続けてきたランカースもシャドウと同様に、空気の違いを敏感に感じ取っていた。
「ここはダンジョンだな」
ウルの町中。その地下。
そんなところに、魔術師ギルドすら把握していないダンジョンが存在していたなどと、ランカースには信じられなかったが……そんな理屈よりも、ランカースの肌は、ここが間違いなくダンジョンであることを、ランカースに告げていたのだった。




