3-18
ギルド“ゾディア”が影のように消えてしまっても、マリアベルはじっと黙って階段を見つめていた。
何でだかは分からない。でも、マリアベルの金髪がきらきら光っていて、“ゾディア”との遭遇に興奮気味だったグレイ達も、ミーミル衛兵たちも、誰もマリアベルに声を掛けられなかった。
雷精霊は、喜んでいるのか、怒っているのか。マリアベルは、機嫌が良いのか、悪いのか、さっぱり分からない。
迷宮はゆっくりと暗くなっていく。日中に陽の光を蓄えた苔や、小さな虫が輝き出す。迷宮は、いつでもある程度の明るさを保っている。もちろん、夜間の探索ではランプを使うけど。
辺りが暗くなると、マリアベルの髪の煌めきがますます目立つ。良くも、悪くも、やはりマリアベルはただの人ではなくて、魔法使いなのだ。だからどうだと言われると、困るけど。
「……マリアベル」
グレイが髪の一房を引っぱると、にゅ? とマリアベルはこちらを見上げて来る。
「なぁに?」
「なぁにじゃない。ずっと立ってて」
「そうだった?」
「そう。もう暗くなって来てる」
マリアベルは2回まばたきをして、ぐるっと辺りを見回した。びっくりしたみたいだった。
「ほんとだ。暗い。でも綺麗」
魔法使いの杖を地面に突き立てて、杖を支点にしてくるっと回る。マリアベルの長い髪が、金色の円を描く。黒いローブの上に戻った時には、金色の輝きは掻き消えていた。
「さて、どうしようか。帰る? 今ならね、きっとカマキリも居なくなって、安全だと思うんだよねぇ」
「確かに」あの人達ならやるだろう。いや、もうやってミーミルに帰ってるんじゃなかろうか。さすがに早いか。グレイはアラン達を振り返った。「帰る?」
「もしくは、今のうちにお花探しておくのも良いんじゃない? カマキリ居ないとか、相当貴重だよね」
ハーヴェイは言うけど、「暗いからな」とアランは渋い顔をした。
「どちらにしても」ローゼリットはマリアベルの肩に手を乗せた。「4階に降りましょうか」
「そうだね。忘れ物、無いかな?」
マリアベルは一同を見回した。グレイもアランも盾持ってないし、ハーヴェイも「あれ、荷物……?」とか駄目そうな感じだ。天幕に戻ってごそごそやっていたら、辺りは完全に暗くなってしまったから、ランプを2つ点け――ようとしたところで、隊長さんが寄って来た。
「魔法使いと仲間たち。本当に夜の4階を歩くつもりか。君達は今日5階に来たばかりで、まだ4階を歩き慣れていないように見えるが」
何かすごい普通の事を言われて、グレイ達は顔を見合わせた。確かに。
「えーと、それは、おっしゃる通りなんですけど」
ハーヴェイが頭を掻いて答えると、更に冷ややかに彼は続ける。
「“ゾディア”に気に入られて浮かれているのかもしれないが、所詮君達は新人だろう。少し冷静になれ。カマキリがいないことを差し引いても、暗い所から突然ダチョウや花に襲われて、本当に大丈夫か?」
「お花?」
マリアベルが聞き返す。グレイの聞き間違いかと思ったら、あってたらしい。何だろ、花って。まぁ、南瓜が襲って来るんだから花が襲って来る事もあるか。
「いや、失言だった。とにかく、少し落ち着いた方が良いだろうという年寄りからの助言だ。この天幕は、まだ使っていて構わないからな」
それだけ言うと、踵を返してまた駐屯地の入口に戻って行く。ずーっと立ってるんだろうか。大変だな。いやでも、ミーミル衛兵だって6人もいるんだから、交替くらいするか。
何かこう、そう言われてみると浮かれてたかもしれない。それってどうなんだ。
「……どうする?」
「言われてみりゃ」アランが燐寸を箱に戻した。「その通りだよな」
「まだ天幕使っていいって言うなら、そうしようか。僕達、帰り道もよく分かってないわけだし」
「そうだった。道、微妙なんだよな」
「うん。暗いと細い道は見落とすかもしれないし、やっぱり朝までここに居させてもらった方が良いんじゃないかな。どうだろ?」
普段なら安全策を取りたがるローゼリットが何も言わないので、伺いを立てるようにハーヴェイが尋ねる。ローゼリットは少し悲しそうな顔をして、マリアベルを見つめている。
「……それでも良い?」
「いいよぉ? 何で?」
マリアベルはあっさり答えると、「それじゃあ、もう少し寝たいなぁ」と天幕に戻って行く。何か気を紛らわすみたいに、小さく歌まで歌っていた。
天幕の中の方が暗いから、中に入ってまた横になると落っこちるみたいにすとんと眠れた。アランに突っつかれて起こされると、もうすぐ夜が明けそうな時間だ。アランこそ、今日ほとんど寝て無くて大丈夫なのかな。
天幕の入口でぼんやりしていると、ミーミル衛兵が何か話している。駐屯地にいる人達が交代するようだ。あぁ、あの隊長さんにお礼言った方が良かったかな。真っ当な事言ってくれてありがとうございましたって。でももう交代して何処かに出かけてしまったみたいだし、ダメか。
そういえば、マリアベルはハーティアから何を貰ったんだろう。15階から帰って来た人から貰ったお土産って、つまり凄い高価なモンなんじゃないか。大丈夫かな。マリアベルは言動より? いや、言動通りしっかりしてるから、大丈夫か。
陽が昇り出したのか、天幕の中もうっすら明るくなってくる。別にハーヴェイ的な理由じゃないけど、ぼんやりマリアベルを見つめていると、寝たままマリアベルが目元を拭った。あれ……。泣いて、る?
いや気のせいかもしんないし。マリアベルは、今度は荷物を背中から下ろして横向きに丸くなって寝ている。グレイの方に頭のてっぺんを向けているし……と思ったら、くすん、と鼻をすする様な音まで聞こえてしまって、起こした方が良いのか、気が付かないふりをした方が良いのか、ど、どうしたらってなっていたら本人がむくっと起き上った。
帽子、はもちろん被っていない。自分がどこにいるのか分かっていないのか、不安そうに辺りを見回して、起きてるグレイの方を見て「……おはよー」と小さく言って来た。
「おはよ」
グレイも挨拶を返すけど、マリアベルは猫が顔を洗うみたいにごしごし目元を擦っている。何だろ。こういう時って何が正解なんだ。ローズマリーさんならどうするだろ。師匠のチョイスが悪いか。
そんな事を考えていると、ハーヴェイ達も起き出したので最後の食料をもそっと食べて出発することになる。天幕を出ると、迷宮は今日も晴天だ。無駄に爽やかな朝の空気の中で、ハーヴェイがマリアベルを見てあれっと声を上げた。
「マリアベル、目、赤いよ。眠れなかった?」
お前やるな。このハーヴェイのハーヴェイ感。っていうかハーヴェイの観察眼ってローゼリット限定じゃないのな。じゃっかんグレイが動揺していると、マリアベルは事もなげに言った。
「ううん。よく眠れたよ。でも明け方ちょっと悲しくなって泣いちゃったから。うるさかったらごめんね」
「え」
これはさすがのハーヴェイも絶句した。アランは最初っから最後まで手も足も出ないようで、マリアベルに両手の掌を向けている。何それ。気でも送ってるんだろか。
「魔法、使えます?」
ローゼリットがわざと事務的なことを聞くと、マリアベルはにっこり笑う。
「うん、平気。むしろ雷精霊ちゃんはご機嫌ですよ。それじゃ、行こうか」
階段を杖で示すと、すたすた歩いて行ってしまう。
うーん。何だろ。こう、この感じ。まぁ、ぐすぐす泣きながらよく分からん理由を聞かされて同意を求められても困るんだけど。
「天幕、ありがとうございましたー」
マリアベルはミーミル衛兵に声を掛けて歩いて行こうとして、おやっ、と言う感じで立ち止まった。
「この前の、衛兵さん?」