43話 少女は魔術師である
魔力を使い果たしたネクロノミコンを復活させる魔法は分かった。
だが、ここで大きな問題があることにミュールが気がつく。
「だめ、私にはできない」
ミュールは両手で口を覆うと、絶望でうめき声をあげた。
「私の魔術書はネクロノミコン。ネクロノミコンがいないと魔法を使えないのに、ネクロノミコンを復活させるためには魔法が必要だなんて……」
この世界の魔術師は、魔法を発動するために魔術書が必要だ。
魔術書にはマナを集め、魔力へと変換し、魔法を発動するという役割がある。
魔術師は魔術書を制御さえすれば魔法が使えるというわけだ。
「できないよ、どうしよう、私魔法が使えない」
魔術師にとって、魔法とは存在意義そのものだ。
魔法を失った魔術師は、もはや魔術師ではない。
ミュールは無力だった。
ラファエラは何も言わず、椅子に座ってミュールの様子を見ている。
「そ、そうだ、ラファエラが一時的にネクロノミコンと絆を結んで魔力を……」
「だめだ」
即答だった。
「これは君が乗り越えなくてはいけない壁だ。私は君に方法を教えることはできても、君の代わりはできない。私は英雄ではないんだ」
「英雄って何よ……わけわかんないよ」
「私にはできない。これはミュール君。君にしかできないことなんだ」
「無理だよ、お願いラファエラ……」
ラファエラは首を横に振った。
ミュールは怒鳴り散らしたくなる衝動に駆られ、拳を振り上げるが……力なくうなだれた。
「ミュール、ネクロノミコンは君にたくさんのことを教えてくれたはずだ。その中に、答えはなかったのかい?」
「答え……」
目をつぶり、ミュールはネクロノミコンが語った言葉を思い出す。
それはあまりにもたくさんで、講釈好きのネクロノミコンが話した言葉、面白いこと、つまらないこと、変なこと、驚くようなこと……たくさんの言葉がミュールの中には残っている。
気がつけば、ミュールの口元には笑みが浮かんでいた。
「ネクロノミコンったら……出会ってまだ3ヶ月も経ってないのに、こんなにたくさんのこと話すものだから、ずっと昔から友達だったような気がしてたよ」
やがて、ミュールはネクロノミコンと最初に出会ったところまで思い出を辿った。
そうだ、あの時、ネクロノミコンは言った。
『なぜ魔術書がなければ魔術師になれないのだ? そこらの白紙のノートに自分の魔術を記録していけばいいではないか』
現代魔術師は魔術書がなければ魔法を使えない。
ネクロノミコンは魔術書が無くとも魔法を使えるが、それは現代とは違った魔法体系によるものだ。
それはネクロノミコンだって知っていたはずだ。
ではここでいう魔術書とは何か?
特殊な用紙とインクと方法で魔法について記録され、魔法の行使を行う本。使用するためには絆を構築する必要があり、魔術書との絆は一度に1つしか維持できない。
ここまでがミュールの知識。
「白紙のノート?」
ネクロノミコンは魔術書が無くても魔法が使える。白紙のノートを用意する必要はない。
つまり、白紙のノートという言葉は魔術書を使う魔術師に対するものだ。
思い出せ、そして考えろ。
さっきまでは眠っていた頭脳を働かせ、1つずつ論理を組み立てていく。
ミュールは学校で使っているノートを取り出し机に向かう。
「椅子は使うかい?」
ラファエラが椅子から立ち上がるが、ミュールはペンを持って目を閉じ精神統一していた。
ラファエラの言葉は聞こえていない。
「大丈夫そうだね、それじゃあまた明日。学校で待っているよ」
ラファエラはミュールの背中に声をかけると、振り返ることなく部屋から出ていった。
部屋を立ち去るその顔は、穏やかなものだった。
☆☆
ミュールはラファエラが使った魔法『アーケイナー・ボンド』の発動の様子をイメージし、ペンを走らせる。
形にならなければ次のページに移り、また同じことを繰り返す。
魔法の発動に長い詠唱は必要ない。
なぜならば詠唱は魔術書が行うからだ。
魔術書には魔法の本来の詠唱が長々と書いてある。
ミュールは頭に浮かんだ魔法の詠唱を書きつづる。
最初は1行目でペンが止まる。
3行目まで書いて違和感を感じき次のページをめくる。
また1行目からやり直す。再び3行目で手が止まる。
何度も、何度もやりなおしていくうちに、4行、5行、6行と魔法が形になっていく。
いつのまにかミュールは頭を使うのを止めた。
ただ自分の内側にある声を形にすることに集中する。
そうだ。
マナは最初から人の内側にあるのだ。
魔法がマナから生まれるのであれば、すべての魔法は最初から体の中に存在する。
現代魔術師は知識によって魔法を使う。
魔術書に書かれた魔法や授業で暗記した魔法を何度も反復し、自分の魔法としていく。
だがそれは自分の中にある魔法を呼び覚ましている行為だったのだ。
ネクロノミコンが使える魔法を、ミュールがそのまま使えたのも当たり前だ。
ミュールの中にも、誰の中にも無限の魔法が最初からあったのだから。
地上からマナの殆どが消えようとも、人に宿るマナが少なくなってさえも、魔法はそこにあったのだ。
予備のノートもすべて使い切ると、ミュール財布を持って下宿している家の一階ロビーへと降りる。
定価の5倍もの値段で、そこにいる学生達から予備ノートを片っ端から買い取った。
思わぬ収入に喜びながらも不審そうにしている学生達の視線を気にすることもなく、ミュールは自分の部屋に戻る。
はじめての魔法ゆえに、中々形にはならなかった。
マナの声は小さく、それに気まぐれだ。
だが必ずそこにはミュールの望む魔法があった。
何時間が経過しただろうか。
床には書き損じたノートが散乱している。
だが、書き続けた先は間違いなく結果がある。
だからミュールは作業を苦には思わなかった。
「……できた!」
ミュールはできあがった2ページに及ぶ魔法を確認する。
間違いない、ラファエラが使った魔法と全く同じものだ。
このノートは自分の魔法を形にしたもの。
絆を構築して同調する必要はない。
そんなものがなくても、ここに書かれている魔法はミュールのモノだった。
魔力はただのノートに集まり、書かれてある通りに変化していき、地上のマナを集める。
ミュールは手をかざした。
これが、ミュールが自分自身で使う最初の魔法。
「……アーケイナー・ボンド!」
ラファエラが薔薇物語にやったときより、遥かに強い光と魔力が、ネクロノミコンに注がれる。
それはノートと格闘していた時間に比べて、あまりに短い間だった。
失敗することもなく、魔法は魔力を注ぎ終わる。
ネクロノミコンは……
☆☆
ネクロノミコンは目を開けた。
まだ少ししびれの残る頭を鬱陶しく思いながらも、魔力と意識が完全に回復していることに満足する。
「今日は何日だ? 思ったより早かったように思えるが……ん、なんだミュール、おい、馬鹿者、この程度で泣くやつがあるか、お前なら自分の魔法くらいすぐに使えるようになると分かっていたからやっただけだ、ええい、離せ馬鹿者が、表紙が濡れるではないか……ああ分かった分かった、お前に相談もなしにこんな手は二度としない、約束するからいい加減泣き止め……この程度の魔法に成功したくらいで大騒ぎするとは……ああわかったとも、別に俺もお前から離れたかったわけではない、ちゃんと一緒にいてやるから落ち着け、全く、お前ほどの才能がありながらこのザマとは……」
ネクロノミコンは困ったような、そして彼にしては非常に珍しい種類の表情をしながら言った。
「現代魔術師は弱すぎるな」




