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涙(裏)

涙をアルファ側から見てみました。

「ただいまぁ。」

 部屋の中に人がいるのといないのとでは、声の響き方が全然違う。だから、いつものように買い物から帰ってきたとき、フィリスは出かけたのかしら、とわたしは不思議に思った。

「フィリス?いないの?」

 やはり、返事がない。

 そんなはずは、と思う。3年前、家出をしてしまったフィリスが、わたしの家に転がり込んで以来、彼女は出かける前には必ずわたしにその旨を伝えていたのだ。はじめは、同居させてもらっている、という遠慮のような気持ちからのことだったのだろうが、今の生活に慣れてしまってからも、そのことだけは習慣になって残っていた。

「おかしいなあ。ほんとにいないの?」

 右手奥の部屋を覗く。そこがフィリスの部屋だ。

 ……薄暗いランプの明かりの中、ベッドの上に、短くそろえた栗色の髪が見える。フィリスだ。少年のようにも見えるその体を、小さく丸めて、横になっている。

「なんだ。いるんじゃない。……寝てるの?」

 まるで反応がない。耳を澄ますと、寝息のような音が聞こえている。

「珍しいわね。こんな時間から寝てるなんて。……ま、いいか。」

 夕食の準備がすんだら起こそう。そう思い、部屋の扉を閉めようとした。

 その時。


 キラリ。


 何かが光ったような気がした。

 ……涙?

「フィリス?……泣いてるの?」

 ベッドのそばに寄り、顔をのぞき込む。閉じた両眼から、こぼれる涙。夢の中でも、声を殺してしか泣けずにいるなんて……。

「フィリス?ねえ、フィリス?大丈夫?」

 これ以上、その涙を見ているのに、そしてそんな涙を流させているのに耐えられなくて、わたしはフィリスを揺り起こした。

 フィリスが、目を開ける。空色の、瞳。寝ぼけまなこでわたしを見ているが、やがて焦点を結びはじめる。

「ああ、ゴメン。寝ちゃってたんだ……。」

 そんなことを、もごもごと言っている。その涙とは裏腹に、口調はいつもの寝起きと同じだ。自分で気づいていないのだろうか?涙を流していたことに。

「いえ、眠ってたのはいいんだけど。……泣いてたから。」

 不思議そうな顔で、目元に手をやるフィリス。

「ホントだ……。」

ポツリと、つぶやく。

「気づいてなかったの?」

……そんな声をかけながら、心の中では、やっぱり、と思った。やっぱり、気づいてなかったんだ……。




「昔の夢、見たんだ。」

 涙の痕のついた指先をぼんやりと見つめながら、ぽつり、とつぶやくようにフィリスが話し始める。

「昔の夢、見るんだ」

 フィリスの、幼い頃の、夢。父さんがいて、母さんがいて。父さんの後を継ぎたくて。父さんのような狩人になりたくて。将来、きっと現実になるはずだった、夢。……だけど。

「弟が、生まれて。……父さんはやっぱり男の子に後を継がせたかったらしくてさ。ボクは、女の子扱いしかされなくなって。もう、狩りになんか連れていってもらえなかった。ボク、弟に親をとられたって思っちゃったんだよね・・・・・・。やっぱり、子供だったんだなあ。」

 淡々と話す、フィリス。しかし、その顔には哀しいほどに切ない表情があふれている。

「哀しくないのに、涙が出ることがあるんだね。」

 わたしは、その表情の切なさに、もう何も言うことができず、ただ黙ってフィリスの言葉を聴いていた。

 そんな、哀しい沈黙の中、フィリスはしゃべり続けている……。

「別に、後悔してるわけじゃないんだ。もちろん、今のボクなら家出はしないと思うけど。でもあのときは、ああしなきゃ、心が、つぶれそうだったから。父さんや、弟を、嫌いになっちゃいそうだったから。だから、あのときの決断は、間違ってないと思ってる。……ただ。ただね、やっぱり、なんかさあ……。」

 ふっと、言葉が、途切れる。空色の瞳に、また涙があふれはじめている。

 わたしはたまらなかった。この子は多分、知らないのだ。自分の抱えている感情を。そして、今、自分がどんな表情をしているのか、ということも。

「そういうのは、『切ない』って言うの。」

 そんな言葉が、口をついて、出る。これ以上、フィリスにあんな顔はさせたくない。それだけを思って……。

「『切ない』時は、『哀しい』時よりもずっとずっと泣きたくなるの。だから、がまんしないで。泣けるときに泣いておかないと、こころが死んじゃうから。誰も、泣いたからってフィリスを責めないわ。フィリスも、自分を責めなくていいから。ね?」

 わたしの言葉を聴きながら、フィリスは涙を流し続けていた。そして、わたしの前で初めて、声を出して、泣いた。

 初めて『切ない』涙を流したのだ、とわたしは思った。



 泣き疲れて眠ってしまったのか。フィリスは寝息をたて始めている。その顔は涙で目が腫れているが、さっきまでのようなやりきれない表情は、もうない。

 夕食の支度がすんだら起こしに来よう。そう思い、部屋の扉を閉めた。

 今度目が覚めたら、とびきりの笑顔を見せてくれるだろう。あの澄み切った、空色の瞳で……。

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