3-24
ハーヴェイに肩を貸して、獣避けの鈴を持ったマリアベルが先頭を歩く。
「いやー、うっかりしたね。ごめんね。そういえば、この迷宮に死体は長い時間、残らないんだった。他のカマキリの死体とか、1つも見かけないしね。片手もげて気絶してただけで、死んでなかったんだねー……」
気を使っているのか、気を紛らわしたいのか、ハーヴェイは凄くよく喋る。マリアベルはうるさそうにするでもなく、いつものおっとりとした調子で「ほんとだよねぇ。“ゾディア”に頼り過ぎちゃ、いけないねぇ」と答えている。
「そうだよね。あ、そういえばアレンさんにギルド名決めたらって言われたよね。猫の散歩道亭に帰ったら、決めちゃうのも良いんじゃないかな。僕達ほら、何処のギルドにも入るつもりないし。“カサブランカ”の勧誘も断ったんだし。あ、そうだマリアベル。何かいい名前は無いの? ずっと前から、迷宮に来るって決めてたんだよね。実は内心、ギルド名決めてたりしない?」
「ギルド名は、ねぇ……」
ふっ、とマリアベルは笑ったようだった。アランを半分担ぐようにして、2人の後ろを歩いているグレイには見えなかったけど。
「……まだ早いんじゃないかなぁ。あたし達、5階に着いたばっかりだし」
「そうかなー。そしたら、そしたらさ、5階にいるキマイラだっけ? 指令の、何かを倒して6階に着いたら、決めようよ」
「ハーヴェイ、気が早いねぇ」
「マリアベルには負けるよー。だって、迷宮、踏破するんだよね?」
黒い三角帽子の下を、ハーヴェイは覗き込んだ。「……するよぉ」珍しく少し間を置いて、マリアベルが頷く。
「ほら、マリアベルの方が、気が早い」
ハーヴェイが笑うと、マリアベルはガラン、と獣避けの鈴を鳴らした。ハーヴェイは喋って、喋って、足を引きずる様に歩いて、時々ふっと静かになる。ローゼリットが不安そうに「『癒しの手』をもう少し……」と言い掛けると、ほにゃほにゃとした声でマリアベルが喋り出す。
「ギルド“ゾディア”が竜を斃して、15階へ行ったっていうことだし、きっとミーミルに戻ったら街は賑やかになってるだろうねぇ。大公宮からご褒美が出たりするのかなぁ。そういうのは、ローズマリーさんとかはいらないって言いそうかな。15階に女神さまがいなくて、他にも竜がいるはずなら、“ゾディア”はもっと上の階を目指すんだろうねぇ」
「そうだねー……大公宮から、何かあるかもね。もしかしたら、普段は南部の大公宮に居る大公様も、西部の別棟に、来たりするかもねー……。あ、そろそろ、ランプ点けようかー……」
全然平気ですよ、ってローゼリットに強がるみたいに、ハーヴェイも話を続ける。心配ではあるけれど、ローゼリットだって魔力に限界はあるだろう。それに、こう言ったら可哀想だけど、ハーヴェイよりアランの方がずっと重傷だ。出来るなら、アランに『癒しの手』を使いたいところだろう。
ローゼリットは自分の未熟さを恥じるように俯いて、地図を見ながら歩いて行く。マリアベルとハーヴェイは、お互いのんびりと、でも必死な感じで雑談を続ける。アランは何にも言わない。ともすれば荒くなりそうな呼吸を、出来るだけ堪えている。「……休む?」とグレイが訊くと、首を振る。
「まだいい」
「そっか」
グレイは何気ない風に頷くけど、じっとりと背中に嫌な汗を掻いている。まだいい。でもいつまで? まさか夜が明けるまで歩き通しって訳にはいかないだろう。いつまで――どこまで? でも歩くしかない。せめて階段で3階に降りるまでは。歩いて行くしかない。ガラン、と鈴が鳴らされる。
鈴のお陰か、暗いけれど動物に襲われる事は無かった。歩いて、歩いて。もう盾を捨ててやろうかとかグレイが考え始めた頃、ハーヴェイ達が続けている雑談も話題が尽きたのか、ふと静かになった。
さく、さく……と何歩か足音を響かせて、マリアベルが降参するように口を開いた。
「――魔法使いと精霊の間には、約束しかなくて。他には何にも無いの。祈りも儀式も供物も、何にも。たったひとつの約束だけで、精霊達は魔法使いを助けてくれる」
「……じゃあ、約束を破ったら?」
思わずグレイは尋ねていた。マリアベルは少しハーヴェイの手を引いて、足を止めた。ゆっくりと振り返る。緑の瞳が、悲しげに細められていた。
「お別れ。それだけとも言えるし、酷すぎるとも言える。罰則があるわけじゃないけど、どんなに精霊との約束の為に、いろーんな事をしていても、もう2度と精霊はその魔法使いを助けてくれないの」
「色んな事」
「そう。悪いことも危ないことも酷いことも、いろいろだよぉ」
マリアベルはまた前を向いて、歩き出す。長い金髪が、獣のしっぽのように揺れている。不思議な迷宮の中に生きる、特別な獣みたいに見えなくも、無い。謳う様にマリアベルは言う。
「魔法使いは、良いことも、悪いことも、どっちでもないことも、いろいろ、するの。たったひとつの、約束のために」
ガラン。
鈴がまた鳴らされた。
「……あぁ」
ローゼリットが小さく声を上げる。「あっ」「やった」とマリアベルもハーヴェイも声を弾ませる。アランがゆるゆると顔を上げた。
「……階段?」
暗い迷宮の中で、3階へ続く下り階段がぽっかりと口を開けていた。階段の中に明かりが灯されているわけでもないのに、入口はほんのりと明るい。冒険者を慰めるみたいに。あるいは誘い込むみたいに。どっちでも良いか。
「良かった……!」
ローゼリットがマリアベルの手を引いて、階段まで走っていく。にゅにゅーい、とマリアベルも笑って弾むようについていく。置いて行かれたハーヴェイが、「まってー」と情けない声を上げた。
3階に降りると、ローゼリットが『癒しの手』をアランとハーヴェイに使った。それから、少しだけ休むことにする。グレイとマリアベルは起きてたけど。マリアベルに「寝れば?」と勧めてみたけど、「グレイこそ」と首を振られる。それじゃあってことで、2人で起きていた。階段の近くに、ハーヴェイ、ローゼリット、アランの順に並んで横になっている。3人を守る様に、道側にマリアベルと並んで座る。
「……マリアベル」
「なぁに?」
眠っている3人に気を使ってか、それとも疲れているからか、こてん、とグレイの肩に頭をのせて来る。黒い三角帽子の鍔がグレイの頬に刺さった。
「けっこう固いのな、これ」
「あ、ごめんね」
マリアベルは頭の位置を戻す――のではなく、帽子を外して膝に乗せた。もう3日も迷宮にいるくせに、何故だか甘い果物みたいな、お菓子みたいな香りがした。何だろうな、この不思議な生き物は。
「……にゅい?」
「いや、違う。違うんだ」
「何が?」
「ほんとそうじゃなくて……」
「にゅーん……?」
さすがに疲れているのか、いつもの勘が鈍ってるみたいだった。マリアベルはじぃっとグレイを見つめて来る。
「そしたら何が正しいの?」
いやに哲学的な調子で尋ねられるけど、そんなに大層な事を言いたかったわけでもない。
「つまり、あれだ……さっきの話の、アイザック師以外に、有名な魔法使いってどんな人がいるの? って、雑談が、したかったんだ……」
マリアベルはぱちぱちと2回まばたきをした。それから、そうだねぇ、と古い御伽噺を読み上げるみたいな調子で話し出す。