3話 魔術師と少女は試験を受ける
奇跡は有限である。
魔術三系の王 バラム
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魔術三系。
かつて提唱されていた魔法の系統についての理論である。
三系とは秘術、信仰、気。
秘術魔法とは体系化された知識と技術によって発動される魔法である。
信仰魔法とは神や精霊への祈りから引き起こされる魔法である。
気魔法とは自身に内在する魔力を精神、肉体鍛錬により操作する魔法である。
元来、魔法とは秘術魔法のみを指していたが、やがて聖職者達が使う信仰術、東方のドラヴィダ人の戦士が使う気術、それらも魔法の理論で説明できることが分かり、これらを総称して魔術三系と呼ぶようになった。
すべては過去の話。今や聖職者達が起こしてきた奇跡は初級魔法を大げさに見せていたとだけとされ、東方のドラヴィダ人は存在そのものが眉唾ものの伝説と成り果てていた。
☆☆
魔術師達の間でも、殆どの市民の間でも、さらには農民に間でも教会はもはや忘れ去られた過去の遺物に過ぎない。
それでも、信仰を必要とする人間はどこにだっている。
学校へと向かう道を歩いていたミュールの耳に、祈りの言葉が聞こえてきた。
「地上の父なるダゴンよ、天空の玉座に君臨するバアルよ、残酷なる炎のモートよ、我らに日々の糧を与えたもう慈悲に感謝を。いただきます」
そういえば……。
修道院で孤児達が庭にバスケットを広げ、食前の祈りを捧げてからベーコンと卵ののったパンを食べているのを見て、ミュールは昔のことを思い出した。
ミュールも幼い頃はよく村の小さな教会に遊びに行っていた。教会の庭で、神官の家の子供と追いかけっこや木登りをしていたっけ。お昼をごちそうになるときは、神官のおじさんと一緒に私も祈りを捧げていたな。あの子の名前はなんだったか。幼いころの記憶はあやふやで、ミュールにはもうよく遊んだその子の名前も顔も思い出すことはできなかった。
「いろいろあったからなぁ」
あの頃は魔術師になるなんて思いもしなかった。小さな村で普通に家庭をもって、子供を育てて、そして老いていくのだと思っていた。それ以外の生き方があるだなんて考えもしなかった。
こうして魔術の都ウルで魔術書を持って、ダンジョンへ潜るための魔法を学ぶことになるだなんて、どうして想像できただろうか。
「なにを呆けておるのだ」
「はぁ、これも想像できなかったな」
脇に抱えたネクロノミコンの声を聞いて、ミュールはため息をついた。
「学校ではしゃべらないでよね。ゾンビが街にいるなんて知れたら、浄化されちゃうんだから」
「だから俺はゾンビでないと何度も言っているだろうに」
「似たようなものでしょ?」
「全く違う」
「そんなことより本当に大丈夫なんでしょうね?」
「何が?」
「入学式の前に適性試験があるのよ。これでクラス分けとかするの。攻撃、防御、探索それぞれ3つの状況で使える魔法を試験官に見せるのよ? 何度も説明したじゃない」
「もちろん憶えている。俺が聞きたいのは何をそんなに心配しているのかだ」
「何をって……」
「俺を使えばあらゆる魔法をお前は使うことができる。今回の試験は魔法を見るのだろ? どのように魔法を応用するかならともかく、ただ魔法の価値を問われるだけの試験であれば、何の心配も必要ない。今のお前は世界最強の魔術師なのだぞ」
「世界最強ねぇ」
「あとひとつ忠告しておくか、ファイアーボールは使うなよ」
「ファイアーボール? オールドマジックの? そんな古いの使わないわよ、使うならファイアボム」
「新式の魔法か、まったく無駄の多いことを」
「無駄? ファイアーボールこそ無駄の多い呪文だって本には書いてあったけど」
「ふん」
説明するのが面倒になったのか、ネクロノミコンはそれっきり黙ってしまった。
ミュールも始めはうるさい本が静かになってよかったと思っていたのだが、これから始まるクラス分けのことを考えると、不安になり黙っているのが辛くなっていた。
「ねぇ」
「…………」
「あ、あなたって昔はどんな魔術師だったの?」
「俺が喋ってから11日後にようやくそれを聞くか」
「入学が近くて、私もいっぱいいっぱいだったのよ」
「見れば分かる、はぁ、この俺が試験で緊張するガキの気晴らしにお喋りしろとは」
「嫌味ったらしい魔術師だったのね」
「俺のことはコーレシュにでも聞け」
「コーレシュって、魔術師ギルド長の? あなたギルド長の知り合いだったの?」
「そんなところだ、あいつが魔術師ギルドの最高責任者とは、実力不相応に偉くなったものだ」
「へぇ、でもあまりそういうこと言わない方がいいわよ。千の魔術のコーレシュって言ったら、全魔術師の憧れなんだから。熱狂的な人は、現人神だって宗教めいたクラブを作っていたりするのよ」
「神の代わりに魔術師を崇めるか」
「まぁ神と違って、魔術師はそこにいるからじゃないかな。私にもよく分からないけど。それより若い頃のコーレシュ様ってどういう人だったの?」
「物覚えは良かったが、自分で応用するということが苦手な男だったな。よく上位の魔術師から魔術実験の記録を頼まれていたぞ」
「へぇ、コーレシュ様も昔はそんな感じだったんだ。だったら私もいつかは千の魔術を操れるようになることだって、不可能じゃないよね」
「…………」
「な、なによ、呆れないでよ、目標を大きく持つことは悪いことじゃないでしょ!」
「いや、そういう訳じゃないんだが、まぁいい、ほらそこを右だ。その先に校門があると地図には描いてあったぞ」
「あ、本当だ」
すでに数千の魔法を扱えるようになってることには気が付かず、ミュールは大きく深呼吸をすると、校門に向かって駆け出していった。
☆☆
魔術師ギルド直営魔術学校:サクス校
魔法の都ウルでは歴史は古いが実績としては中堅の学校になる。授業料が比較的安く、貧乏な貴族や商人の子供達も受験するため、入学難易度は実績の割には難しい。そのため、卒業生は派手な活躍こそ珍しいものの、酷い無能は滅多にいないとされている。
「では、みなさん我らがサクス校へようこそ。これから入学式の前に、クラス分けの適性検査を行います。緊張しなくても大丈夫です。皆さんはすでに幼年学校で開催された試験を突破しています。普段通りの実力を発揮すれば、問題なく入学できます。あくまで本目的は皆さんの実力を一番伸ばすことのできるクラス分けを行うためであり、例年でもこの試験で入学を取り消しされる生徒は1割り程度です」
1割と聞いてミュールの肩が震えた。この国では普通の人間は自分の住んでいる町や村から外に出ることは一生無い。そのため魔術の才能を見極めるのは各町や村に定期的に派遣される魔術師ギルドの人間であり、その魔術師ギルド員が試験担当代理となって、魔術学校が用意している試験を執り行う。
つまりは入学試験について学校は、試験問題を作成するだけで、実際の試験運用については関与していないのだ。ギルド員に対して賄賂を送り、採点を融通してもらうということも日常茶飯事である。ただし、そのギルド員が送ってくる生徒の成果も、そのギルド員の評価につながるため、あまりに無能な生徒が送られてくることは少ない。
「では、みなさん、訓練のための模擬ダンジョン設備へ移動します。案内人の後ろに付いて行ってください」
教師の声に従って、百人程度の新入生達は緊張した面持ちでついていった。
☆☆
「なあ君」
生徒たちは石レンガで壁を作りダンジョンを模した訓練場の外に座り、緊張しながら自分の順番を待っていた。ミュールも同じであり、隣の女の子から声をかけられたことにもすぐには気が付かなかった。
「おい、呼んでるぞ」
ネクロノミコンは緊張するミュールに呆れてささやいた。ネクロノミコンに言われて、ようやくミュールは自分が呼ばれていたことに気がついた。
「え?」
「なあ君」
「は、はい、も、もう私の番?」
「いや違うよ、暇だから話しかけただけさ」
ミュールと同じ10代半ばくらいだろうか。その少女は栗色のウェーブのかかった髪を肩まで伸ばし、北方風の乗馬服に身を包み、腰には切っ先鋭い長剣を携えている。
「おっと、名前も名乗らず失礼したね。私はラファエラ。よろしくマドモアゼル」
「え、あ、うん、私はミュール」
「ミュールか、可愛い名前だね」
「あ、ありがとう」
「君はこの国の出身かい? 私はエラス地方の出身でね。アルテナ共和国っていうだが」
「アルテナ……」
「知らないのも無理はない、アルテナは都市国家なんだ」
「都市国家っていうと、1つの都市で独立している国だよね? なんでエラスからわざわざウルに?」
「そりゃ魔術師を目指すなら『深淵』に近いウルを憧れるさ。在学中に深淵に挑むことすらできるのだろう? エラスの魔術師から見たら、羨ましいよ」
言われてみればその通りだとミュールは頷いた。何の特徴もない田舎に産まれたと思っていたが、『深淵』を有するこの国に産まれたこと自体が幸運と言えた。どれほど優れた魔術師であっても、ダンジョンが無ければ仕事はない、その点、絶対未踏の『深淵』が存在するウルで、魔術師が職を失うことはない。
「おっと、私の番のようだ。それじゃあミュール、クラス分けが終わったら一緒にカフェに行こう」
名前を呼ばれたラファエラが立ち上がった。
「ええっと、ラファエラも頑張ってね」
「ありがとうミュール、君は子羊のように優しい女性だ」
ウィンクを一つして、ラファエラは行ってしまった。ミュールは口を開けて戸惑っている。
「……現代魔術師は変わっているな」
「ラファエラが変わっているだけだと思うなぁ」
初めて二人は同時に笑い声をあげた。