58話 魔術師は深淵を進む
深淵1階。
想定脅威度 ランク5。
前回と違い、今回の目的は50階の踏破。
モンスターとはいちいち戦う必要はない。
「今日は地下9階まで進む」
「一気に9階も?」
ネクロノミコンの言葉に、エステルが驚いて言った。
一般的に、現代では深淵10階の探索は片道4日で計画される。
地下10階の守護者を倒す前に地下9階で野営し魔力を回復させるのはもちろんだが、地下4階、地下7階でそれぞれ休むのが一般的だ。
「これでも安全策だぞ。俺は地下10階まで一気に行けると思うんだがな」
「休憩なしで守護者と戦うのは無謀ですわ」
「無謀かどうかは戦ってみることだ。地下10階での戦いぶりで今後の予定を決めようと思う」
ダンジョン探索の指揮はネクロノミコンが取っている。
この中で最も深淵を知るのは彼だ。
本の身でありながら、だれからも文句を言われずリーダーの役割を担当することになった。
ライトの魔法で暗闇を照らしながら、石レンガで覆われたダンジョンを進んでいく。
戦闘はできるだけ回避し、地下1階で戦ったのは天井から落ちてきたキラースパイダーと一回戦っただけだ。
歩いている時、ふとラファエラがミュールのことをじっと見つめていることに気がつく。
「どうかした?」
「気づいているかいミュール」
「何のこと?」
「君のその美しい黄金色の瞳は、ダンジョンの中にいると、暗闇でも輝くんだ」
「…………」
ミュールは思わず自分の目を押さえた。
「不思議な瞳だ。思わず見とれてしまったよ」
そう言うラファエラのエメラルド色の瞳は、暗闇の中ではくすんだ灰色にしか見えない。
ミュールはポケットから鏡を取り出し覗き込む。
ラファエラの言うとおり、鏡に映る黄金色の瞳は、深淵に戻ってきたことを喜ぶかのように輝いていた。
「ネクロノミコン、これは一体?」
「瞳がマナに反応しているんだ。お前の瞳は特別で、強いマナを感じると今のように輝くんだ」
「特別……」
「暗闇では便利だぞ、ちょっと明るい」
「……それ、私には見えない」
「それもそうだな」
からからと笑うネクロノミコンの表紙を、ミュールはそっと撫でたのだった。
☆☆
深淵3階。
想定脅威度 ランク12。
前回の最終到達階だが、今回は余計な邪魔もないため問題なく進む。
切り株のようなファニートレントがひょこりと顔を出し、ミュール達の様子をうかがっているが、気にせずにダンジョンを進む。
途中、マナによって生成されたロングソードを一振り見つけた。
刀身にうっすらと霜が降りている魔法の剣だ。
「これは、冷気爆砕のロングソードだな」
冷気をまとった剣で、魔力を込めると冷気の爆発を引き起こす。
「昔なら戦士でもある程度の魔力があったんだが……現代の戦士には冷気爆発は使えんな」
それでも魔法で強化された業物であることには変わりはない。
剣はアルダッドに渡した。
「実戦中に武器を変えるのは不安になりますね」
同じロングソードと言っても、刀身の長さや鍔の形状などが若干異なる。
アルダッドは何度か剣を振りながら、感触を確かめていた。
先へ進む階段は反対側の部屋にあった。
「次は4階。初めてのエリアね」
「敵は多少強くなるが、今のお前たちなら大した障害にもならん。本番は10階を超えてからだ」
「その10階が現代魔術師が目指す生涯の目標なんだけどね」
深淵4階。
想定脅威度 ランク24。
階段を降りた途端、周囲を女性の上半身に蛇の下半身を持つレッドナーガに囲まれた。
見た目は女性のものだが、肌がルビーのように赤く、口は耳まで裂けている。
「陣形!」
フウゲツが叫んだ。
ラファエラとアルダッドはすぐに円陣を組み、エステルと王子を守る。
「レッドナーガのランクは19! 凝視に気をつけろ、相手の目を見ると一瞬だが意識を失うぞ」
レッドナーガの昏迷の凝視の効果は10秒。
およそ10秒間だけ視線を合わせた相手の意識を奪う。だが戦闘における10秒は、致命的な時間だ。
それに加えて。
『フレイム・アロー』
レッドナーガには下級魔法相当の炎の矢を飛ばす能力もある。
次々に飛び交う炎の矢をラファエラがアイス・ウィンドで防ぐ。
「うっ……」
「王子! フォーム・オブ・アニマル!」
やはりというか、まずアカド王子がまず凝視に倒れた。
エステルは馬の運搬力を得て、王子を抱える。
フウゲツは腰に差した4本の刀を抜いた。
「やはり囲まれた状況じゃ不利だな、ミュール!」
「分かった!」
フウゲツの目の前にいる3体のレッドナーガに対して、ミュールはサンダー・スウォーム(雷の群れ)を発動して一気に焼き払う。
包囲の空いた隙間をアカド王子を抱えたエステルが突破し、ミュール、ラファエラもそれに続く。
対して、突破させまいと、左右からレッドナーガが詰めてくるが。
『ギャ!?』
フウゲツの4本の腕がブレたかと思うと、次の瞬間にはレッドナーガの腕や首に深い斬撃の跡が残っていた。
「首を落とすつもりで斬ったんだが、倒せたのは2体か」
レッドナーガの頑丈な外皮は、魔法鋼の刀を持ってしても致命傷を与えづらい。
それでもランク20近いモンスターを一撃で2体も倒せるのはフウゲツが尋常の剣士ではない証だ。
レッドナーガが警戒して間合いを取った隙に、ミュール達は陣形を立て直すことができた。
こうなれば、もう倒される心配はない。
☆☆
地下9階。
想定脅威度 ランク74。
「ファイアー・ボール!!」
ミュールの魔法が3体のマンティコアを吹き飛ばした。
残った1体が飛びかかってくるが、それをアルダッドが剣を振って牽制し動きを止める。
「メテオ・ストライク!」
動きの止まったところをエステルの魔法が貫き、マンティコアは頭を砕かれ動かなくなる。
「ふぅ、ランク100以上が4体も」
9階の想定脅威度を大きく上回る相手だったが、この程度の逸脱は十分にありえる範囲だ。
ここは現代魔術師にとって、一瞬たりとも気が抜けない地獄なのだ。
だが、ミュール達の目指すところに比べたら、ここはまだまだ浅い。
「階段はあそこだな。よし、今日は近くの部屋で野営しよう」
ネクロノミコンに言われて、全員が安堵の息をついた。
「本当に1日で9階までいけるとは」
ミュールの魔法で相手の数を一気に減らせるとはいえ、何度かヒヤリとする場面はあった。
それでも目標を達成できたことは、パーティーの自信につながる。
「でも確かに、まだ魔力はかなり余裕がありますわ」
「ほとんどの戦闘で、魔法の使用は1~3回程度だものね」
扉を魔法で施錠し結界も張ると、パーティーは無事、深淵での最初の1日を終えた。
☆☆
時間はお昼ごろまで遡り、場所はウルの王宮。
シャドウは貴族達の定例会議に出席している。
「…………」
ここでシャドウがやるべき仕事は、座って椅子を温めることだけだ。
「では問題がないようですので、これも予定通りに」
基本的に、貴族達は自分に関わる問題以外は発言しない。
そして自分に関わる問題であっても、大抵の場合事前に根回しが行われているので、問題ないと頷くだけだ。
ズーラ姫ですら、ここではつまらなそうな顔をしたまま黙っている。
「むっ」
その時、国王が言葉を発した。
進行をしていた宰相は話すのを止めて国王を見る。
「ぐぅぅぅ……」
国王は目をつぶり、いびきをかいていた。
それを誰かが咎めることもなく、宰相は何事も無かったかのように中断していた話を続けた。
シャドウは、ここで行われている仕事が、物事を右から左へ動かすだけのものだと理解した。




