39話 少女は再び に出会う
実力差は隔絶している。
お互いがそのことを理解していた。
本来ならば勝負にはならない決闘……なのだが、
「ファイアァァァウォォォォルッ!」
絶叫と共に作られた炎の壁が、蛇のようにのたうつ水流を受け止め、ジュウと音を立てて白い蒸気を撒き散らす。
霧が晴れた先には、完全に魔法を防御しきれず、身体を濡らしてはいるが、それでも同じ場所に立っているハオンの姿があった。
「は、はぁ、はぁ……! 私の番だな!」
ハオンは肩で息をしながら、健在をアピールするように手を上げ、攻守交代を宣言する。
「これもだめなの」
もちろん、ミュールは相手を怪我させないように少しずつ威力を上げながら魔法を使っている。
だが最初の『ダンシング・トーチ』を防御しきれなかった時点で、2回めのウィンド・ハンマーは受けきれないと思っていた。
それもフレイム・ストームで風を相殺することで回避された。
ハオンの魔法はどれもミュールには届いていない。
まだ負ける気は一切しないのだが……それでもミュールは、若干不気味なものをハオンから感じていた。
ネクロノミコンは、最初の興味のない素振りから一点、ハオンの様子をじっと観察している。
ネクロノミコンの見立てでは、とっくに勝負はついているはずだった。
手加減しているとはいえ、先程使ったハイドローリック・ウィップは、普通の現代魔術師であれば止められないほどの威力があったはずだ。
あのハオンが、普通の現代魔術師以上の存在だとは、ネクロノミコンにはどうしても思えない。
だが現実に、ハオンはネクロノミコンの予想を遥かに上回るしぶとさを見せていた。
不可解だ、何か見落としがある。
しかし今は決闘中であり、調査のための魔法を使うことができない。
ネクロノミコンはもどかしさを感じていた。
だが誰よりもこの状況を不可解に思っている人間は別にいた。
(なんで私まだ立っているんだろう?)
ハオンは、生徒にギブアップを言いたくないという負けん気だけで決闘を継続したのだが、すでに一回目のやりとりで、ミュールが自分の遥か上をいく魔術師であると認めている。
駆け引きも少なく、単純な魔法の打ち合いである魔法決闘では、自分はこの生徒には逆立ちしたって勝てない。
これまで何度も魔法決闘を行ってきたハオンには、それは覆らない事実だった。
だが現実はこうして戦えている。
誰よりも、ハオン自身がこの状況に困惑していた。
☆☆
「ミュール、何かが変だ。無理やりにでも終わらせろ。あいつが怪我をしたら回復魔法を使って治療すればいい」
「うん分かった」
5回目の攻撃。
ミュールは覚悟を決めた。
「ハオン先生、次は中級魔法を使います。危険かもしれませんので、できれば降参してください」
冷たい汗がハオンの背中を流れる。
ミュールの言葉からは、脅しではなく相手への気遣いしか感じられない。
降参するのが賢い選択だろう。
「ふ、ふっ、この紅焔のハオンを見くびってもらっては困る。中級魔法程度で倒せると思わないでいただこう」
それでもこう言ってしまうのが、ハオンという人間だ。
ミュールは、覚悟を決めると、魔法を宣言した。
「ヴォーテックス・オブ・エーテル!」
空間が歪んだ。
床がめくれ上がり、粉砕されていく。
本来不可視である空間の渦巻きは、光すら歪め、虹色の残光を残しながら進んでいく。
「うわああああ!?」
想像を超える魔法にハオンは悲鳴を上げた。
こんな魔法見たことがない、どうすればいいのかも分からない。
魔法に耐えられるよう強化されているはずの床材が、飴細工のように折れ曲がる様子を見て、ハオンはパニックを起こしそうになる。
「タール・ゲイザアアア!!」
魔法の解析などは不可能。
ハオンは悲鳴を上げる脳から、必死に魔法を呼び出す。
使うのは自分が最も信頼する最強の魔法。
相性など関係ない。ただもっとも強い魔法をぶつけるという単純な思考。
だが、それが良かった。
そこに巨大な黒い壁が現れた。
「何っ!?」
「え?」
ネクロノミコンとミュールですら驚きの声をあげる。
「な、なんだこれは……」
そしてハオンも、これが自分の魔法だと認識できずに後ずさった。
「こ、これが私の魔法? 一体何が起こっている、何でこんなことが」
壁が炎を吹き上げ崩れた。
ミュールのヴォーテックス・オブ・エーテルとぶつかり、魔法の干渉による衝撃を引き起こす。
「重い!」
それは、最初のタール・ゲイザーとは比べ物にならないほどの質量と密度を持っていた。
魔法鋼の固まりすら粉砕するヴォーテックス・オブ・エーテルの持つ力が、みるみるうちに相殺されいく。
「ミュール! ディテクト・マジックで周囲を調べろ!」
「で、でも魔法決闘じゃ攻撃側が2つの魔法を使うのは!」
「そんなこと言っている場合か!」
「う、うん!」
ミュールはディテクトマジックで周囲の魔力を可視化する。
「なにこれ、大量のマナがハオンの魔術書に注ぎ込まれている」
ハオンの魔術書『紅蓮秘奥録』を、マナによる無数の蒼い文字が、まるで壁に張り付く無数の虫のようにびっしりと覆い尽くしていた。
「ね、ネクロノミコン、これって何が起こっているの?」
「……マナの発生源はどこだ」
「ええっと……あの個室は……」
マナは部屋の隅にある個室の奥から供給されている。
あの部屋は……。
「図書館の端末がある部屋だ!」
「じゃあこの大量のマナは図書館から……」
確かに図書館を構成するのは大量のマナだ。
だがそれが端末から漏れ出すことはありえない。
ましてやそれを魔法として利用するなど、例えるなら水が川をのぼって水車を回すようなものだ。
「だけどマナは水とは違う……意思がある」
ミュールはつぶやいた。
この状況は、マナが望んだものなのか……ミュールにはそう思えた。
ハオンが、上級魔法を使ったのは正しい選択だった。
最も、ここにいる3人にとってではない。
誰かが笑った。
「ミュール! ヴォーテックスが掻き消えるぞ! このままじゃタールがここまでくる!」
「くっ、先生! 魔法を解除してください! 攻守交代です!」
ハオンは我に返ると、慌てて魔法を解除しようとする。
だが、魔法は消えない。
何度も、何度も、解除しようと念じるが、炎に包まれる黒い塊は消えない。
「だ、だめだ、解除できない!」
ハオンが悲鳴をあげた。
「ミュール! 防御しろ!」
「言われなくても! ウィンド・バリア!!」
再びミュールの周囲に風の結界が生じる。
すぐに燃え盛る油がミュールの周囲を包み込む。
油はまるで意思を持つかのようにミュールの周囲に留まり、まるで両手で握りつぶすようにミュールの結界を軋ませる。
「私の魔法が押し負ける!?」
風の結界にヒビが入り、隙間から油がぼとりと落ちた。
「ミュール! 次の魔法を使え!」
「バリア系? ウォール系? レジストエナジー? いや、ここは……エレメンタル・フォーム!」
ミュールは炎の女王の姿に変化する。
これなら熱による攻撃は一切通じない上、燃え盛るタールだって突破できるはずだ。
ミュールは足に力を込める。
業火のごとき力が両足に宿る。
その力をもって、タールの壁を突き破り、外からタールを焼き尽くす。
その時、黒い壁がぼこりと泡だった。
その泡がぐにゃりと歪み、形を変える。
「……あなたは」
それは顔だった。
目も鼻も口も無い顔だった。
だがその顔が笑っていることを、ミュールはなぜか理解できた。
ミュールはその顔を知っていた。
その顔は図書館にいた、あの蒼い少女だった。




