60話 魔術師と少女と10階の守護者
地下10階の守護者の部屋を前にして、ミュールはシャドウの様子に苦笑していた。
「いけない、私は私で集中しないと」
扉の向こうには守護者がいる。
ネクロノミコンだけは、守護者は不相応な強敵がでることがないから気が楽だとリラックスしているが。
扉を開くと、そこには角を生やし炎をまとう山羊の顔をした巨人がいた。
部屋もこれまでの石レンガで作られた世界と違い、溶岩が流れ、炎が間欠泉のように吹き上がる地獄のような部屋だ。
「イフリートだな」
ランク160。火の魔人。
「炎の魔法をすべて再現できるが、まぁそれだけだ。楽な相手だぞ」
「それだけで十分脅威なんですが」
「火しか使えない、冷気に弱い、肉体的にはちょっとした巨人程度。火の巨人に比べたらなんてことはない」
「さよですか」
ネクロノミコンは軽いが、パーティーには緊張が走っている。
これが守護者。
すべての魔術師が夢に見て、そして少なくない魔術師が敗れていく高い壁。
「いくわよ!」
ミュールの掛け声と共に戦いは始まった。
☆☆
「だから言っただろ、楽だって」
「で、でも……まさか一撃だなんて」
魔力の回復したミュールが放つ全力のフリージング・プリズンスフィア。
球体状の範囲を一瞬で凍結させる上級魔法。
イフリートは分厚い氷の中で反撃する暇もなく氷漬けになっていた。
「耐性を付与できない相手なぞ、深淵を目指す魔術師なら一蹴して当然だ。それより、まだ余裕があるからイフリートの死体と生成されたマジックアイテムを回収したら先に進むぞ」
「はーい」
ミュールは凍結を解除する。
もしかすると、ここからイフリートが立ち上がるのではとパーティーは警戒するが、イフリートはピクリとも動かない。
振り上げた剣の置き場所もない気持ちで、全員がなんだか悪いことをしたかのように居心地の悪い思いをしながら、ミュールはイフリートを回収し、他の仲間はアイテムを探すのだった。
「これかな?」
守護者を倒すと、ダンジョンはアイテムを生成する。
それは持ち帰れば国中に名声が轟くほどの大秘宝ばかり。
今回見つけたアイテムは、『鎖外しのシャツ』。
「これは着ていると、縄、鎖、強風、水中、麻痺毒など身体の動きを阻害するものを無視できるシャツだ。魔法による効果はもちろん、物理的なものもだ」
「どんなものでも?」
「着ている人の意識がありさえすれば、たとえどんな怪物から押さえつけられていたしても、どんな縄術の達人から縛られていたとしても、するりと抜け出すことができる。毒は効果を失い、水は空気のように抵抗のないものになる」
「すごい! それがあれば暗殺の危険も随分回避できる!」
「やらんぞ」
目を輝かせた王子に対して、ネクロノミコンは冷たく言った。
「もちろん分かっているさ。私が貰い受ける場合にはちゃんとした対価を払うよ」
王子も自分は同行しているだけで分前を受け取れるような仕事は何もしていないことを理解している。
それでも、あのシャツは暗殺に怯える王子にとっては、魅力的な秘宝だ。
☆☆
「今暗殺されそうなのは私だけどね」
同時刻、ウルの街角にて。
シャドウは3人の暗殺者に囲まれていた。
みなそれなりに腕の立つ魔術師らしく、ランカースは顔を知っているそうだ。
いちいち紹介するようなことはしなかったが。
「王子は下がっていてください」
「う、戦っては駄目?」
「もちろん」
ランカースに言われてシャドウは仕方なく下がる。
アカド王子に魔法の才能はない。
そのアカド王子の影武者であるシャドウが、魔法を使って暗殺者を撃退するわけにはいかない。
「いざとなったら別ですがね」
「この程度はいざって時とは言わないか」
ランカースはぐっと拳を握ると、構えた。
魔術師達は顔を見合わせる。
この男は、魔法に対して徒手空拳で戦おうというのだ。
思わず呆れて笑いも出るというもの。
「え?」
笑った魔術師の顔がぐるりと回った。
一足で飛ぶように間合いを詰めたランカースの拳が、魔術師の顎を打ち抜き、その首が有り得ない方向に曲がっていた。
「な、な、なんだ!?」
別の魔術師が慌てて魔法を使おうとするがそれより早くランカースの裏拳が顔面に叩き込まれ、もう一人の側頭部をランカースの蹴りが叩き割っていた。
「さて、王宮へ参りましょうか」
血の海に沈んだ魔術師達を背景に、服を整えながらランカースはにこやかに言った。
どんな魔術師であっても、魔法を使われる前に叩き潰されては為す術はない。
ズーラ姫はミュール達のいなくなった今ならと思ったようだが、下手な魔術師程度なら、ランカースは簡単に打倒できる。
彼は冒険者ギルドのナンバー2。フウゲツがいない今、ウル最強の冒険者なのだから。




