5話 魔術師は少女とダンジョンを目指す
クラスA。通称特別クラス。
入学生のうち、特に優秀なものが選ばれるというクラス。
そこにミュールは選ばれたようだ。
魔術師の腕は、魔力の制御能力とその制御能力を活かせる高度な魔法が記された魔術書の2点によって決まる。例えどれだけ優れた魔術師でも下級魔法しか記されていない魔術書では、並の魔術師にすら太刀打ちできないのだ。
ゆえに、優秀な魔術師と呼ばれる者たちは多くの資産を持っている事が多い。このクラスの魔術師達もやはり資産家の息子、娘たちのようで、手にした魔術書はどれも高級品ばかりだ。中には市価にして銀貨1万枚、かのコーレシュが記した大魔術書“コーレシュの万能鍵”を持っている者もいた。
彼の右手が左手に比べて太いのは、あの人を殴り殺せそうなほど分厚いコーレシュの万能鍵を常に持ち歩いているからだろう。
「やぁマドモアゼル! 君と同じクラスになるなんて、嬉しいよ」
「ラファエラ!」
一人古びた人皮のゾンビ魔術書を隠すように座っていたミュールは、聞き覚えのある声に呼ばれて思わず安堵の笑顔を浮かべた。
「良かった、周りの人は何か空気が違ってて話しかけづらくて」
「確かに君の言うとおりだよ。私は君と話した方がずっと気が楽だ」
相変わらずラファエラは芝居がかった仕草と口調だ。ネクロノミコンはラファエラの方が周囲のただ金持ちなだけの生徒達よりもよっぽど変わっていると密かに思っていたが、口には出さなかった。
「それにしてもあの彼の魔術書を見たかい? すごい大きさだね」
「あれはコーレシュの万能鍵っていうすごい高価な魔術書なの。あれ一冊でどんな状況にでも対応できるって言われてるわ」
「確かに、あれだけ大きければどんな鍵のかかった扉だって打ち破れそうだ」
ラファエラはそう言って大げさな仕草で頷いた。魔術書の価値を知っているミュールからすれば、その冗談はあまりウケなかったのだが、ミュールに抱えられた彼にとっては、よほどツボだったらしい。くっくっくっと笑いをこらえる声が漏れ、表紙をプルプルと震わせている。
(ちょ、ちょっとネクロノミコン、静かにしなさいよ)
(くっくっくっ、確かに万能鍵だ、コーレシュのやつめ、いつのまにか自分の魔法を見つけておったのか)
「ん? どうかしたのかい?」
「なんでもないの! ジョークが面白かったからつい」
「ぬふふ、そうだろう、故郷でも私のジョークはちょっとしたものだったんだよ」
気を良くしたのかやたらジョークを連発しだしたラファエラを生暖かい目で見守るミュールとは対象的に、ネクロノミコンはさっきから震えが止まらない。
もしかしたらこの二人、相性いいのかもしれないなと、ミュールは頬杖を付きながら思っていた。
☆☆
翌日。
ミュールとネクロノミコンは初めての授業を受けていた。
現代の魔法の授業の大部分はこの世界に存在する魔法を片っ端から暗記することだ。
暗記した魔法は最初のうちはなんの意味も持たないが、成長するに連れて暗記した魔法が自分のものとなる時がある。その時に魔術書にその魔法を記録し、魔術師は初めて新しい魔法を使うことができるようになる。
「だったらなぜ初級魔法は、そのルールに無いのだ。なぜ初級魔法だけ魔術書無しで魔法を使うことができるのか疑問には思わないのか」
「なによ急に、私は授業を受けているんだけど」
今教師は、ウォーターブリージング、水中呼吸の魔法について話していた。ミュールをはじめすべての生徒はそれを必死にノートに書き写している。
「おい、ウォーターブリージングがどのような仕組みで呼吸を可能にしているのかという説明は無いのか?」
「そういう雑学は授業以外でやってよね」
「……そうか」
もしもネクロノミコンに両手があったのならば、ネクロノミコンは顔を覆い嘆いていたことだろう。だがそれはできなかったので、ネクロノミコンはただ目をつぶるだけだった。
☆☆
「ダンジョンにいくぞ」
休日、朝起きたミュールに対して、ネクロノミコンはそう言った。
「おはよう、いきなりなによ、たしかにそのうちダンジョンにいって学費を稼がないととは思っているけれど」
「だったら今日から行くべきだ、あんな学校にいっても何も得るものはない」
「ふあぁぁ、ネクロノミコンは相変わらず偉そうねぇ、学校のカリキュラムはコーレシュ様を含む、魔術師ギルドの大魔術師達が作ったものなのよ。あれでたくさんの魔術師たちが育っているんだから、あなたの時代の教育は知らないけれど、今の魔術は複雑化しているの」
「何のための複雑化なのか、魔術師達は理解しているのか?」
「より良い魔法のためでしょ」
「より良い魔法と複雑化の相関関係とは……まぁいい」
ネクロノミコンはあわてて議論を打ち切った。ミュールが二度寝しようと目をつぶったためだ。
「学校のことは置いておく。とにかくだ、ダンジョンにいって魔術を実践せよ。魔力の伸びのよい今の時期に魔法の実践を怠るのは致命的な時間の浪費だ」
「ふあああ、魔力の過多なんてあまり重要視されないじゃない。そんなことより、どれくらいたくさんの魔法を扱えるかよ。でもまぁ確かにダンジョンに行くのも悪くはないわね。いいわ、行きましょう」
「よし、ではすぐに行こう」
ネクロノミコンを使えば、かなり多くの種類の魔法が使えることはミュールにも分かっていた。昔の人らしく常識知らずのところはあるが、ダンジョンについても素人では無さそうだ、今月の生活費くらい早々に稼げるかもしれない。
「朝ごはん食べてからね」
それでもミュールは、まず忘れずに食事を取るのだった。
☆☆
深淵とよばれるダンジョンがある。
あらゆるダンジョンの中でも、もっとも早くこの世界に現れたダンジョンと言われている。実際、記録をたどってみても、深淵より古くからあるとされるダンジョンは存在しない。
バラムはこの深淵の踏破不可能とされている地下100層より奥から生還した唯一の魔術師だった。バラムが地下103層で入手した無名の護符は、あらゆる魔術を吸収する、地上の技術では再現不可能なアーティファクトであった。
だが強力なアーティファクトを手に入れるのがバラムの目的ではない。バラムの目的は、深淵というダンジョンそのものにあった。
入るたびに姿を変える変幻の地。マナを多く含んだ無数のアイテム。深淵とは何か、ダンジョンとは何か、それを求めることがバラムの目的であったのだ。
☆☆
「で、街から一番近いハカンの洞窟9にいこうと思うんだけど」
「どんなところだ?」
「最近見つかったところ、ダンジョン探索士ハカンが見つけた9番目の洞窟」
二人が話しているのはウルの冒険者ギルドの張り紙だ。隣の看板には地図が貼られており、番号の付いたピンが無数に刺されている。ピンの番号と張り紙の番号を照合することで、ダンジョンの大体の位置が分かるというわけだ。
「たまに間違えたり、冒険者の方がいたずらして差し替えたりするので確認はしっかりとしてくださいね」
ミュールの後ろからそう声がかかった。振り返ると、にこやかな笑顔を浮かべた女性が立っていた。胸のところには冒険者ギルドを示す杖と松明を交差させた意匠が刺繍されている。ギルド職員なのだろう。
「こんにちは、私は冒険者ギルド職員のロサと申します。見かけない顔ですね。ここに来るのは初めてですか?」
「はい、私、サクス校の魔術師なんです。それでダンジョンに挑戦しようと」
「良い心がけですね。どうでしょう、まず面談して冒険者ギルドでも会員登録しませんか? もちろん魔術師ギルドで登録があるのは分かっているのですが、冒険者ギルドでの登録データがあった方が相性の良いパーティーの紹介などで優遇できると思いますので」
ロサはニコニコと営業スマイルを浮かべている。魔術師は厳密には冒険者ギルドには属していない。魔術師ギルドに所属している。中には冒険者ギルドの指示に従わない者もおり、こうして若い内から囲い込み帰属意識を持たせることが、経営方針としてギルド職員には指示されているのだろう。
ネクロノミコンはさきほど、ミュールから説明された冒険者ギルドについて思い返していた。
冒険者ギルドとは、魔術師ギルドの下部組織で、魔術師がダンジョンへ探索に赴く際に、その護衛や雑務を行うための魔術師以外の人員を確保するために魔術師ギルド員と外部の人間が協力して組織したギルドである。というのが、ミュールの説明だ。
もちろんダンジョンは魔術師ギルドの管轄であり、冒険者だけでダンジョンに潜るのは禁止されている。1人以上の魔術師がパーティーに存在することがダンジョンへの扉が開かれる条件だった。
その目的の内容上、自然とさまざまな状況に対応できる生存術の巧者が集まり、ダンジョン探索以外の、街道にはびこる山賊からキャラバンを護衛するような仕事や、小規模のゴブリンの集団を撃退するなどといった仕事を頼まれるようになっていった。
今では冒険者ギルドはダンジョン探索を主目的とする魔術師ギルドとは、また違った立ち位置の組織へと成長しており、微妙な軋轢も生じているのだと、ミュールはネクロノミコンに教えた。
なるほど、この職員も親冒険者ギルド派の魔術師か、せめて冒険者ギルドの意向を無視しない魔術師を増やすために、冒険者ギルド独自の登録リストを作り上げようとしているのだろう。
そのことにミュールは気がついているのか、ネクロノミコンにはわからなかったが、ミュールは特に迷う様子もなく、二つ返事でロサの後についていった。
☆☆
「では、希望されるパーティーについて教えてください」
「ええっと、とりあえずはソロで近場のダンジョンに行こうかと」
「ソロですか?」
ロサの表情が少し曇った。
「そんな奥までいくつもありはないんです。私、学生ですしダンジョンにいける時間も限られているので、それに冒険者の皆さんを合わせてもらうのも……」
「それでしたらお気になさらずに、魔術師がいなければダンジョンには潜れません。たとえ1時間程度であっても、依頼を受けたがる冒険者はいますので。こちらの資料が、報酬分配のモデルになります。一般的な6人パーティーの場合、魔術師が5割、残り5割を冒険者で分配するように魔術師の皆さんにはお願いしております。ミュールさんの場合は少人数でのパーティー編成になりますでしょうし、3人パーティーで7:3をおすすめします」
「そんなにもらってもいいんですか?」
「ええ、我々冒険者も納得している取り分です。繰り返しになりますが魔術師がいなければダンジョンには潜れませんから」
ミュールは悩む素振りを見せた。慌ててネクロノミコンが震えて自己主張する。
「あ、ええっと、とりあえず今回はソロでいいです。一回低層を軽く見て回って、それで次回から何人くらいでいくといいのか決めようと思います」
「……そうですか、分かりました」
曇った表情をすぐに営業スマイルに戻し、ロサはダンジョンに必要な装備について、説明を始めたのだった。
☆☆
「なんか、悪いわ。装備まで貸してくれるなんて」
ダンジョンに向かうミュールは、ダガーナイフや背負袋、ベルトポーチなどダンジョン探索に必要な装備一式を身に着けていた。どれも使用感のあるギルドの備品で、ベテランが持てば熟達した風格も漂うのだろうが、慣れない装備がガチャガチャ音を立てる姿は頼りなさしか感じられなかった。
「手の開いている者とその場その場で一緒にパーティーを組んで、どれだけ連携ができるというのだ。そんなものならいないほうがマシだ」
「まだ言ってるの?」
ネクロノミコンは冒険者ギルドの説明に不満があったようで、先程からぶつぶつ文句を言っていた。
「おかしいと思わんのか? 生死を賭けるダンジョン探索にあのようなシステムなんぞ」
「生死を賭けるって大げさね」
「は?」
「そりゃマッパーなら危険だろうけれど、私達はただのピッカーだから」
「マッパー? ピッカー?」
「ネクロノミコンったらそんなことも知らないの? 普通の魔術師はダンジョン生み出されるモンスターの素材や、アイテムを回収するのが仕事なの。ダンジョンに最初からいるような強力なモンスターなんかは、最初にダンジョンに入って地図を作るマッパーが全部倒してしまうの」
「今から行くのは攻略済みのダンジョンなのか? だったらなぜダンジョンコアが残っている?」
「ダンジョンコアは原則保護されるの。だってダンジョンコアを回収しちゃったら、ダンジョンが消えちゃうじゃない」
「そりゃそうだ、だがダンジョンを攻略しないことには強力なマジックアイテムであるダンジョンコアが手に入らないじゃないか」
「ダンジョンは資源だから、ダンジョンのマナが枯渇してきたらコアを回収して閉じるけれど、それまではコアの部屋へは立入禁止になっているのよ」
「馬鹿な……それはコーレシュも納得しているのか?」
「そりゃそうでしょう、詳しくは知らないけれどコーレシュ様が魔術師ギルドの長なんだから」
ネクロノミコンが唸り声をあげた。その声にはただならぬものがあったが、ミュールは気にしないことにした。