20話 少女の決意に魔術師は微笑む
結局、ジャックは追い出されることになった。
「はいこれ」
「いてぇ! この野郎、何しやがる!」
とぼとぼとギルドを出ようとしたジャックにミュールは袋を投げつける。
「ネクロノミコンの残った代金よ。あなたは私を騙そうとしたみたいだけど、それはもう良いわ。これで確かにネクロノミコンは私のものだからね」
「……ちぇ、俺の目が節穴だったってことか。お宝を二束三文で売りつけちまったとは。あーあ、俺ってやつはなんて善人なんだろう」
床に落ちた銀貨袋を広い、ジャラジャラと鳴る音を確かめると、ジャックはギルドを出ていった。
「あんなヤツとは思いませんでしたわ……」
「まっ、忘れるんだな。俺たち3人がいれば、深淵の低層くらいはなんとかなる」
「むしろ、あのような小物に金を払わずに済んだことを喜ぶべきじゃ」
二人はそう言ってエステルを慰める。
エステルにとっては、それも面白くないどころか、屈辱のように感じているのだが、この二人はそういった機敏を察知できるような男ではない。
そんな様子を見ていたミュールは、決意を固めてネクロノミコンに話しかけた。
「ネクロノミコン、私、エステルの誘いを受けようと思うんだけど」
「ほぉ、この状況を見てそう判断するか」
「うん、この状況だからこそ」
「なるほど、お前はそう考えるわけか。良いだろう」
「うん……エステル」
ミュールはエステルに声をかける。
「私、一緒にいくよ」
「本当ですの! 良かった……」
安堵の表情を浮かべるエステル。
このような醜態を見せ、ミュールに断られることを覚悟していたのだ。
その後ろで、3人の魔術師達も嬉しそうに笑った。
ミュールはそんな3人をじっと見つめる。
「それじゃあ、出発は三日後にしましょう。学校への探索休暇申請も私がやっておきますわ」
その後、持ち込む装備や陣形の打ち合わせを軽く行うと、その日はお開きとなった。
☆☆
「そうですか、あちらの依頼を受けてしまわれましたか」
魔術師ギルドから出たミュールは、その足で冒険者ギルドへと向かった。
副ギルド長ランカースに案内され、ミュールは二階にある彼の事務室で話をしている。
「はい、でも、おそらく皆さんの手を借りることになると思います」
「ほぉ?」
「ガジャンとポン・カーティスという魔術師について、なにかご存知ですか」
二人の名を聞いてランカースは目を細めた。
「深淵へ何度も潜っている魔術師ですね。立派な経歴だ」
「それだけですか」
「ええ、ただ深淵は危険なところですから、よくパーティーから脱落者が出ているようですね。それで探索を失敗したことも多い」
「死んだ魔術師の遺品は?」
「深淵に置いたまま、ということになっています」
ミュールは目を閉じた。
危惧していることはランカースに伝わっただろう。
「エステルは、魔術師ギルドでどういう扱いなの?」
「偉大なるコーレシュの孫、賢者の塔の魔術師。その中にあっては、まだ評価をされていない魔術師といったところでしょうか。その出自からウルの魔術師ギルドでは強い権限を持っているようですが、派閥を形成するところまでは至っていません」
「つまり、魔術師ギルドからもあまり良く思われていない」
「そこまではとても私の口からは」
冒険者ギルドの幹部が魔術師の批判はできない。
だが、ミュールの欲しがっている情報は、遠回しな表現を多様しながらも、すべてランカースは教えてくれた。
エステルを嫌っている魔術師は多い。
血筋だけで実力不相応な発言力を持つ魔術師。
今回、あの怪しげな4人の魔術師を雇うしかなかったのも、深淵の探索に対応できる魔術師の提供を、ウルの魔術師ギルドが拒んだのだ。
「だとしたら、エステルを冒険者ギルド派に引き込める可能性があるとは思いませんか?」
「コーレシュ様の孫娘を、我々の側に? はは、面白い冗談ですね。しかし、それは不可能でしょう。彼女は認められないゆえに、誰よりも自分の血筋と偉大なる魔術師から受けた訓戒を誇りにしている。いや、それだけが彼女の心の支えだと言ってもいいでしょう。誰かへの忠誠を曲げることは可能ですが、自分自身への忠誠を曲げることは難しい」
「そのためにどんな目に合ってでも?」
「ええ、例え魔術師ギルドに殺されることになってすら、彼女は自分の血筋を恨むことはないでしょう」
ミュールが考えているほど、エステルを心を変えることは簡単ではない。
ネクロノミコンにもそれは分かっている。
「さてミュール、どうする?」
ネクロノミコンは問いかけた。
「やることは変わらないよ」
ミュールの瞳には、まだ炎と呼べるようなものはない。
だがそれでも、彼女なりの魔術師としての誇りのようなものが芽生えつつあった。
魔術師となってまだ日は浅いが、ダンジョンでの探索や、エステルとの会話、そしてなによりバラムという魔術を極めた男との生活が、ミュールの心に影響を与えている。
「そうか、ならばお前の好きにするが良い」
ネクロノミコンは、魔術師の顔を見せる主を見て、楽しそうにそう答えた。




