涙
「父さん、これでいい?」
小柄な男の子が草むらでごそごそと何かの作業をしながら尋ねている。
動物を捕まえるための罠を作ってるんだ。……どうして分かるのかって?だって、あの子は、ボクだもの。だから、ボクには分かるんだ。あの子が次に父さんに言う言葉も、それに父さんがどう答えるかってことも。
それから、男の子みたいなあの子が本当は女の子だってことも。
……そして、こんな場面は、もう二度と戻らない、遠い昔のことだってことも
「……リス?フィリス?大丈夫?」
ふっと、ボクは目を覚ました。体を起こす。
「ああ、ゴメン。寝ちゃってたんだ……。」
ベッドの脇にいる女性に話しかける。彼女はアルファ。ボクが3年前、家出してすぐに知り合った女の人だ。ボクが女の子だってことを知ってる数少ない人の一人でもある。5歳くらいしか違わないのに、ボクのことをいつも子どものように扱う。ちょっと気にしないでもないけど、初めてあったのがボクが11歳、彼女が17歳の時だから、仕方がないんだろう。
そのアルファが、心配そうにこちらを見つめていた。
「いえ、眠ってたのはいいんだけど。……泣いてたから。」
泣いてた?ボクが?
驚いて、目元に手をやる。涙のあと。
「ホントだ……。」
ポツリと、つぶやく。
「気づいてなかったの?」
アルファが心配そうに訊いてくるが、ボクはうわのそらでさっき見た夢を思い出していた……。
「昔の夢、見たんだ。」
ボクは、いつの間にかアルファに話し始めていた。3年前からずっと見続けている夢のことを。
「昔の夢、見るんだ」
弟が生まれる前、父さんの後継ぎとして狩人になると決めていた、あのころの夢。
「弟が、生まれて。……父さんはやっぱり男の子に後を継がせたかったらしくてさ。ボクは、女の子扱いしかされなくなって。もう、狩りになんか連れていってもらえなかった。ボク、弟に親をとられたって思っちゃったんだよね……。」
親と、自分の憧れた未来、を。失くしたって思って。それが原因で。家出を決意するまで、半年もかからなかった。
「やっぱり、子供だったんだなあ。」
ボクは、一人で喋り続けている。アルファは不思議なくらい何も言わない。でも、ボクの言葉を聴いてくれてるのが伝わってくる。優しい沈黙だ。
「……哀しくないのに、涙が出ることがあるんだね。」
そんな沈黙の中で、ボクはまだ喋り続けている。
「別に、後悔してるわけじゃないんだ。もちろん、今のボクなら家出はしないと思うけど。でもあのときは、ああしなきゃ、心が、つぶれそうだったから。父さんや、弟を、嫌いになっちゃいそうだったから。だから、あのときの決断は、間違ってないと思ってる。……ただ、ただね。やっぱり、なんかさあ……。」
あ、まただ。また、哀しくないのに、涙が……。
「そういうのは、『切ない』って言うの。」
不意に、アルファが話し出す。
「『切ない』時は、『哀しい』時よりもずっとずっと泣きたくなるの。だから、がまんしないで。泣けるときに泣いておかないと、こころが死んじゃうから。誰も、泣いたからってフィリスを責めないわ。フィリスも、自分を責めなくていいから。ね?」
アルファの声を聴いていると、あとからあとから涙があふれて。止まらなくなった。……ボクは、誰かに許してほしかったんだろうか。3年前の決断について。心の奥に残って消えない、もやもやしたわだかまりについて。
泣き疲れて、ボクはまた眠ってしまったのだろう。目の前に父さんが立っている。
「父さん……、ごめん。」
今まで、伝えられなかった想いが、自然と口をつく。
「もう、ボク、大丈夫だから。心配しないで。ごめんなさい。ありがとう。」
すると父さんは、何も言わずに、笑った。優しい、優しい笑顔だった。その笑顔を見て、ボクは、本当に許してもらえたんだ、と感じることができた。
だって、夢の中で、父さんが笑ったのは、これが初めてだったから。