1話 魔術師は目を覚ます
初めて魔法を見たのは、行商人と一緒にやってきた冒険者が戯れに使った、ドラゴン・ファイアーワークスという目眩ましの魔法だった。
火花で大きなドラゴンの輪郭を作り出し、それで相手を驚かせるだけのハッタリの魔法。直撃させても軽い火傷を負うだけ、レベル1の魔法だ。冒険者は炎に魔法で色を付けて、村の人間達に見せては僅かな銅貨を稼いでいた。
当時、9歳の少年だった俺は、夜空にキラキラと黄金色に輝くドラゴンを見た。
動くこともなく一瞬で消え去るその花火に、だが俺は心を奪われた。些細なことだった、俺が魔術師を目指したのは、あの夜空に羽ばたく黄金色の輝きを、もう一度見たかったからなのだ。
この世界には『ダンジョン』と呼ばれる地下迷宮が無数に存在する。
『ダンジョン』は大地に満ちるマナによって自然発生し、その中には人間の手では作ることのできない、魔法の財宝とそれらを守るモンスターや罠が眠っている。
その危険な『ダンジョン』に潜り、マナを魔法へと変換し、魔法と呼ばれる奇跡の力によりモンスターと罠を攻略し、地上へ『ダンジョン』の財宝を持ち帰る者のことを、人々は魔術師と呼んだ。
魔術師が『ダンジョン』を生き抜くために研究した魔法は、いつしか『ダンジョン』から持ち帰った魔法の財宝と共に世界の文明を担う中枢になっていく。
世界が魔術師無しでは成り立たなくなった頃、魔術師は魔術師ギルドという組合を作り、国家を超える強大な組織を作り上げていた。
☆☆
最強の魔術師バラム。竜骨城の主。深淵からの生還者。魔術三系の王。
数々の異名を持つバラムも今や追い詰められ、殺されようとしていた。
“勇者”ピーノをリーダーとする四英雄と“白の大賢者”モウゼ、そしてバラムが『深淵』より持ち帰った護符を盗み出した、“改悛者”コーレシュによって、ついに最強の魔術師も、すべての魔術を打ち破られ、最期の時を迎えようとしていた。
「終わりだバラム、お前の呪われた人生はすべて失われる。お前のやってきたことも全て失われる。後には何も残らない」
「貴様……」
「満足かバラム、これがお前の最期だ。お前が振りまいてきた不幸を精算する時が来たのだ。神は決して、お前の罪深い魂を受け取るまい。悪魔すら、お前の汚れた魂に触れることを厭うだろう。お前の魂は誰からも望まれず、この世界が失われるその瞬間まで、荒野を孤独にさまようだろう」
ピーノの白銀に輝く魔法の剣が振り下ろされる。
バラムは最後の呪文を唱えようとするが、すでに魔力の大半を封じられていた。魔法が形になるより早く、ピーノの剣がバラムの首を切り落とした。
ピーノはバラムの首を掲げた。恐るべき魔術師による圧政が終わったことを、まるで世界に伝えようとしているかのようだった。
☆☆
それから100年後。
バラムの名も歴史となってしまった時代。
最古のダンジョンである『深淵』から徒歩で約1日のところにある、魔術師の都ウル。
誰もその最奥にたどり着いたことのない究極のダンジョン『深淵』を求めて近隣諸国の魔術師達はこぞって、このウルを目指す。そのためここでは、王の宮殿よりも、白亜に輝く魔術師ギルドの総本山、『賢者の塔』の威容の方が有名だ。
そのウルの町の薄汚れた本屋で、黄金色に輝く2つの瞳が、無造作に積み上げられた本の山を睨みつけていた。彼女、ミュール・リナールは14歳となり今年から魔術ギルド直轄の魔術学校であるサクス校に通うことになっている。
魔術師には魔術書が必要だ。昔はそうでなかったそうだが、70年位前から魔法が複雑化するにつれ、魔術書が無ければ下級以上の魔法は使えなくなった。そうミュールは教わっている。
去年まで通っていた初等学校では、シモンの版画魔術書という安い魔術書を教材として貸し出していた。書いてある魔法は、初級魔法が4つと、下級魔法が2つ。注釈や魔法の歴史などの記述合わせて16ページの小さく薄い本だった。
あのレベルの本なら安くで手に入るのだろうが、実用には程遠い。魔術ギルドの長、千の魔術のコーレシュのようにとまではいかなくとも、30くらいは魔法が記載されている魔術書が、ミュールは欲しかった。
だが相場で言うなら、30どころかその半分の15の魔法が記された魔術書でも、彼女の予算ギリギリだ。その15の魔法に珍しい魔法が含まれているようなものなら、手が届かなくなる。
そこで、ミュールはまだ未鑑定の中古の魔術書を漁っているのだ。
「むむむ……」
とはいえ、装丁が豪華な魔術書や分厚い魔術書はまず鑑定される。みるからにボロボロだったり薄かったり、魔術師に鑑定を依頼する方が高くつくと思われるものが未鑑定の中古品として二束三文の値で売られているのだ。
安いのには理由がある。掘り出し物など滅多にない。
ミュールは自分の長所である、豊富な魔力を利用してめぼしい魔術書にリーディングの魔法をかけ、何ページかを読み有用な魔術書が無いか探していた。魔術書は魔法を使わないと読めないものなのだ。
「だめかぁ」
ミュールが今日、一日を費やして学んだことは、鑑定の魔法を使えなくとも、商人の目利きは正確なものだということだった。
ミュールは諦めて、中古本の中ではマシな方だった、18の魔法が記された魔術書を購入した。本のタイトルには『紅蓮の従者教本』。火を崇拝する魔術教団で使われていた魔術書らしい。
本来は16の魔法が記されているのだが、2つの魔法は前の所有者が追加したようだ。中古本ならではだろう。その魔法がどこか間違っている可能性もあるのだが。それでも目標の魔法30種には程遠い。
ミュールは買ったばかりの使い古した本を抱え、とぼとぼと通りを歩いていた。
「どうしたんだい嬢ちゃん、そんな浮かない顔して」
声をかけてきたのは、大きな傷跡の走った片目に眼帯をした男だ。腰に緩やかに湾曲した偃月刀を携えている。地面に敷いたマントの上に古ぼけたガラクタを並べているところからするに、おそらくはダンジョンか遺跡で手に入れたものを路上で売っているのだろう。
こういうのは冒険者ギルドで一括買取りしてもらうのが一般的のはずだ。ミュールは訝しげに商品を見つめた。
「ああ、やっぱり疑問に思うかい? なんで冒険者ギルドに買い取ってもらわないのかって、あそこなら鑑定代をサービスしてくれるしね」
「理由があるの?」
「もちろん、一番の理由はギルド買い取りは査定額を低く見積もられることだよ。冒険者ギルドが絶対に損をしない価格で叩き売られるんだ。それとこれも重要なんだけど、冒険者ギルドは希少なマジックアイテムや素材なんかは、お偉方に優先して売られて、街の市場には出回らないんだ。それは不公平だろ?」
そう言って男は口元に笑みを貼りつけた。胡散臭い。ミュールの第一印象はそうだった。
だが、男が取り出した『本』を見て、ミュールは表情を変えた。
「魔術書!」
「そうだよ、嬢ちゃん、これを探してるんだろ?」
「なんで分かったの?」
「その手に持っているの、中古の魔術書だろ? なぜならば嬢ちゃんみたいな若い子が持つには古びている。だったら中古だ。もうじき魔術学校の入学シーズン、魔術書を買いに未来の魔術師達が走り出す頃だ、嬢ちゃんも若いし多分今年入学の学生さんだろうと思いついたわけだ。とすると魔術書をつい最近購入したに違いない、にしても浮かない顔をしている。たまに手にしている魔術書を見ては小さくため息なんかついている。こりゃ金がなくて安い中古の魔術書しか買えなかったんだな、ってなわけさ。合ってるかい?」
「うん、その通り……本当は魔法数30の魔術書がほしかったんだけど、この本には18しかなくて、魔法も火の魔法に偏っているみたい。中級必須のウィング、ファイアボム、フォームオブアニマルはあるみたいだけど」
「そりゃ不満だよな。うーん、どうしようかな」
眼帯の冒険者は腕を組み悩んでいる様子を見せた。
「どうしたの?」
「いやね、一応、ちょうどいい魔術書、この間竜骨城っていうダンジョンで見つけてね」
「魔術書を!」
「見るだけ見てみるかい?」
「でも私お金が」
「まぁまぁ、とにかく見てみなよ」
冒険者が取り出したのは皮装丁の古びた分厚い本だった。
「これ、まさか魔術書?」
「リーディングしてみな」
「いいの? じゃあ……これは!?」
精神を集中し、魔力のこもった目で本の文字を見たミュールは、思わず声をあげた。
「読めない!」
リーディングの魔法は人の手で書かれたあらゆる文字を読み取ることができる。書いた人の意思を読み取るからだ。だから、原則、リーディングの魔法で読めない本は存在しない。
唯一の例外は、本自体が魔法を受け付けないような強力な魔法で守られている場合だ。
「つまりは強力な魔法で守るほど重要な魔術書ということ!」
ミュールは本を掲げ感嘆した。しかもこの分厚さ、もちろんすべてのページが魔法について書かれているわけではないだろうが、どう少なく見積もっても魔法数30以下ということはないだろう。これほどの魔術書を自分のものにできたのなら!
「気に入ったかい?」
「こんな貴重な魔術書があるだなんて」
「だろう、どうだい、この本買わないかい?」
「ええ? でも私そんなお金……」
「まぁ銀貨3000枚は欲しいな」
「無理だよ」
「だよな」
一日分の食事がおよそ銀貨1枚。小麦のパン1キロも銀貨1枚が相場だ。つまりこの本は3000日分の食費、またはパン3トンの価値と等しい。
希少な魔術書の価値としてはこれでも安いと言える。
ミュールはがっかりした表情で本を返そうとした。だが、眼帯の男は受け取らず、口元に笑みを浮かべる。
「頭金、銀貨100枚で売ってやるよ。残りは卒業して魔術師になってから支払ってくれればいい」
「え?」
「銀貨100枚なければ、足りない分はそのお嬢ちゃんの魔術書でいいよ」
「それは……」
さすがに上手い話が過ぎる。都会に慣れていないミュールだったが、疑わしげに男を見た。
「いやいや騙そうとしているわけじゃないんだぞ。そりゃ疑うのも分かるが。というのも、その本、冒険者ギルドじゃ売れないって言われたんだ」
「どういうこと?」
「その本の装丁、人皮なんだ」
「うへっ!?」
思わず本を取り落としそうになるのを、ミュールは慌てて掴み直した。指から伝わるしっとりとした感触に、ミュールは思わず身震いした。よくみると目や口のような部分がある。顔の皮を装丁に使ったのだろうか。どんな趣味だとミュールは顔をしかめた。
「つっても、俺の見たところその装丁は本が書かれてから随分後につけられたもんだ。どんな趣味をしたやろーかはしらねぇが、装丁を貼り直すのに人の皮を使ったらしい」
「なんてものを」
「冒険者ギルドもそんな不気味なものは買い取れないってね。好事家に売ろうにも装丁が邪魔だ。となると実用のための魔術師しかいないが……」
「リーディングできない魔法の防護」
「そう、魔法の防護を破る方法は、魔術書と『絆』を結ぶしか無い。だがこの本を買うような魔術師なら自分の魔術書に大量の魔法を書き込んでいるだろうし、新しい魔術書に自分の魔法を書き換えるのはお金がかかりすぎる」
「それで私みたいな学生に?」
「そう、どうせ売れないなら学生に売って使ってもらったほうがいいってもんだ。それに魔術学校の学生さんは身元がはっきりしているし、この街に来れば会えるのも間違いないしな。金を払わずに逃げられる心配も、行商人に分割払いで売りつけるよりはずっと確実だ」
「なるほど、一理あるわね」
確かにこの冒険者の言っていることは筋が通っている。と、ミュールは思った。
「それじゃあ、お願いしてもいいかな?」
「おう、嬢ちゃんの名は? どこの学校に行くのか、学生証を見せてもらっていいかい?」
「はい」
ミュールはいつも携帯している、サクス校の学生証を見せた。光沢のある魔術鋼製の学生証は、酸を浴びて錆びることも、熱で歪むこともない。魔術鋼は同じ魔術鋼かミスリルなど妖精鉱石などでしか傷つかない。
偽造には魔法が必要なため、身分証明書として各地で通用する。
「なるほどサクス校か。それじゃあ、お金ができたら連絡してくれ、まっ卒業までは無理だろうけどな」
「ありがとう!」
まさかこんなところで希少な魔術書を手に入れられるとは。借金が銀貨2000枚以上できてしまったが、この魔術書があれば在学中に返すことだってできるかもしれない。ミュールは無数の魔法を操る自分を想像し、ニヤニヤと笑いながら帰途についた。
人の皮をまとった魔術書を大事そうに抱えながら。
大事そうにするあまり魔術書を胸にしっかり抱いていたため、魔術書の表紙に浮かぶ顔が、ため息をついたことに、ミュールが気がつくことはなかった。
初投稿です。
みなさんほど上手く書けるか分かりませんが、作品を読んでいるうちに書きたくなってしまいました。
よろしくお願いします。