57話 魔術師と少女は再び深淵へ
そして深淵を目指し、ウルを出発する日が再びやってきた。
前回はひっそりとした旅立ちだったが、今回はサクス校の生徒や教師や冒険者ギルドの面々、それに王子派の貴族たちの名代が見送りに来ている。
アカド王子はランカースの手によって変装しているのだが、それでも見られないように幌付きの馬車の中に引きこもってもらった。
「それだけ期待されているってことだ」
ネクロノミコンにそう言われ、エステルは口元をにやつかせているが、ミュールの表情は変わらない。
「嬉しくないのか?」
「そういうわけじゃないけどね。でも、すべては深淵を攻略した後ででしょう?」
「そうだな」
結局、今受けている期待も、今回の探索が失敗したらすべて消える程度のものだ。
ミュールとネクロノミコンは探索を成功させなくてはならない。
ネクロノミコンに取って、深淵地下50階は困難とはいえないレベルの場所だ。
ミュールの才能があれば、幸運に頼らなくても踏破できると考えている。
だが深淵ではなにが起こるか分からない。
どれだけ用心しても、思いもかけない遭遇が発生し、優れた魔術師が倒れることだってある。
「油断はしていない。だからこそ準備したんだ」
ミュールを除けば100年前より魔力の面では劣っているかもしれない。
だがそれ以外の点では、100年前でも十分通用するパーティーだと、ネクロノミコンは考えている。
かつて、ネクロノミコンがバラムだったころ、共に深淵を目指したパーティー、あの勇者ピーノ達4英雄とコーレシュの5人と比べてもだ。
「ね、ネクロノミコン!」
記憶にひたっていたネクロノミコンを、ミュールの声が呼び戻した。
「どうした?」
「あ、あれ……!」
さきほどまで動じていなかったはずのミュールが、激しく取り乱している。
一体何を見たのか、ネクロノミコンはミュールの指差した先に視線を向けた。
そこには……ズーラ姫と護衛、そして美しい万色に輝くローブを身をまとった初老の男……魔術師ギルドの偉大なる長、千の魔術のコーレシュが立っていた。
「馬鹿弟子……!!」
ネクロノミコンの声は周囲の声にかき消され届かなかったはずだ。だが、コーレシュは鋭い眼光でミュール達を睨みつける。
ネクロノミコンが最初、エステルの誘いに乗って深淵を目指したのは、コーレシュに会うためだった。
なにを考えているのかを聞き、どこが間違っているかを指摘するつもりだった。
「どうするネクロノミコン!?」
だがコーレシュの目的が賢者の塔以外の魔術師を消すことだとわかった今、ネクロノミコンが道理を解いても納得はしないだろう。
コーレシュの道は、ネクロノミコンの目指した場所からはかけ離れたものになってしまっている。
ならば力づくで分からせるしか無い。
そして今なら、コーレシュは目の前にいる!
「……くっ、だめだ。今手を出す訳にはいかない」
「どうして!?」
「ここでコーレシュを倒すことはできるかもしれない。だがすぐそばにズーラ姫もいる。王族と魔術師ギルド長の2人に今攻撃を加えたら、我々は大罪人だ……コーレシュと賢者の塔を倒すのは、正当な理由と発言力を得た上で、やつらの企みを公的な場で証明してから、つまりは深淵から帰ったその時だ」
「……分かった」
ミュールは一度、深呼吸して興奮を抑えた。
「今は我慢する」
☆☆
「仕掛けてこないか」
一瞬はミュールの魔力が臨戦態勢に入り膨れ上がったのがコーレシュにも見えた。
だがそれはすぐにおさまり、今は平常時の状態に戻っている。
ネクロノミコンの言うとおり、ここでミュール達がコーレシュを攻撃すればそれで話は済んだ。
たとえここでバラムを倒すことができなくとも、万が一バラムがコーレシュを倒すことがあったとしても、魔術師達は誰もバラムの言うことを聞きはしないだろう。
あの時と同じように、邪悪な魔術師としてバラムは孤立し、いずれは“勇者”によって討ち滅ぼされる。
「ふうん、あれが最強の魔術師?」
ズーラ姫は興味深そうにミュールを眺めている。
「見た目はただの子供じゃない」
「役割はただの魔力タンクだ。年齢も経験も関係ない」
「なんだ、つまらないわね」
「あの中で敵となりえるのは師だけだ」
「もう一人は?」
「角つきか。あいつらも随分、私に楯突いているが……姫も知る通り我らは常に順調であった。それが答えにはならないかね」
コーレシュは不敵に笑う。
ズーラ姫も同様に笑うが、その目には冷たい輝きがあった。
☆☆
王宮のバルコニーからその様子を眺めていたシャドウはため息を吐いた。
シャドウは、ネクロノミコン達がいない間、あの2人相手に王子の代わりとして戦い抜かなければならない。
「はぁぁぁ、気が重い」
シャドウは誰にも聞こえないように、小さな声で愚痴を漏らした。
☆☆
翌日。
深淵を囲む城塞で一泊し、ミュール達は再び深淵の入り口へやってきた。
深淵の入り口には前に来た時と同じ姿で、真鍮竜アセルルが彫像のように身じろぎもせず立っている。
かの竜王は、マナが枯渇したこの世界で衰弱しながらも、深淵を守るためにここに立ち続けているのだ。
朝の陽光を浴びて金色に輝く竜王の姿を見上げながらミュールは思わず言った。
「こんにちは、竜王アセルル。今日も美しい鱗ですね。私達はこれから深淵50階を目指します。どうか見守っていてください」
この会話することすら命を削るほどに衰弱した竜王が、実際に何かをしてくれるとは思わない。
そんなことはミュールにも分かっている。
だが、それでもこの竜王は見る人に畏敬の念を呼び起こす力があった、美しかった。
衰弱してなお、竜王は依然として竜王だった。
ミュールの言葉を聞いて、竜王アセルルは言葉を発することはしなかったが、僅かに微笑みを返し、ミュール達を見送ったのであった。




