11話 冒険者は少女を畏敬する
その日、冒険者アルダッドはロゼに頼まれ、渋々新人魔術師二人と共にハカンの洞窟9を探索することに同意した。
二人はサクス校の有望な新入生らしい。サクス校のような学費の安く、その割に優秀な魔術師を送り出している学校は、冒険者ギルドにとってとても重要な相手だ。
学費の高い学校に通うような生徒であれば、大抵親も魔術師ギルドの重役で、その子供たちが冒険者ギルドを軽視するのは避けられない。こちらがいくら厚遇しようとも、それを当然の権利として受け取るだけだろう。彼はパンくずほどの感謝の気持ちすら持たない。
なので冒険者ギルドとしては、厚遇することで効果のある生徒を重視したいというのは当然の方針だ。
アルダッドは、ダンジョンに最初に潜る仕事……「マッパー」の依頼も受けていたベテランの冒険者だが、最近パーティーの半分が引退し、今は上手く仕事ができていない状況だった。
幸い蓄えはまだいくらかあり、月の収支が生活費を下回っている状況でもしばらくは問題ない。
「お、今日はめずらしく働くんだな。一人か? 俺も同行しようか?」
冒険者達が寝泊まりする宿屋のホールで大きな影がアルダッドに声をかけた。
身長は2メートル後半。その巨大さは彼らの種族の特徴としては平凡な方で、特筆すべきは、その両腕と顔だ。
彼の両腕は肘のあたりから分岐し2本の腕が生えている。両腕合わせて4本。
さらにその顔の中央に大きな口が縦向きについている。口には牙がずらりと並び、笑うとまるで顔が裂けてしまったように見えた。
恐ろしげなその頭の上には、つばの広い麻で編まれた帽子が乗っかっていて、アンバランスながらも、ナイフとフォークを完全に使う猛獣のような、不思議な調和がそこにはあった。
「相手は冒険者一人というオーダーなんだ」
「そうか、大丈夫か?」
「ピッカー依頼だし大丈夫……だといいがな、相手は新人魔術師二人だ」
「そりゃ大変だ。二人いると相手の意見が強くなるからな。あまり奥に行くなよ」
大きな口を歪めて同情しているという、彼らの種族なりの表情を見せる。
彼の名はミツキ。ガグ族という巨人だ。
その恐ろしげな外見に比べると、彼らの性分は温厚といえるだろう。人間のいう温厚とは随分差があるのだが、少なくとも降伏した相手を殺さない分別と、無駄に命をかけることを嫌う臆病さを持ち合わせており、戦いの激昂の中でも冷静に引き際を見極められる点は、優れた資質として、大抵の兵士から嫌われるのも構わずガグ族を指揮官として雇う領主は多い。
ミツキはそんなガグ族の冒険者だ。ガグ族の冒険者は珍しいが、大きな街なら何人かいるものだ。深淵に近いこのウルでは7人というかなり多めのガグ族の冒険者が常駐しており、ガグ専用の地下宿舎が作られている。
ミツキはそのうちの一人。かつてはアルダッドとも組んだことのある冒険者で、マッパー依頼も担当している優秀な冒険者だ。
「はぁ、ミツキがいるならミツキに頼めばよかったのに」
「おいおい、そりゃひどい。まぁ新人二人の初パーティーがガグ族ってのは中々受け入れられないもんだ」
他人事のように言うとガグは机の上のリンゴを放り投げ、牙の並んだ口を大きく開けると、パクリと丸呑みにした。
「行儀が悪いぞ。そんなことやってるから偏見持たれるんだ」
「行儀よくした結果が、新人のお守りかい?」
渋い顔をしたアルダッドを見て、ミツキは大声で笑った。
最初に、彼が笑ったところを見たときはなんて恐ろしい姿だと思ったものだが……今のアルダッドは彼の実に楽しそうな笑顔につられ一緒になって笑ってしまった。
☆☆
パーティーを組んだ魔術師達は、なるほど確かに優秀なようだ。
灰色のローブを着た青い髪の魔術師がフィレア。ブロンドで、人見知りなのかアルダッドにはあまり喋りかけてこない魔術師がリースというそうだ。
魔術師の顔と名前を覚えるのも冒険者の仕事だというのが、冒険者ギルドの教えである。
「このハカンの洞窟9は、ウルに近いこともあって何度も探索されている。マッパーの見落とした財宝なんかは期待しないでくれ。3階から敵の強さが上がるのが特徴で、2階までなら安全に狩りができるが、どうする?」
「とりあえず2階でモンスターと戦ってみます。いけそうなら3階より奥へ進みましょう」
「最初なんだし、今日のところは2階まででもいいんじゃないか?」
「私達は中級魔法も使える魔術師ですよ? 心配は無用です」
「そうかね、分かった」
ダンジョン探索の主導権は当然魔術師にある。冒険者はあくまで魔術師の補助のためにダンジョン探索に同行するのだ。
とはいえ実際この二人の実力はそれなりに高い。
クラス5。魔術師を含まない熟達した戦士5人パーティーでの戦闘が危険であるとされる基準である。
もちろん魔術師がいれば安定して打倒が可能なラインではあるが、もし魔術師が魔力切れなどで行動不能に陥った場合、クラス5以上のモンスターと遭遇したら生命の危険があるということである。
初めての探索ならばクラス5以上のモンスターとは戦わないほうがいいというのがアルダッドなどベテラン冒険者の考えなのだが……それが受け入れられることは少なかった。
☆☆
彼女たちはすぐに地下2階より奥へと進んだ。
現在は地下4階だ。
「アースハンマー!」
魔法で地面に叩きつけられたケイブフィッシャーと呼ばれる人間より大きな蜘蛛型のモンスターは、外殻を砕かれ体液を撒き散らしながらも倒れず、その名前の由来となった蜘蛛の糸を無口なリースに向かって投げつけた。
「ウィンドシール!」
反射的に使われた風の防御魔法が糸の狙いを逸した。
アルダッドはケイブフィッシャーの側面に近づくと、糸を吐き出している臀部めがけて幅広の剣を振り下ろす。
空気の吹き出す音を立てて、傷口から糸の元である粘液が吹き出した。
圧力によって糸を吹き出しているなら、その圧力が逃げる穴を空けてやれば、能力は無力化されるというわけだ。
痛みに激昂したモンスターは狙いをアルダッドに向ける。
「危ない!」
青い髪のフィレアが叫んだ。
だがアルダッドは落ち着いて、腕にくくりつけられた盾を振り上げると、モンスターの顔面へと叩きつけた。
牙が何本が砕け、モンスターが悲鳴をあげる。
剣でとどめの一撃を入れようとした時、
「ファイアボム!」
「ッ!?」
魔法の発動を感知して、慌ててアルダッドは後方に飛び下がった。
爆発が起こり、モンスターの身体が四散した。
爆発で砕け飛んできたモンスターの牙を反射的に盾で防ぐ。盾がガキンと音を立てた。
「ふぅ……」
「大丈夫ですか!?」
「ああ問題ない……ありがとう」
アルダッドは、すでに倒せていた魔物に無駄な魔法を使い、さらには前衛の冒険者を危険な目に合わせたことについて小言を言うべきか迷ったが、何も言わないことにした。
彼のありがとうには、さまざまな意味が含まれていたのだが、フィレアはそれに気がつくこと無く、
「どういたしまして、冒険者が前を守ってくれるから、私達が安心してモンスターを倒せるのですし」
と屈託のない笑みを浮かべた。
この笑顔こそが、冒険者の悩みの種なのだと魔術師に理解してもらうにはどうすればいいか、アルダッドには分からなかった。
☆☆
「まだ魔力には余裕があります。奥へ進みましょう」
「しかしもう地下6階だぞ? 今のところクラス5以上のモンスターには出会ってないから余裕があるが、もしクラス5以上に遭遇しても対応できるだけの余力があるか?」
「私はファイアーボムがあと2回」
「勝てなさそうならば、ウィングの魔法もあります。私が冒険者さんを運ぶことができますので、空中に逃げれば安全でしょ?」
「そうとも限らないぞ、クラス5下位のグリフォンでも空は飛べる」
「グリフォン程度ならファイアーボムで倒せますよ」
「たしかにな……」
二人はこちらの言うことを聞いてくれるつもりはないらしい。
アルダッドはなんとなく嫌な感じがするのを抑え、彼女たちに従うことにした。
冒険者にはそうするしかないのだから。
☆☆
(その結果がこれか)
ブラッドハイエナの群れに囲まれアルダッドは窮地に陥っていた。
魔術師二人はすでに魔力を切らして動けない。
アルダッド一人なら包囲網を突破できるかもしれないが、魔術師を見捨てて逃げ出す冒険者はいない。
(これは俺のミスだ。マッパー経験もある冒険者がなんてザマだ)
アルダッドは己を責めた。
ブラッドハイエナ達の奥にいる凶暴な顔が笑う。
グレータークロッタは文句なしにランク5以上にカテゴライズされるモンスターだ。
冒険者だけじゃ勝ち目のないモンスターで、これほど上位のモンスターがこのダンジョンにいるとは思わなかった。何度も探索され、モンスターも狩り尽くされていると思い込んでいたが、そのようなダンジョンでは、奥まで探索するパーティーがいなくなり、強力なモンスターとその群れが時間をかけて生成されることがある、そういうケースもあることをアルダッドは知らないわけではなかったのだ。
グレータークロッタは狡猾だった。
最初に遭遇したのはブラッドハイエナ5体。
魔術師たちは迷わずファイアーボムを二度使い、彼らを全滅させた。
ブラッドハイエナ5体となれば、かなりの収入になる。解体が終わればダンジョンから帰還しようという話になった。
だが、グレータークロッタはその間に俺たちを包囲するべく配置を終えていたのだろう。
次に再びブラッドハイエナが3体。
ここでファイアーボムを使うと、魔力切れになるということで、下級魔法と俺の剣で応戦した。戦闘は少し長引いたが、これも無事倒した。
グレータークロッタは、これで魔力切れが近いと判断したのだろう、こんどは群れを引き連れて俺たちを囲んだ。
残りの解体は諦め、俺たちはウィングの魔法で逃げようとした。包囲されようが空を飛べないブラッドハイエナ達にはもちろん食い止めることはできない。
ウィングの魔法の効果時間が切れ、俺たちは地面に降り立った。
魔力切れ寸前で二人はかなり辛そうだったが、俺は二人を抱えるとすぐに走り出す。追いつかれる前に上の階に脱出しなければ。
だが、俺の目の前にブラッドハイエナが現れる。
迂回しようとした先にも。引き返そうとしたらそこにもブラッドハイエナ。
アルダッドはようやく気がついた。
グレータークロッタはアルダッド達が階段まで後退することを見越してブラッドハイエナ達を配置していたのだ。
助かる道はクラス5以上のグレータークロッタが合流する前にブラッドハイエナの包囲を突破するしかない。
走ることもできない魔力切れの魔術師二人を連れて、それが可能かどうかは問題ではない。
できなければやられるのだから。
そしてアルダッドは突破に失敗し、絶望の状況に追い込まれていた。
☆☆
(だがまだ殺されたわけじゃない)
アルダッドはベテラン冒険者だ。
最後の瞬間まで取り乱すことなく、基本通りの戦術を繰り返す。
相手の方が多い場合は防御重視の攻防一体の構えで飛び込んできた相手の攻撃を受け流しつつ反撃する。
相手から攻撃されることが多ければ守りが重要になり、こちらから攻撃することが多いなら攻めが重要になる。戦いの原則を守ること、いや縋ることで、アルダッドは自棄になることなく愚直なまでの冷静さも守っていた。
ピッカー依頼で倒れる冒険者は少ない。最初の探索で強いモンスターはあらかた倒され、残るモンスターは魔法があればまず倒せるものばかりだからだ。前衛を守る冒険者に、引退するしかないような後遺症が残ることはあっても魔法で完璧な応急処置が可能なこともあり、探索中の死亡事故は三ヶ月に一件程度以下。
事故原因も、引き際を見誤った魔術師の慢心に原因があることがほとんどだ。
(くそ、俺にも魔術師の才能があれば……)
何度自問したか分からない問題だ。
冒険者は冒険者のみでダンジョンを探索することはできない。法律で定められていることもあるし、魔術師の助力無しではクラス5以上のモンスターを倒すことが困難だからだ。
今、ブラッドハイエナの向こうで笑っているグレータークロッタにしても、毛皮に包まれた硬い皮膚は魔法鋼の剣すら浅く傷つけることしかできない。ブラッドハイエナがいなくとも、アルダッド一人では到底太刀打ちできない相手だった。
魔法さえあれば、自分ならもっと上手く、効率的にダンジョン探索ができる。
ベテランの冒険者達はみな、多かれ少なかれその考えを心に秘めていた。
(何度も反撃したが、倒せたのは2体のみか)
防御に重点を置いているとはいえ、寒気のするような攻撃に何度も耐えながら反撃し、その結果がようやく2体。
(大丈夫だ、まだ攻撃をもらっていない。こちらの損失は0、相手の損失は2。大丈夫だ……)
だが、疲れは確実にアルダッドを消耗させていた。
「きゃああああ!」
フィレアが悲鳴をあげた。
アルダッドの後方から飛びかかってきたブラッドハイエナが、アルダッドが防御するより早く、左の二の腕に噛み付いていた。
「っ!!」
素早く振り払うが、傷ついた二の腕からは血が流れ出す。
(骨は折れていない、動脈も無事だな)
ちらりと魔術師達を見るが、回復魔法を使おうとする様子はない。
そんな魔力はもう残っていないようだ。
「……あなただけでも」
フィレアがそう呟いた。
(冗談じゃない)
アルダッドは冒険者だ。それも何年も戦ってきたベテランだ。
そのベテランが仕事を投げ出して逃げ出すなどどうしてできる。
(誰でもない俺の冒険者としての誇りのためだ。例えダンジョン探索の主役が魔術師だとしても、俺は冒険者であることを後悔したことはないんだ)
そうだ、この瞬間であっても、彼は魔術師ではなく冒険者であったことに対して、何の後悔も感じなかった。
冒険者であることを失うくらいなら、命を失うことくらい、恐れることではなかったのだった。
☆☆
嘘のような光景だった。
炎の女神。もう廃れた神々の物語にでてくる女神ではないかと、アルダッドは思った。
クラス5以上の怪物であるグレータークロッタが、腕の一振りで焼き尽くされ、襲いかかるブラッドハイエナ達を、羽虫を打つがごとく次々になぎ倒していく。
その姿には神々しさすらあった。
いつの間にか、彼の両手が古い時代の祈りの形を作っていたことに、彼自身も気が付かなかった。
アルダッドが、あの女神の名前がフィレアとリースのクラスメイトで、ミュールであると知ったのは、ダンジョンから帰って三日後、フィレア達から聞いた時だった。
そしてアルダッドは珍しく、二枚目の報告書をギルド長に提出した。




