3-07
「どした?」
「段数考えないようにしてたらもう着いた……」
「あぁ」すぐ後ろのアランが苦笑する。「相変わらず、よく分かんねー階段だよな」
「急に着くからね。あ、ちょっと外見て来るから、待ってて」
この階段の中に、冒険者以外の生き物は入って来ない。今のところ。
いつぞやは、ここ出た途端にミノタウロスと遭遇したんだよなぁ、とか思い出す。
2階と3階を繋ぐ階段は2つある。縁起の良し悪しと言うより、こちらの階段を使った方が近いからミノタウロスと暴れた広間に繋がる階段の方をよく使う。この階段を降りた先は、かなりの広さの部屋になっていて見通しが良い。
時々、部屋の端の方に跳ね兎が2、3匹丸まっていたり、小さな黄色っぽい花の近くに青い蝶がふわふわ飛んでいるのが見えたりする。見えても、距離のお陰で戦闘にはならない。
跳ね兎は襲い掛かってきたりするけど、最近それなりに凶悪な威力になって来たマリアベルの『火炎球』をぶつけられると大人しく逃げて行く。こういう所は、動物だなぁって感じだ。
だから、ハーヴェイの偵察って言っても一応見ておこうかなって程度の気分だったわけだが。
「……」
ハーヴェイは階段から顔を出して辺りを見回して、そのまま回れ右した。
「ハーヴェイ?」
「……女神さまのテンションがおかしい」
「何がだ?」
「牧場みたいになってるんだけど」
「何だそれ」
怪訝そうにアランが、その後ろにくっついて、なになにー? とマリアベルも階段の外の広間を眺める。息を吸おうとして失敗したみたいな、アランの変な声が聞こえた。
「ちょっ……」
「にゅあー……」
さすがのマリアベルも呻いて、アランの腕を掴む。良かった。マリアベルが、行こう、とか言い出さなくて本当に良かった。
昨日の昼間はこんなではなかった筈なのだが、今は広間の中に5、6匹の暴れ大牛が草を食んだり、暴れ大牛同士でじゃれ合ったりしていた。一見牧歌的な光景だけど、あの牛襲って来るからね。普通の牛と違って、異様に大きい角生えてるし。あんなんで突き刺されたら死んじゃうし。軽装のハーヴェイとか、マリアベルのような後衛は特に。
「これは……別の階段に回るか」
「そだねぇ。これはちょっと無理かなぁ……」
アランとマリアベルが頷き合う。2人と場所を入れ替わる形で、一応、外を見たグレイとローゼリットも首を振った。
「これは無理だ」
「ここを通るのは、やめましょうか……」
女神さまも、人間が結構やることに気付いてちょっと楽しくなったのか、何なのか。
まぁ仕方ない。今度はグレイを先頭にして階段を登って行く。
2階と3階を繋ぐ階段は2つあるから、今度は別の階段を使う。そっちも死ぬほど牛がたむろしてたわけじゃないけど、広間だけじゃなくて、2階のあちこちに普段の倍以上の牛がいた。ハーヴェイ達だけでは、ちょっと勝てそうにないから散々逃げたり迂回したりで酷い目に合った。
「か、階段……!」
ようやく1階へ階段が見えた時には、ローゼリットもマリアベルもよろよろしていた。良かったね、良かったですね、と言い合って歩く姿は2人ともほんと可愛い。
「もうね。帰ったら、絶対ミルク飲むの。もう、すっごい飲むの」
どういう復讐の仕方なのか、分かる様な分からない様な事を言いながら、マリアベルは額の汗を手で拭った。走り回った所為と、ミーミルの季節がゆっくりと夏に近づいていることの両方だろう。
「俺も肉食うわ。牛肉」
「ね。食べよう。むしろ全員で食べるべき!」
グレイの同意も得られて、嬉しそうにマリアベルが拳を振り上げる。アランも頷いた。
「穴熊亭に直接行くかー」
「そうしようそうしようと言いました。にゅふふ」
マリアベルが弾みそうになりながら歩く。可愛いなー。ハーヴェイが振り返ると、魔法使いの帽子がちょっと傾いでいた。どうしたの? とかハーヴェイが尋ねる間も無く、前を向いていたグレイが呟くように言った。
「冒険者だ」
「え? あ、ほんとだ」
やっぱり女神さまの調子が普段と違うのか、珍しく階段を登って来る冒険者パーティとすれ違う。全然知らない人達だし、別にお互い何かをするわけでもないけど。どう見てもハーヴェイ達の方がパーティメンバーが若いから、何となく道の端っこに寄る。
全員トラヴィス位の年齢だろう。ハーヴェイ達よりずっと良い装備だし、何か歩き方だけで偉そうな感じだ。何処かのギルドのメンバーなのか、誰も彼も腰のベルトとか、武器の鞘とか、あと、全然役に立たなそうだけど腕とか、に銅色の鎖を巻き付けている。
ハーヴェイがあんまり好意的に見なかったからそう見えるのか、やけに向こうの男性陣がローゼリットやマリアベルのことを不躾に眺めて来て、何かやだなぁ、とか思ってしまう。狩人っぽい女性と、暗黒騎士っぽい女性は、逆に凄い冷ややかな目をしていた。遊びに来てんじゃないわよ、みたいな感じ。何かなぁ。
マリアベルなりの処世術なのか、魔法使いの少女はにゅいにゅいと小さく歌って歩いて行く。あなた達の事なんて全然気にしてませんよって顔だ。ローゼリットはちょっと居心地が悪そうな顔をしてすれ違う。
そのまま階段を降りて、ぱっと見回したところ誰も居ない1階に着くと、ハーヴェイは溜息を吐いてしまった。そしたら被った。グレイだった。
「……何かな。さっきの人達」
気まずそうに頬を掻いてグレイがごちる。ハーヴェイは逆にほっとして、うんうんと頷いた。
「何かヤな感じだったよね」
「な」
言い合っていると、降りて来たローゼリットが錫杖で地面を叩いた。
「2人とも、そのような事を言うものではないですよ」
「それは……」
「そうなんだけど……」
グレイとハーヴェイが、全くの正論に対して口籠ると、アランがぽこんとローゼリットの頭をはたく。
「お前は人を見る目が無さすぎる」
「む、むぅ……?」
言い返せないローゼリットの代わりに、マリアベルがアランの足を思いっきり踏ん付けた。
「アーラン。ローゼリットのこと、いじめちゃダメよぅ」
「苛めてはいない。むしろ今、俺が苛められてる」
真顔で踏ん付けられている足を見下ろして、アラン。マリアベルは更に踵でアランの頑丈な長靴をぐりぐり踏みつける。
「ローゼリットは見る目が無いって言うなら、見る目があるアランとかあたしが気を付ければいーのです」
「……そこに異論は無いのな」
何処に、とは言わなかったけど、きっぱりはっきり言ったマリアベルに、グレイが突っ込む。マリアベルは答えずに、ただチェシャ猫みたいに笑ってアランの上から足をどかした。
「さて、帰ろうか」
「むー……」
ローゼリットは釈然としない顔をしているけど、ふわふわ笑ったマリアベルに「ローゼリット、早く帰ろうよー」と手を差し伸べられたらどうでも良くなったみたいだ。
「帰りましょうか」
女神さまが何を始めるか読めないから、ローゼリット達の息が上がらないぎりぎりの速さで、出来るだけ急ぐ。
少しずつ陽が暮れて行く。迷宮の中にしか生息しない苔とか花が、ほんのりと光りはじめる。ハーヴェイには詩的な表現は出来ないけど、凄く不思議で綺麗だ。そういえば、と思ってマリアベルを振り返る。
「どしたの?」
にこにこ笑ってマリアベルが訊いて来る。長い金髪は、光り輝きそうなくらい綺麗だけど、いつぞやのように本当に光ってはいない。
「ううん。何でも」
あれはきっと特別な時だけなんだろう。うん。
そう思って、ハーヴェイは前を見る。迷宮の動物はいない。
少しずつ季節が変わって行く。迷宮の地図は、広がって行く。
遠くで何かが起きた。
きっと、ミーミルの街も変わるだろう。