19話 魔術師と少女と危険な現代魔術師達
1時間ほどしてラファエラがやってきた。
まだ授業は終わっていないはずだが、どうやらラファエラも午後から学校をサボったらしい。
「ミュールも来てなかったからね。酷いじゃないか、私に声をかけずに先に魔術師ギルドに行ってしまっただなんて」
「ごめん、広場で偶然エステルと出会って、そのままこっちに来ちゃったの」
「それで二人で先にお茶会を楽しんでいたというわけかい?」
応接室のテーブルの上には白パンとコーヒーが置かれている。
ミュールとエステルは、ラファエラが来るまでこうして談笑していたというわけだ。
ラファエラは大げさに首を振り、不満を露わにした。
「ああっ、これから共に深淵へと挑む仲間に対してこの仕打ちとは。僅かな禍根が後に大いなる災いへと広がることもあるだろうに」
「コーヒーぐらいで何言ってるのよ」
ラファエラは相変わらずだ。
昨日から続く様々な出来事の中で、ラファエラだけがいつもと変わらない。
(果たしてそうか?)
ラファエラが今も腰のケースに入れている魔術書、薔薇物語。
あれはただの詩だ。魔術書ではない。
神の加護があろうとも、魔術書でなければ魔法は使えない。
ネクロノミコンで魔法を使えるのは、装丁として封印された“彼”がいるからだ。
ならばラファエラはどうなのか?
「それでマドモアゼル、私の分のパンとコーヒーは残しておいてくれたのかね?」
「もちろんですわ。さ、おかけになって」
ラファエラの表情はいつものように爽やかな笑顔を浮かべていた。
例えラファエラがどのような秘密の持ち主であっても、この性格ではきっと偽りのないものだと、ミュールは信じることにした。
「それで、ミュールはエステルの誘いを受けることにしたのかい?」
「えっと……」
「私のことなら気にしなくても良い、君がいてくれたら嬉しいが、どのみち私は深淵を目指していたんだ」
それはミュールも同じだ。もっとも、それほど明確なヴィジョンを持っていたわけではないが、それでも魔術師であれば、誰だって深淵を目指す。深淵に眠る無数の財宝と名声、それを両手一杯に抱え、太陽の届く場所へと帰ってきた時、どれほどその景色を美しいと感じるか。
魔術師なら誰もが、その瞬間を夢に見るのだ。
だがラファエラの想いは、ミュールのそれとは違っていた。
漠然とだが、ミュールにもそれは分かる。
「そうですわね、ではまず先に我々の探索に参加する他の仲間をご紹介致しましょう」
悩むミュールを見て、エステルはそう提案した。
ギルド職員に声をかけ、待機している魔術師達を呼ぶように指示を出す。
「深淵に挑むというからには、その彼らも相当な魔術師なのかい?」
「ええもちろん、深淵に挑んだことのある魔術師2人と、マッパーとして四度の探索に参加した魔術師1人、傭兵魔術師として戦場に何度も参加した方が1人。この4人に私を加えた5人が、予定されているパーティーですわ」
しばらくして、部屋に3人の魔術師が入ってきた。
赤い髪を逆立てギラギラとした目で、しかし口元だけは愛想笑いのつもりなのか奇妙に歪めている男。
「ガジャンだ、二つ名は烈風。よろしく」
髪も眉毛も無く、皺だらけの顔の右半分にびっしり魔法文字を入れ墨している老人。
「ポン・カーティスと言う、深淵に挑むにはちと若いようだが、この熱砂のポンと共にあるのならば心配することはない」
ガリガリにやせ細った身体と異様に大きく飛び出している目をした女性。
「レーシー。苦痛の針のレーシーよ」
これで三人。最後の1人はまだ来てないらしい。
(う、うわぁ)
とても真っ当な人間とは思えない。
それがミュールの正直な感想だった。
「まったく、あの傭兵は何をやっているのです。パーティーの顔合わせをすると伝えていましたのに」
エステルは憤慨しているが、3人の魔術師達はそんなエステルに侮蔑の眼差しを送っている。
エステル本人は気がついていないのか、それともあえて気が付かないようにしているのか……
「傭兵なぞ、深淵で頼りにならんよ」
入れ墨男であるポン・カーティスがそう言って笑う。
笑うと皺と入れ墨だらけの顔がますます歪んだ。
「深淵経験者はワシと……」
「俺だ」
赤髪のカジャンが手を上げた。
「俺は10層までの探索に参加し帰還したこともある」
「ワシも同じく。今回のパーティーでは難しそうじゃかのう」
「そ、そうですわね、今回は5層くらいを目標に、いずれチームワークを深めてから10層を目指そうと考えていますの」
「5層か、それくらいならなんとかなろう」
少なくともこの二人が深淵への探索に参加する理由は、深淵にはない。
二人の表情を見てミュールはそう確信した。
彼らは金でエステルに雇われたのだ。
ガチャリと扉が開かれ、男が飛び込んできた。
「いやぁ、すんません。ちと、友人と話し込んでいたら時間に遅れちまいまして」
「あっ」
「へ?」
飛び込んできた男は、着古した旅人の服に身を包み、その顔は大きな傷跡の走った目に眼帯をしている。
ミュールはその顔を知っていた。
「あ、あんたは私を騙した冒険者!」
「げっ! あの時のバカな嬢ちゃん!?」
気がつくとミュールは片手を上げて魔法を発動していた。
「ホールド!」
魔法の鎖が手のひらから飛び出し、眼帯の男を拘束する。
「ぎゃ!」
鎖でがんじがらめにされた男は、受け身を取ることもできずに地面に倒れ、頭を打ったのだった。
☆☆
「なにが、傭兵魔術師ですの。あなたはクビですわ」
「そんなぁ、一応本当に戦場には出てたんですぜ」
「戦利品狩りとは聞いていませんでしたわ!」
この男。
自称、切れ者ジャックという魔術師はほら吹きの詐欺師だった。
魔術師ギルドの会員ではあるのだが、賄賂で魔術師学校に入学した経歴の男で、その後も自分の実力を知られている生まれ故郷を離れ、遠い土地で傭兵魔術師や冒険者などたくさんの経歴を詐称し、有力者に高い給金で雇われていた。
他にもダンジョンで見つけたガラクタを、強力な護符だと偽って販売したり、ときには追い剥ぎにも手を染めている。
「これはまた、立派な犯罪者だね」
ラファエラは興味深そうに縛られた男を眺めている。
ラファエラだけではなく、3人の魔術師達もそうだ。
『そうだとも、この切れ者ジャック様は大犯罪者よ』
「畜生、だまりやがれったら」
ジャックは泣きそうな声で自分の顔に張り付いている、『唇』に抗議した。
「マウス・オブ・オネスト、正直者の口」
ポン・カーティスの顔に先程までの、どこか見下していたような表情はもうない。
ミュールの使ったこの魔法は、現代ではすでに失われた魔法だ。
顔に作られた魔法の唇は、質問に対して、ジャックの記憶の中から正直に回答する。
相手を傷つけず、これほど簡単に情報を引き出す魔法に、ベテランの3人も驚きを隠そうともしない。
「すごい魔術書とは聞いていたが、こんな魔法が書かれているとは」
「……興味深い」
彼らの目にも炎が、だがエステルのものとは違い、暗く、そして邪悪な炎が宿っていた。




