22話 魔術師は竜王と再会する
深淵の入り口には巨大な竜がいる。
正確には真鍮で作られた、極めて精巧な竜の彫像だ。
はるか昔、まだ竜がダンジョンの外を飛んでいた時代。
5体の金属の鱗を持った竜王がいた。
真鍮竜アセルルは黄金竜グラントの弟竜。
深淵を巡る、炎の悪魔達との長き戦いの末、グラントの命と引き換えに勝利した生き残りの竜達も傷深く、もはやダンジョンの中でしか生きることのできないほど衰弱し、ダンジョンへと消えていった。
だが真鍮竜アセルルだけは、地上に残り、再び悪魔達が深淵を狙うことがないように、こうして、黄金の姉に似たその真鍮の瞳を輝かせ、大地を見下ろしているのだ。
というのが、この彫像にまつわる伝説だ。
「一体誰が作ったのかは定かではないのですけれど」
解説したエステルは巨大なその彫像を畏敬の念を持って眺めている。
一枚一枚本物のような真鍮の鱗、全身に刻まれた戦いの傷、灼熱を吐いたという牙の並んだ口。
すべてがまるで生きているかのように躍動しているようだ。
「昔は、アセルル信仰というのもあったそうですよ。今でも冒険者の中には、ダンジョンに入るときはアセルルの名前をつぶやく者もいるということですわ」
「確かに、こんな凄い彫像を見れば信仰しちゃうのも無理はないかも」
神への信仰を持っていないミュールも、この彫像を前にすれば感嘆を隠せない。
だがガジャンは、鼻で笑い、
「ただの彫像に祈ったって何の意味もない」
と言って地面につばを吐いた。
エステルはむっとしたようで、じっとガジャンを睨んだが、ガジャンはそんなエステルを気に留める様子もなく口元に不快な笑みを浮かべていた。
その時、
「久しいな、アセルル」
ネクロノミコンが声を発した。
すると、目の前の彫像が身動ぎをしたかと思うと、真鍮の鱗を軋ませ口を大きく開いた。
「ひっ!?」
エステルも他の魔術師たちも言葉を失った。
特に直前まで馬鹿にしていたガジャンは腰を抜かして、地面に尻もちをつくありさまだ。
だが無理もない。
記録の残る限り指先一つ動かさなかった彫像が、五竜王というおとぎ話が、ドラゴンというダンジョンの奥深くにしかいないモンスターの王が、目の前に突如として現れたのだ。
「久しいな達者よ。貴公はしばらく見ないうちに随分と愉快な身体になったものだ」
「うるさいやつめ、貴様とて彫像と笑われるほど衰えているではないか。座談の名手がなんてザマだ」
「世界からマナが失われつつある。今は夢現に揺蕩う余も、いずれは夢も見果てて本物の彫像となり果てるであろう」
「そうか……何が起きているか、知っていることはあるか?」
「余はここで深淵を覗いているだけだ。光届かぬ深淵の奥底も、荒野の先にある世界も、余は見通せぬ」
「それは残念だ、俺は大地にマナを取り戻したい」
「余は深淵の監視者。すまぬが協力はできぬ」
「分かってる、そこまでは期待していない」
「再び大地がマナであふれるときが来るのなら、また貴公と語らいたいものだ」
「……そのときは、前のよう俺の身体を砂に埋めて動けなくして、1ヶ月も延々話し続けるのはやめてくれよ」
「あれは楽しい時間であったな友よ、では幸運を祈るぞ友よ、余はまた夢を見る」
竜はくっくっと笑うと、再び動くのを止め、物言わぬ真鍮の像へと変わってしまった。
先程まで饒舌に会話していたのが嘘のようだ。
「ね、ネクロノミコン、どういうことなの?」
ネクロノミコンにも慣れてきたつもりであったミュールだったか、これはさすがに想像を超えていた。
「こいつは本物の竜王だ。生きるのにマナが必要な竜は、もはや絶滅しつつある。真鍮竜アセルルも、喋ることすら命を削るほど弱ってしまっているのだ」
「竜が地上にいたって、本当のことだったんだ」
「ああ、俺の時代でも、もう殆ど残っていなかったがな」
「竜か……あの翼で大空を飛んでいるところ、私も見たいな」
ミュールでこれなのだから、他の魔術師達の驚き様は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
「な、なんなんのですか、一体何が起きたんですの!?」
「生きている竜を見られるとは、ミュールとネクロノミコンには全く驚かされる!」
エステルとラファエラは混乱と興奮の中にいる。
「ど、ドラゴン、本物の……」
そしてガジャンとポン・カーティスは恐怖で打ちのめされていた。
今起きた出来事は、二人の常識を遥かに超えたところにあった。
ここで彼らはネクロノミコンとミュールが自分たちの手に負えるものではないと判断することもできたかもしれない。
だが、彼らは理解することを放棄した。
今見たことの意味を考えることもなく、
「……いつまでもビビってないで、ダンジョンに進むぞ」
と、そう言った。
☆☆
深淵は変幻の地。
訪れる度に形を変える、他に類を見ない超常のダンジョンだ。
「いいか、単独行動は取るな。全員一緒に階段を昇り降りしなければ、外に出るまで二度と会えなくなるぞ」
ガジャンはそう言って、全員を戒めた。
エステルは緊張した様子でうなずいている。
ラファエラは気にした様子もなく、深淵の奥を覗き込んでいた。
深淵地下1階。
想定脅威 ランク5。
すでにここから魔術師でない戦士5人では切り抜けることが難しいとされている。
ダンジョンを進むとするミュール達を、ガジャンが呼び止めた。
「まずはお前たちの実力を見たい。やばくなったらもちろん手伝うが、今後の方針のためにも深淵でお前たちがどこまでやれるのか知っておくことが必要だ」
ガジャンのこの言葉にポン・カーティスも頷く。
「確かに、まずこの地下1F。お前たち3人で乗り切れるのか、見せてもらおうじゃないか。なぁ、レーシー、あんたもそう思うだろ?」
「そうね……」
ポンはレーシーの言葉に目を細めた。
魂胆は見え透いている。
三人の魔力を消耗させ、自分たちの魔力は温存するつもりだろう。
とはいえ、ベテラン3人が同意することに対して、新人3人で反対しても分が悪い。
それに、
「分かりましたわ、私に深淵を探索する力があると、証明して見せましょう」
なによりエステルがやる気だ。
(そう難しく考えるな、この階層を突破する程度の魔力は消耗のうちにも入らん)
(ネクロノミコン)
(それにラファエラの実力を見るいい機会かもしれん)
(確かに、私たちはどうする?)
(ラファエラ達が討ち漏らしたのを倒すことにしよう)
ミュールは小さく頷いた。
「分かった、1Fは私達でやるよ」
「よく言った、なぁに、危険な相手が来たら我々で対応する。安心して進むのだ」
ガジャンはそう言って哄笑した。
☆☆
「それじゃあ、さっそくやってきたあれは私1人で倒してみせよう」
ラファエラがそう言って剣を抜く。
ダンジョンの奥から、閃光がほとばしる。
「バアル!」
神の名を叫びながらラファエラは剣を一閃すると、稲妻が掻き消えた。
闇の中青く輝く雷光を身にまといながら、3メートルほどはある大きな怪物が姿を現す。
怪物は人型に近いシルエットをしていたが身体はバチバチと音を立てる稲妻で構成されていた。
「ライトニングエレメンタル!」
ライトニングエレメンタルは雷の精霊とされるモンスターだ。
このサイズであればランクは4。
ただし接近するだけで感電する恐れがあるため、遠隔攻撃手段が必須とされる。
「ラファエラ!」
思わずミュールは手助けしようとしたが、ラファエラは首を横に振った。
「ありがとうミュール、でも君のラファエラがこの程度の相手に怯むと思っていたら心外だよ」
ラファエラはニヤリと笑うと薔薇物語に手を触れる。
「我が祈りは刃となりて敵を討つ。風の女神よ汝は剣なり、赤き衣を身にまとい、踊れ! 笑え!」
ライトニングエレメンタルの周りにキラキラと輝く何かが現れた。
「なんですの、こんな魔法みたことが……」
次の瞬間、ライトニングエレメンタルはバラバラに全身を切り裂かれ、青白い残光を発し、ボロボロと崩れてしまった。
一瞬で勝負はついた。
ラファエラは剣と薔薇物語を収めると、優雅にお辞儀をした。
「エレメンタルの周囲の大気に刃物の性質をもたせたのだ」
ネクロノミコンが感心した様子で解説する。
「僅かな風ですら、全身を切り裂く無数の剣刃へと変わる。身動きしても同様。変成するのはモンスター自身ではなく周囲の大気のため、抵抗もできん。対応の難しい魔法だ」
「そんな魔法があるだなんて」
「知らなくても当然だ、あれは信仰魔法。この世界にあれほどの奇跡を発現できる使い手が残っているとは思わなかった。おっと、声は出すなよ」
ネクロノミコンはミュールにだけ聞こえるように言った。
「やはり薔薇物語はフェイク。あれは魔術書から使う魔法ではない」
「だとしたらラファエラは一体何者?」
「分からん、だが薔薇物語をお前に読ませようとしたところからするに、ラファエラは自分が特別であることを伝えたがっていたようにも思える」
「……そうだね、ラファエラは私の友達だもの」
「警戒はすべきだが、何もないうちから疑うべきでもない。ひとまずは味方と考えていいだろう」
「うん」
もちろん、このことがわかったのはネクロノミコンとミュールだけだ。
信仰魔法は人類の魔力の低下により、現代から信仰心と共に失われている。
残りの魔術師達は、ただ、薔薇物語という魔術書が、凄い力を持っているのだと、そう誤解した。
「へへ……」
ガジャンは思わず笑みをこぼした。
あれは高く売れる、いや金と時間をかけてでも自分の魔術書にするのもいいだろう。
ガジャンの心はすでに、あの力のある魔術書を手にしている自分の姿を描いているのだった。
☆☆
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