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何でこの変な時間に目が覚めたのかは分からない。カーテンを閉めた部屋は、昼間だけど薄暗い。隣の2段ベットで、ハーヴェイは寝ている。アランが寝ているベットの下の段で、グレイも起きてる様子は無い。特に外から大きな音がしたわけでもない。でも、アランはこの時間に目が覚めた。
水でも飲みに行くか、と上着を羽織って部屋から出る。運命と言うには大げさにしても、運が良かったのは事実だろう。
重そうな荷物を背負ったマリアベルが、ぽてぽてと階段を降りて来る。足元だけ見ていて、アランに気付いた様子は無い。ちょっとそこまで出かけるには多すぎる荷物だ。迷宮に行くにも多い。部屋の中にあった着替えや小物を、全部まとめたらあれくらいになるかもしれない。
「ちょ……おい、マリアベル」
「うにゅ」
マリアベルは2回まばたきをして、仕方ないかぁという風にぽてぽてとアランの所まで歩いて来る。ぺこりっ、と深く頭を下げた。黒い三角帽子が頭から落ちる。
「今まで、お世話になりました」
「……いや、おかしいだろ」
マリアベルが拾う前に、魔法使いの帽子を攫う。
「にゅ、返して」
「返すか」
「何で?」
「何でも」
「にゅすん……じゃあ、あげるねぇ……」
「ではなくて」
別に本気で帽子が欲しいわけじゃない。
「……どこ行くんだ。ロゼは知ってんのか」
ローゼリットの名前を出されると、マリアベルはうんと傷ついた顔をした。黙って出て来たな、こいつ。ロゼも気付けよ、と思わなくも無い。
「にゅ……」
「にゅ、じゃねぇ」
思った以上にきつい言い方になってしまった。別にマリアベルの口癖が悪いわけじゃない。そうじゃなくて、と何かを説明しようとしたら、マリアベルが先手を取った。
「……ごめんなさい」
「パーティ、抜けるつもりか」
「うん」
「……昨日の、事故で?」
「そう」
もともとマリアベルは小柄だけど、大きな荷物を背負って、黒いローブを着たマリアベルがしゅるしゅる縮んでいってしまうような気がした。小さくなってまた逃げてしまう気がしたから、声を掛ける。
「許すって、俺が言っただろ」
「そうかもしれないけど、考えてみたの。迷宮の4階で、あたし達からしたら初めての階層で、許さないで喧嘩別れしてばらばらにミーミルに帰ることなんて出来るわけないよね。そうしたら、アランは許すしかなかったんじゃないかなって。そうしたら、そういうのは卑怯だなって、思ったの」
「……」
「失敗は、しちゃうことがあるかもしれないけど、卑怯なのは、凄く良くないなって思ったの」
それが魔法使いの謎理論なのか、マリアベルの信念なのかはアランにはよく分からなかった。ぽふん、と黒い三角帽子を金髪の上に乗せる。まさか謎理論にアランが同意したと思ったのか、マリアベルはこちらを見上げて寂しく笑った。
「そういうわけだから」
「な・に・が」
グレイを見習ってマリアベルの頭に手を載せる。帽子の形とかどうにかなっちまえと思いながら、思いっきり握りしめる。
「そういうわけだー!」
「にゅ、い、にゅぐぐ……い、いたい……!」
「痛いようにやってんだ! 黙って出てく方がよっぽど卑怯だろうが!」
「にゅ……ぅん……アラン、ここは宿屋の廊下です……叫ぶの良くない……」
「まともか!」
「割と……自分のことそう思ってるよぉ……?」
「えぇい!」
手を放す。いたい、いたいとマリアベルは頭を押さえている。じゃっかんやり過ぎた感がなくもない。アランの表情に気付いたのか、マリアベルは涙目で「……まぁ、そんなに、いたくもないけどね」と呟いて頭から手を下ろした。
背中の荷物を持ち上げるようにして、マリアベルを3階に引っ張って行く。
「それなら、マリアベル」
「なぁに?」
マリアベルは大人しく付いて来る。我ながら卑怯だな、と思いながらアランは保険を掛ける。
「改めて許す、から、許せ」
「……何を?」
「今日までの色々と、これからの色々だよ。俺達は約束しかない精霊と魔法使いではなくて、失敗したり間違えたり騙したりする人間同士だからだ。俺はマリアベルが今回失敗したのも、卑怯なのも、許す。だからマリアベルも俺の何かしらを許せ」
「……にゅーん。あたしがアランの何を許したって、見合わない気がするよ」
「なら、今後に期待しろ」
かなり真面目にアランが言うと、マリアベルはふき出した。
「期待って変じゃないかなぁ。だいたいアラン、そんなに悪いこと出来なさそうだし……」
「余計なお世話だ」
「あ、あたし達の部屋、こっちじゃなくてあっち」
「ん」
もう良いか、と荷物から手を放す。マリアベルはローブの下に着ている服のポケットから鍵を取り出した。
「……何処へも行くなよ」
「アランとローゼリットが許してくれるなら、そうだね。これからも、よろしくねぇ」
マリアベルはほにゃりと笑う。幸福な小猫みたいに。
で、ローゼリットはというと、ようやく起きて事態に気付いたのか部屋の中でばたばたと暴れている。「……きゃあ!」とか短い悲鳴まで聞こえてきた。こけたな。おっちょこちょいめ。
「ほら、ロゼが暴れてるだろ」
「にゅーん」
マリアベルは鍵を差し込んで、じっとこちらを見つめて来る。くしゃくしゃになった帽子の下で、緑の瞳が輝いているみたいだった。
「何だよ」
「あたしねぇ。ローゼリットが凄く好きなの」
「……何だ唐突に」
「ほんとだよ。優しくて、一生懸命な、あたし達のパーティの僧侶のローゼリットが、凄く好きなの」
「本人に言ってやれ」
「だから、アランは心配しなくていいんだよぉ」
「……」
アランが何とも答えられずに見下ろすと、マリアベルはちょっと意地悪で生意気な猫みたいに笑って部屋の鍵を回した。「それじゃあ、また明日か、夜にねぇ」細く扉を開けて、するりと中に入って行く。大きな荷物が、よく引っかからなかったもんだ。
「マリアベル! マリアベル、そんなにたくさん、荷物を持って、どこへ……!」
ローゼリットの涙声が聞こえてくる。ごめんねぇ、とマリアベルが答える声が聞こえた。これ以上立ち聞きするのは失礼だろう。むさい男部屋に引き返す。
マリアベルは時々謎の理論で動くにしても、基本的には賢くて真っ当だ。本人の言う通り。だとしたら、何処までが話すべきことで、何処までが『何でもかんでも話しても仕方ない』ことなのか。もっと見ての通り、迷宮の踏破のことしか考えていないようだったら、楽だったのに。
部屋では、グレイもハーヴェイもまだ寝ていた。こういうな。マリアベルもこんなだったら良かったのに。無理か。
なるべく音を立てないように2段ベットの梯子を上って、水飲むの忘れたな、と思いながらもう1度寝た。




