3-05
そんな騒動の後に、酒場の主人に摘まみ出されるみたいに外に放り出された“ゾディア”と、やっぱり一緒に放り出された“カサブランカ”を見送って――いや、見送りかけて、ただ、何でだか“ゾディア”と“カサブランカ”の間に突っ立っていた新人5人のパーティは目立ち過ぎたから、グレイ達も何となく酒場を後にした。大体食事は食べ終わってたし、会計は先払いだし、特に問題無い。あえて言うなら、依頼を見逃したくらいだ。
酒場を出るなり“ゾディア”は相変わらず影の様に消えてしまったし、“カサブランカ”の面々はグレイ達が向かう宿屋街とは逆の方向に歩いて行ったから、何だか今では酒場の事が夢の中の出来事だったようだ。ミーミルでも最強の冒険者達に囲まれていたなんて。
「15階の地図が持ち帰られたら――ミーミルの街の空気も、少し変わるかもしれませんね」
「かもな。半年……いや、もう1年近く、地図の更新は止まってたはずだ」
ローゼリットとアランは、何となくミーミルの街並みを見回して呟くように言い合っている。お互い独り言のようだ。何か気掛かりなことがあるかのように。
ミーミルの街は、グレイから見れば今もなお広がり続ける活気のある街に見えるが、これでも今はある種の停滞期らしい。理由は単純。迷宮の探索が、進んでいないからだ。3大ギルドは14階で足を止め続け、その他のギルドは10階を越える事すら難しいという。嘘か真か――10階には魔物が住む、と。
そのため、新しい植物や、動物の素材、鉱石は得られず、少しずつすこしずつ、ミーミルの街は穏やかになって行った。まるで冒険者の限界に、女神が愛想を尽かせてしまったように。こんなものかと溜息を吐いて、新しいモノに蓋をしてしまったように。
「じゅ、う、よ、ん、かーい」
マリアベルは人の気を知ってか知らずにか、踊るみたいに弾みながら歩いて行く。ぴょこぴょこと弾む度に、新調したばっかりの黒い三角帽子が頭から落っこちそうになる。のに、落ちない。魔法使いの不思議だ。とグレイは思う。
「そ、の、さきにー、じゅう、ご、かーい」
両足を揃えて飛び上がって、ぽてん、と音を立てて着地したマリアベルはそのまま足を止めた。
「どしたの、マリア、ベ、ル……?」
ハーヴェイが近寄ってマリアベルの顔を覗き込もうとして、慌ててマリアベルの肩を抱き締めるように掴んで回れ右した。ハーヴェイのその顔がやけに必死っぽくて、街の中だっていうのにグレイとアランは思わず剣の柄に手を掛ける。でも、マリアベルは相変わらずほにゃっとした顔で笑っていた。
「逃げる事はないだろう」
足音も無く。
建物の間の、細い路地から長い足を延ばして出て来たのは、先ほどの“カサブランカ”のギルドマスターだった。メンバーは解散したみたいだけど、サブリーダーっぽい戦士の男だけ連れている。男の顔を正面から見ると、視線が冷たい――何ていうか、あんまり冒険者っぽくない、感じがした。実際のミーミルの官吏はけっこう親切だけど、イメージとしては官吏っぽい。冷たくて、切れ者っぽい男だ。
「えー、あー、はは……」
マリアベルの肩を抱いたまま、ハーヴェイが困ったように笑う。グレイとアランも顔を見合わせて、そっと剣から手を放した。いくらこっちが5人で向こうが2人だろうが、ミノタウロスを瞬殺した“ゾディア”と並ぶギルドのギルドマスターと、サブリーダーと、斬った張ったする気はない。全然無い。
「“カサブランカ”のギルドマスターが、私達に何か御用でしょうか?」
怯えるでもなく、媚びるでもなく。まさに凛とした、と評するのが相応しい態度でローゼリットが問いかける。
ローゼリットを上から下まで眺めて、ふむ、と頷いてから“カサブランカ”のギルドマスターは言った。
「アタシはジョーゼット。僧侶のお嬢ちゃん。アンタがパーティのリーダーかい?」
「え? ええと……」
リーダー。
そういえば、誰かしら? と言いたそうな表情で、ローゼリットはマリアベルとハーヴェイの方を振り返る。マリアベルはほにゃほにゃ笑ったままで答えた。
「そうだよぉ。ローゼリットが、あたしたちのリーダー」
マリアベルはそう言うと、するり、とハーヴェイの腕の中から抜け出て、ローゼリットの横に並んだ。
「でもまぁ、大事なことはみんなで相談するけどね。それでジョーゼットさん、あたし達に何か御用?」
「さっきの魔法使い」
ローゼリットの時とは違い、ジョーゼットは嫌そうに顔を顰めて、鼻で嘲笑った。
「迷宮を、踏破するだって?」
「にゅうん。するつもりですよ」
「身の程をお知り」
ほにゃほにゃしたマリアベルに対して、ジョーゼットの視線がきつくなる。ローゼリットがさっとマリアベルの頭を抱き寄せた。
「ご迷惑を」
ふわふわのマリアベルの髪を撫でて、ローゼリットは微笑んだ。
「お掛けした覚えはありませんし、これからお掛けするつもりもありませんが」
ジョーゼットより、サブリーダーっぽい男の方が表情に出た。おや、話が違うな、みたいな怪訝そうな表情。何だい、とジョーゼットもぼやいた。
「どこぞのお姫様かと思えば、アンタも冒険者か」
「え――えぇ、それは、もちろん」
ローゼリットはこくこくっと頷いた。ちょっと慌ててるみたいだ。ローゼリットは照れてるんだろうけど、グレイにはジョーゼットの言いたい事も分かった。ローゼリットは綺麗で儚げで――まぁ、童話に出て来るお姫様みたいに見える。それ以上に、ローゼリットは間違いなく、グレイ達の頼れる仲間で冒険者だけど。
「ふむ。ま、冒険者ならなおさら都合が良い。アンタ達5人、ギルド“カサブランカ”に入るつもりはないかい?」
「ごめんなさい」
え、とか驚く間もなく、マリアベルは即答した。まだジョーゼットの口元は、かい? の形で固まっている。あぁこれが即答ってヤツかとグレイがしみじみ納得してしまうくらい、即答だった。
「にゅん。御用ってそれだけですか? そしたらあたし、失礼しますね」
ジョーゼット達どころか、ハーヴェイもアランもローゼリットも驚いた顔でマリアベルを見つめていたけど、グレイもジョーゼットに軽く頭を下げる。
「えぇと、そういう事なんで、失礼します」
マリアベルはチェシャ猫みたいに笑って歩き出す。物凄く機嫌がいい時の常で、鼻歌まで歌っていた。マリアベルの半歩位後ろを歩きながら、アラン達はどうだろうな、とか思わなくも無い。ジョーゼット達の横を通る時、サブリーダーらしき男が低い声で言った。
「仲間を無駄に死なせるつもりか、魔法使い」
マリアベルは一応足を止める。この場にいる魔法使いはマリアベル1人だ。でも鼻歌は止めない。愉快そうにチェシャ猫の顔のままで小さく歌っている。グレイの知らない歌だけれど、マリアベルが良く歌っているから何となくメロディーを覚えてしまった。明るくて弾むような曲調なのに、どこか物悲しい。
“カサブランカ”のサブリーダーらしき男は、マリアベルを――と言うより、グレイ達を憐れむように見下ろしていた。
「お前たちのような新人が5人集まって、本気で迷宮の上層部に挑むつもりか。あの“ゾディア”でさえ、あまり知られてはいないが、数人仲間を喪っているのだぞ」
ようやく鼻歌を止めてマリアベルは口を開いた。
「女神さまは、6人以下で上を目指しなさいって」
魔法使いの少女はちょっと背伸びをして、街のどこからでも見える緑の大樹を指差す。昇りかけの半月の月明かりに照らされた緑の大樹は、全貌が良く見えない。分かるのなんて、むやみやたらと巨大な事だけだ。
幹は太いし、一番上がどうなってるかなんて、昼間でもミーミルの街は緑の大樹に近すぎるから見えない。中に多くの動物が住み、多くの冒険者が命を落とし、それでも、緑の大樹は優しくこのミーミルの街を抱いていた。
「どんな凄いギルドに入ったって、迷宮の中で頼れるのは傍にいてくれる仲間だけですよ。それなのに、あたしには銀の刺繍も金の刺繍も重すぎます。何より――」
ひょいっ、とマリアベルは魔法使いの杖を掲げて“カサブランカ”の2人に赤い鉱石を向けた。後ろから見ていて、その事に気付いたハーヴェイとローゼリットが息を呑む。2回目のアランは、ちょっと目を擦っただけだった。
機嫌が良い、わけではないだろう。でも、マリアベルの長い金髪が、ほんのりと光っていた。
精霊が小さな魔法使いの背中を守っているように。
あるいは、人間達の無礼に腹を立てたように。
「魔法使いは、魔法使いの、つまり、精霊たちの願いを鼻で笑う人と一緒に歩くことは絶対に出来ないんですよぉ」
今日まで何度も迷宮の中で死線を潜り抜けて来た筈の冒険者達が、ほんの少し上体を逸らせた。
グレイ達からは、マリアベルがどんな顔をしているのか分からない。一生分からないかもな、と良くも悪くも諦める。何故ならグレイは知っているから。マリアベルは魔法使いだ。精霊たちの望む方へ、駆けて行くことしか出来ない生き物だと、知っているから。
だから、マリアベルをこんな風に怒らせる筈が無い。
マリアベルを、こんな風に傷付けたりは、しない。
「……帰ろう、マリアベル」
グレイが真っ黒なローブの袖を引っ張ると、マリアベルはいつものチェシャ猫の顔に戻っていた。
「そうだねぇ。帰ろっか」
そのまま、ぽてぽてと歩き出す。後光のように輝いていた髪も、いつの間にか普通の金髪に戻っていた。ちょっと摘まんでみると、やっぱりふわふわしたマリアベルの髪だった。ジョーゼットは昔のつまらない失敗を思い出したように呟く。
「……ふん。あのしゃらくさい“ゾディア”の魔法使いと同じことを言うもんだ」
「きっとハーティアも怒ったでしょうね」
マリアベルは振り返りもせずに続けた。
「あたし達はこういう風にしか生きられないのに。こういう風にしか生きて行くつもりがないのに。どうして自分達が出来ないからって、自分達がやったことが無いからって、自分達が見たことが無いからって、あたし達に向かって無理に決まってるって指を突き付けるの?」
ほんの少し、語尾が震えていた。大丈夫だから。と伝えたくて、マリアベルのローブではなくて掌を掴む。小走りで追いかけて来たローゼリットが、魔法使いの杖を持っている腕にしがみついた。小さな声で、囁く。
「マリアベル、帰りましょう」
ん、とマリアベルが頷いた。アランとハーヴェイが、「失礼します」とか「すいません」とか言ってやっぱり追いかけて来る。
結局名前も分からない“カサブランカ”の男が、低い声で呻いた言葉がやけに耳に残った。
「――哀れなものだ。魔法使いに呪われたか」