65話 少女はヒドラと戦う
翌日。
シャドウは屋敷で豪華な宮廷料理を食べ、そしてミュールはタンジョンで塩辛い保存食を食べている。
栄養は共有できないが、味は共有できる。
少しジャリジャリとするものも混じった革袋の水も、果実ジュースの味と一緒に飲めば、それなりに美味しいものになる。
周りを見渡せたば、同じものをパーティー全員食べているのだが、味に不満を感じているのはエステルくらいのようで、ラファエラは味覚が独特なのか美味しそうな顔で、冒険者の2人は慣れた様子だ。ネクロノミコンは食べる必要がないので、その間に今日の計画を説明している。
美味しいモノに慣れているアカド王子にとっては、つらかろうとミュールは思っていたのだが、彼は彼で不味さという感覚が新鮮で楽しんでいるらしい。
「いやぁ、こんな口の中がヒリヒリしたり、噛んでも噛んでも噛み切れなかったり、ただただ塩辛いだけって料理があるとは思わなかった」
そのうち不満を言い出すのかもしれないが、少なくとも今はニコニコと笑っている。
「そういうものなのかな」
不味いのが面白いという感覚は、ミュールにはよく分からない。
「苦い野菜とか使った料理もあるでしょ?」
「不味いのと苦いのは違うんだ、これを澄ました顔の大魔術師達も食べているのかと思うと、面白い」
「そういうものなのかな」
ミュールは二度同じ言葉を繰り返すくらい、やはり貴族と言うのは理解できないと感じていた。
☆☆
ネクロノミコンの指示により、作戦を変える。
大量のモンスターとの戦いは、時間がかかるばかりで利益も少ない。
「ゴーストサウンドの魔法で敵の気を引いて、その隙に進む。ここでは隠れて進むのではなく、おびき寄せてから進むというわけだ」
これだけ敵が大量だと、その全ての目から隠し通すことは難しい。ならばこちらから誘導して、一箇所に敵を集め、その隙に先に進んだ方がいいというのがネクロノミコンの意見。
フウゲツやエステルも納得して同意した。
「それじゃあ、頼むぞミュール」
「分かった……グレーターエンラージ・ゴーストサウンド!」
魔法に距離大延長を付与し、出来る限り遠くに、大きな物音を立てる。
ざわりとダンジョンが蠢き、無数の足音が音の方へと動く気配がした。
「今のうちだ、いくぞ」
ネクロノミコンの作戦は当たり、この日、ミュール達は一気に20階の守護者の前まで到達した。
☆☆
「今回は8首ヒドラか、20階守護者の基準からは逸脱気味の強さだな」
戦いながらネクロノミコンが言う。
20階の守護者は、ランク307。8首ヒドラ。
ランク200を超えると、その測定は推測が多くなり、実際の実力からかけ離れたものになりがちだが、この多頭の異形蛇が尋常の魔術師では及びもつかない怪物だということだけは確かだろう。
8つの頭が独自の意思を持つかのように、自由自在に動き回り、アリーナのような形状のこの大部屋を所狭しと暴れている。
「アルダッド! 下がれ!」
ネクロノミコンが叫ぶ。
アルダッドは首の1つを格闘していたが、その後ろを別の首が背後から襲った。
ミュールは目の前の首にウィンド・カッターを浴びせたところで、魔法は間に合わない。
「アイシクル・ダート!」
エステルは狙いを定めるために突き出した指から細く鋭い氷の刃を放った。
氷の矢は寸分狂わず、アルダッドを狙ったヒドラの目を貫いた。
「カァァァァ!」
目を貫かれたヒドラの首は、唸り声をあげて悶絶する。
「私の魔法にミュールやラファエラほどのパワーがなくとも、威力を上げる方法はありますのよ」
ナイフ程度の威力しか持たない貧弱な魔法であっても、急所に当たれば十分な威力を発揮する。今のエステルは魔法を積極的には使わず、必要とされるタイミングで最大の効果を得られる戦い方を心がけていた。
エステルの一撃はヒドラにとって致命傷には程遠い。首を落とされても再生するヒドラの再生能力をもってすれば、眼球の損傷など1分も掛からず再生するだろう。
だが一時的にしろ片目の視力を失うことは避けられない、そして鋭い痛みはすべての首にも共有され、僅かな間にしろ動きが止まる。
「ミュール!」
「任せて! ギガースアクス・オブ・フレイム!」
ミュールの手に連動して操られる、巨大な炎の斧が片目を失ったヒドラの首を切り落とした。
そのまま横薙ぎに振るわれた斧は、痛みで怯んでいたヒドラの首3つを一気に焼き切る。
ヒドラは傷口を火で焼かれると再生能力を一時的に失うという欠点がある。
そして奇妙なことにヒドラの再生能力は首の数に比例し、首を切られるとヒドラの胴体の再生能力も鈍くなるという弱点があった。
戦いの均衡は崩れた。
弱体化したヒドラをミュール達は確実に追い詰め、やがてすべての首を切り落とし、胴体を炎で焼いたのだった。
☆☆
「ヒドラの皮だけでも一財産になるが、さてこれは……」
ヒドラの尻尾のあった部分に一本の剣が発生していた。
これが今回のマジックアイテムだろう。
「ふむ、これは、初めて見る剣だな」
「ネクロノミコンも見たこと無いの?」
「低層の戦利品はかなりの数知られているが、ヒドラが出て来るのは珍しくてな。見たところアンデッドに強く、鞘から抜くと激しい輝きを放つことは分かる」
ネクロノミコンに言われてミュールは少し剣を鞘から抜くと、刀身から激しい閃光が溢れた。
「まぶしぃ」
「ダンジョンで扱うには少々目立つ剣だな」
「抜いているだけで真昼の明るさだよ」
完全に抜き放たれたその剣は、反りのない両刃の直剣で長さはロングソードより少し短く片手で振るうための剣のように見える。また刀身から溢れる激しい輝きは周囲を照らした。ネクロノミコンはその刀身をうるそうな顔で見ている。
「アンデッド殺しのオーラは俺には不愉快だ。他のやつに渡せ」
「そう?」
ミュールは素直に鞘に戻し、仲間を見渡す。
「俺はすでに剣をもらいましたので」
アルダッドは冷気纏うアイシーバースト・ロングソードの柄を軽く叩いた。
「俺はこの武器でないと収まりが悪くてな」
フウゲツはカタナ以外は得意としていない。
「となると、ラファエラ、エステル……それかアカド王子?」
「私に渡されても使えませんわ」
「戦えない私が持っていても仕方がないだろう」
エステルとアカド王子も断った。
20階のマジックアイテムだというのに、貰い手がいないとは。
「そういうものだ。大体のところ全員戦闘スタイルというものが固まっている。新しい武器を使えと言われても、そう都合よく対応できるわけじゃない。それに効果が不明な部分も多い武器だ」
鍔の部分には細い線が刀身から放射状に伸びている意匠になっている。
何を意味するのかはミュールに分かるはずもないが。
「それじゃあ私が預かろうか」
ラファエラはそう言うミュールの手にあった剣の鞘を掴んだ。
「ラファエラが? 腰の剣とは随分形状が違うけど」
ラファエラの細剣は片手剣だが細く長い。形状もリーチの違う武器をすぐに扱えるものかと、ミュールは少し不安な顔をした。
「こういう剣も使い慣れているんだ」
ラファエラは受け取った剣をすらりと手慣れた様子で抜き、右手で∞の字を描くように振るった。
その姿は落ち着いていて、慣れているというのは虚勢ではなさそうだ。
連日の戦いにも関わらず、地上と変わらない表情でニコリと笑うラファエラに、ミュールは信頼を感じていた。
☆☆
今日は20階で野営することになった。
守護者の階は原則モンスターは現れない。
魔法の結界は念のため張っておくが、ゆっくり眠れるのは危険だらけのダンジョンではありがたいことだ。
横になった時、ミュールは身体が沈むような感覚をおぼえた。
「疲れてるのかな」
無理もない。そうミュールは思った。
深淵の20階。魔術師ギルドから高い評価を受けている魔術師や、冒険者ギルドのS級冒険者でもたどり着けない魔境。
そこに、まだ魔術師になって1年も経っていない、ついこの間まで何も知らない田舎娘だった自分がこうして寝袋に包まって眠ろうとしている。
そのギャップに、ミュールは独りで笑った。
(ネクロノミコンと出会わなければ、私はどうなっていたんだろう)
たまたまミュールが中古の魔術書を探すことを思い立ち、たまたまペテン師の魔術師に騙され、そしてたまたまミュールがネクロノミコンを扱いこなせるほどの魔力を持つ深淵生まれ……。
そのような偶然がすべて揃うなんて、ネクロノミコンに書かれている神々の悪戯ではないだろうか。
(わけないわよね、私の人生の裏では、何かもっと大きな意思が動いている)
魔術師ギルド長コーレシュとその孫エステル、冒険者ギルド長フウゲツと副ギルド長ランカース、アカド王子やズーラ姫。
ラファエラだって沢山の秘密を抱えている謎多き友人だ。
そして、ネクロノミコン。
「私にはみんな大きすぎるよ……でもそれでも進むしかないよね」
「そうだな」
枕元に置いてあったネクロノミコンは、何を今更と笑って言った。
ミュールは微笑むと、目をつぶり、そのまま夢の中へと落ちていった。




