10話 魔術師と少女は評価される
「ミュールさん、隣いいですか?」
声をかけてきたのはミュールが話したこともないクラスメイトだった。その服に使われている生地や指にはめたルビーの指輪など、ミュールには一生縁がないと思っていた高価なものだ。
魔術書の価値は魔術師の価値でもある。
ミュールの魔術書ネクロノミコンは、極めてユニークな魔術書だとクラス中に広まっていた。もちろん、ネクロノミコンが喋るところに嫌悪感を感じることは確かなのだが、その中に収められている魔法は、最上級のモノである。
ネクロノミコンはダーナル銀貨1万枚の価値のある魔術書よりも、さらに価値のあるものとして認められていた。
今やミュールは学園第2位の魔術師として大いに認められ、尊敬の念を受けていた。
だが尊敬されるということは、立派な魔術師であることを要求されるということで……
「私、まだファイアーボムが使えなくて、他の中級魔法は仕えるのに。ミュールさん、何かコツとかあるんですか?」
「私も変容術が得意なのですけれど、今度見てもらってもいいですか? ミュールさんの意見が聞きたくて」
「僕、気になる人がいるんですけど、どう声をかけていいか分からなくて」
そんな相談をされても困る。それがミュールの率直な感想だ。
魔法の使い方? 先生もよく分かっていないのに、ネクロノミコンに頼りっぱなしの私に分かるわけないじゃないか。
変容術の感想? この間使った魔法が初めての変容術だよ。
気になる人への声のかけ方? 田舎育ちの私に聞くな!
と、ばっさり切り捨てたいところだが、それができないのが人間というものだと、ミュールは柄にもなく哲学めいたことを考えながら、必死にそれらしくごまかせる回答を、余裕ですわというような表情と一緒に返す。
「魔術書との絆に意識するのはどうかな?」
「ええいいわよ、そのうち授業が終わった後にでも」
「私もその分野には詳しくないのだけれど、まずはお昼に誘うのがいいんじゃないかな」
こんな当たり障りのない回答でも、クラスメイト達は満足して、「さすがミュールさん」などと褒めてくれるのだから分からないものだ。何を言ったかではなく、誰が言ったかの方が重要なのだなと、ミュールは本当に柄にもなく、そんなニヒリズムな気分を、ここ数日感じていた。
☆☆
一日の授業が終わり、ミュールは一日中ペンを走らせて凝り固まった肩を、ぐっと伸ばした。
「マドモアゼル」
「ラファエラ、なんか久しぶりだね」
ミュールが人気者になる前は、よくラファエラと会話していたのだが、ミュールが人に囲まれだしてからは、ラファエラは距離を取っているようだった。
あんな喋り方をしながら、どうやらラファエラは人だかりが苦手らしいのだ。
「しかしすごい人気だね」
「そういうラファエラこそ、成績1位の魔術師だったなんて驚いたわ」
そうなのだ。このラファエラこそが、サクス校特別クラスの中でも最高評価を受けた第1位の魔術師だったのだ。
「いやぁ、私も外国の人間だからね。張り出されている名前が成績順だなんて知らなかったんだ」
そう言って、嫌味の無い笑みをラファエラは浮かべた。多分嘘はついていないのだろうと、ミュールは思う。
「そうだ、約束がだいぶ延びてしまったけれど」
「約束?」
「ほら、最初に一緒にカフェに行こうって誘っただろう?」
「ああ、そういえば」
「今日、これからどうだい?」
「いいわよ」
この間のダンジョン探索の結果、懐に大分余裕ができた。
ネクロノミコン曰く、「この程度しか収穫が無いととは思わなかった」と、残念がっていたが、現代の基準からすれば十分過ぎるほどの成果なのだ。
それにしても、とミュールは思う。ミュールの成績はネクロノミコンによるところが大きいが、ではラファエラはどうなのか。
彼女の魔術書は他の魔術書に比べても薄い。16ページしかないシモンの版画魔術書よりは分厚いが、それでも30ページ程度しかないだろう。
書かれている魔法の数もそう多くはないはずだ。
にも関わらず、多くの魔法を含む高級魔術書を携えたこのクラスの魔術師達の誰よりも優れた力を持つのはなぜなのか。
ネクロノミコンに聞けばきっと適切な答えを用意してくれるだろうが……ミュールはこの問題については自分で考えることにした。
「ラファエラの魔術書って、なんてタイトルなの?」
「私のかい? これだよ」
ラファエラは美しい装丁を施された薄く、だが気品のある魔術書を机の上に置いた。
タイトルは『薔薇物語』。聞いたことのないものだ。
「説明を求められると困るんだけどね、この魔術書にもたくさんの魔術が収められているんだ」
「普通の魔術書じゃないのね」
「まぁね。読んでみるかい?」
「いいの?」
「もちろん。私はこの魔術書のような本が、もっと広まればいいと思っているんだ」
「それじゃあカフェで読ませてもらうわね」
「うん、紅茶とパンをテーブルに置いて、魔術書について語り合うのも良いね」
そう言ってお互いに笑みを浮かべた私達の間に、バンと手が置かれた。
そこには肩まで届く黒い髪をしたスラリと背の高い少女が、机を叩くという無作法を忘れるような、上品な仕草で立っていた。
「私もご一緒してよろしいかしら?」
「おや、これはマドモアゼル、あなたのような美しい女性にお誘いいただけるとは、今日は良い日です」
ラファエラは相変わらずだ。
彼女はエステルという魔術師、エステル・ウルというラストネームが示す通り、このウル生まれの魔術師だ。クラス分け時の成績は第三位。
手にしている魔術書は、かの千の魔術のコーレシュが書いた、コーレシュの万能鍵を種本に、重要度の高い魔法を厳選してページ数を半分にした、コーレシュの黄金鍵というそれでも500ページを超える分厚い本だ。
ネクロノミコンや薔薇物語といった不可解な魔術書に比べると、第三位になれるのも納得できる真っ当な魔術師だと、ミュールは思っている。
「ミュールさんもよろしいですわよね?」
「え、うん、いいよ」
仕草は上品だが、ミュールはエステルの瞳に燃えるようなものを感じ、少し気が重くなるのであった。




