3-04
甲高い金属音が響き渡り、どうやら誰かは迎撃して命拾いしたらしいと冒険者達の半分くらいは理解する。マリアベルやローゼリットはきょとんとしている。
「え、あの? どうなさったのですか?」
困惑しきった声でローゼリットはアレンに尋ね、アレンはというと慣れた調子で答えた。
「いつもの事だ。気にするな」
「いや、気にするなって言われても……」
言いながら、アランは立ち上がっている。気になってというより、どっちかっていうと、にゅーん? とか変な声を上げながらふわふわ騒ぎの方に向かっているマリアベルの襟首を掴むためだろう。ハーヴェイもローゼリットも慌てて立ち上がっている。
「マリアベル、待って待って! あ、これどうしよう?」
ハーヴェイがこれ、と指差したのは卓の上に置かれたミノタウロス討伐の報酬だ。3等分とはいえ、結構な大金だから置いとく訳にもいかないだろう。とはいえ、ローゼリットに預けるのもじゃっかん心配だ。
「とりあえず、ハーヴェイ持っててくれるか?」
「あ、うん。じゃあとりあえず……」
ハーヴェイはこわごわと革袋を持ち上げて、重っ、とか小さく呟いている。うーん。何だあれ怖い。
「ちなみに中身、銀貨だからな。気を付けろよ」
さらりと言って、アレンはグレイ達を追い越してローズマリーの方へ向かっていく。「銅貨じゃないんだ……」「まじか……」ハーヴェイとグレイが呆然としていると、ローゼリットに背中を押された。
「2人とも、しっかりしてください」
「はい……」
「頑張ります……」
どう頑張ればいいかはよく分かんないけど、頷いたハーヴェイを見習ってグレイも答える。大文夫かしらこの2人、みたいな顔をしてからローゼリットはマリアベルに駆け寄った。
酒場での冒険者同士の諍いって、ありがちの気がするけどグレイ達は初めて見る。ミーミルは素性の知れない冒険者を受け入れ続けた街の割に、かなり治安が良い。街中に衛兵も多いし、今ものっそりと酒場の主人が立ち上がって、ローズマリーとアレンの背中を怒鳴りつけている。
「おい小僧! いい加減そのお転婆娘を出禁にするぞ!」
「すいません、回収します!」
どうも長年この仕事をやっている主人からしたら、3大ギルドのメンバーも小僧にお転婆娘で括られるらしい。恐ろしい話だ。
「絡んできているのは向こうです!」
抜剣したまま、ローズマリーが抗議の声を上げる。向こう、と長剣で示す先には、ローズマリーを迎撃したらしい戦士の男と、妙に派手な格好の冒険者の女が立っていた。それから、彼等のパーティメンバー――っていうか、ギルドメンバー? とにかく妙にたくさんいる。全員、職業に関わりなく白いマントを身に着けていて、マントには金色の糸で百合の意匠が刺繍されていた。
「ギルド“カサブランカ”か……?」
マリアベルを回収したアランが、グレイ達の所に戻ってきて誰にという訳でもなく尋ねる。アランに、猫みたいに後ろ襟首を掴まれたマリアベルが呑気な声で答えた。
「みたいだねぇ。仲悪いのかな?」
「悪いな。まぁ、俺達の方に原因はあるんだが……」
歯切れ悪くアレンは言って、「ローズ、引き上げるぞ!」と戦乙女を呼んだ。
「帰れるはずがないでしょう!」
わずかに貌を紅くして、ローズマリーが答えた。一番派手な女の後ろ、他の“カサブランカ”のメンバーに取り囲まれるようにして、黒いケープを身に着けた女性が立っている。
「少なくともマリーを返して貰わなくては」
当のギルド“ゾディア”の僧侶――マリゴールドは、マリアベル達に気付いたのか優雅に微笑んで手を振ってきた。余裕だ。超小さい声なのに、何故かざわつく洒場の中に響き渡る、そんな不可思議な声で彼女は言った。
「お久しぶりね、小さな魔法使いとそのお仲間たち」
ギルド“カサブランカ”の面々が、不意に殺気立つ。筆頭は一番派手な女だ。多分、ギルド“カサブランカ”のギルドマスターだろう。そんな周囲の様子を意に介さず、あくまで優雅にマリゴールドは微笑んだまま続けた。
「久しぶりにミーミルに戻ったら“カサブランカ”の派手な年増女に絡まれたの。とっても困っているの」
年増女て。お姉さん。
酒場の気温が体感で3度くらい下がった。気がした。グレイはアレンを見上げた。アランもハーヴェイもローゼリットもそれに倣う。アレンは新米冒険者の視線に耐えられないように酒場の天井を仰いだ。
「……原因っすか」
代表みたいにグレイが尋ねると、呻くようにアレンは笞えた。
「分かりやすいだろう」
「とはいえ、か弱い僧侶を取り囲むとは何事ですか。とりあえず全員斬り捨てようと思います。いい機会ですし、暇なので」
ローズマリーはローズマリーでかなり原因っぽい発言をしている。アランがローズマリーを見て「……これも原因ですか」と訊いた。
「原因だ。“カサブランカ”相手に3回無駄に暴れた前科がある……全く、姉妹揃って何であんな喧嘩っ早いんだ」
がりがりと頭を掻きながら、アレンはローズマリーに掌を向けて制し、“カサブランカ”のギルドマスターらしき派手女に向かって立つ。マリゴールドは“年増女”と身も蓋もないことを言ったけど、そんなに年がいってる感じもしない。“ゾディア”の3人よりは年上なのは事実だろうが。
長い栗色の髪をきつく巻いていて、妙に宝石がじゃらじゃらついてる短剣や防具を身に着けている。派手な感じは、確かにする。戦士ではないだろうし、盗賊だろうか?
「まあ久しいこと、アレン」
「年増が慣れ慣れしいの」
何とか笑みらしきものを浮かべて応じた派手女を、後方からマリゴールドが刺殺した。あんた僧侶じゃなくて盗賊だったんですかとか言いたくなる。ギルド“カサブランカ”のメンバーのうち、何人かは剣の柄に手を掛けた。ローズマリーが剣先を上げかけたのを見て、すぐに手を放したが。
「マリー、いいから黙ってろ」
「……はぁい」
アレンに諌められて、かなり不満そうではあったがマリゴールドが頷く。口を開ざして、そしてすぐに気が変わったのか、口は開いていないから良いかと思ったのか、手近に居た戦士の男を錫杖で殴り倒した。“カサブランカ”の誰かが動く前にするりと包囲を抜けて見せる。サプリーダーっぽい戦士の男は動いたが、ローズマリーに阻まれた。
「うふふ、飽きちゃった」
あっというまにアレンの影に隠れて、小首を傾げて可愛らしく笑う。割と魔女っぽい。マリアベルは何かに気付いたように、じぃっとマリゴールドの青い瞳を見つめていた。
「お姉さん……」
内緒よ、とマリゴールドは人差し指を立てて唇に当てた。
「黙っていてくれるなら、すこぉしお手伝いをしてあげる。可愛いマリアベル。小さな魔法使い」
「にゅぅん? 何を?」
「迷宮を、踏破するのでしょう?」
「うん、するよぉ」
マリアベルに迷いは無い。間こえていたのか、“カサブランカ”のギルドマスターが鼻白む。
「迷宮を、踏破だって?」
「うふふ、年増が僻んでいるの。可愛いから。若いから。うふふ、時の流れってとっても残酷」
いや、一番残酷なのはあんたですけど――もはや完全に内心あんた呼ばわりでグレイは思う。
残酷で、そして誰よりも美しい僧侶の娘は“カサブランカ”の面々に向き直った。それから、穴熊亭の中の冒険者を見回して、口を開く。聖書の中の告死天使のように。何かの滅びを告げるように。何かの変化を命じるように。
「時の流れってとっても残酷。飽きちゃったの。もう、とっても飽きたのよ。貴方達に付き合って、14階で足踏みするのはうんざりなのだわ」
おい……とアレンが低い声で唸った。ローズマリーが、ふぅん? と愉快そうに目を細める。酒場の中がざわつく。何だかとんでもない場面に居合わせてしまった気がして、グレイは思わずマリアベルの肩に手を載せた。グレイ達の魔法使いは、大丈夫だよぉ、とチェシャ猫の顔で微笑む。
たん、とマリゴールドが錫杖で床を突いた。やめろ、と言わんばかりに”カサブランカ”のサプリーダーっぽい男が手を上げかける。皮肉なことに、その仕草こそがマリゴールドの言葉に真実味を与えていた。
「確かに数年前、わたくし達の吟遊詩人が、貴方達のギルドから戦士を1人連れ去ってしまったの。それは本当。彼はとっても有望だったから、貴方達に迷惑をかけたかもしれないわね。でも、それはわたくし達の吟遊詩人が美しくて優しかったから。そうでしょう?」
「昔の話を持ち出して、アタシ等に因縁をつけてくるつもりかい、マリゴールド」
「因縁。うふふ。それを貴方達が言うのは楽しいの。とってもおかしなことなのだわ。その件で、因縁をつけてきたのは誰だというの?」
女性冒険者2人の視線の間で、火花が弾けた様な気がした。間抜けな男が間に立ちでもしたら、身体に穴が開くだろう。
「マリー」
それでも流石にリーダーと言うか、或いは単なる慣れなのか。マリゴールドを庇う様に――同時に“カサブランカ”から距離を取らせるように、アレンが前に出た。
「アレン、その小娘を黙らせて頂戴。全く、おかしな因縁をつけてくるのではないよ」
顔を顰めて“カサブランカ”のリーダーは告げる。聖女は聖騎士の背中で笑った。
「おかしな因縁。うふふ、それが存在しないというのなら、そうね。わたくし達が15階の地図を持ち帰っても、誰からも文句は出ないというのね」
それはまるで最後通知のようだった。それも一方的で唐突な。
“カサブランカ”の面々の顔に、驚愕と疑惑が浮かぶ。
現在ミーミルで14階まで到達しているのは、ここにいるギルド“ゾディア”と“カサブランカ”、そして“桜花隊”のみだ。だから、14階がどうなっているかなんて、ほとんどの冒険者には分からない。
それでも、15階なんてまさか、と、話が違う、が同時に“カサブランカ”の百合の刺繍を揺らす。いくつもいくつもの金色の百合が怯えるように、怒りに震えるように。
全ての花を散らせる雪の女王のように、淡く輝くような銀髪の娘は謳った。
「出ないというのね」
「……当たり前だろう。そんなおかしな因縁は、存在しないのだから」
ギルドの長としての矜持か、“カサブランカ”のギルドマスターの女は頷いた。やはり優雅に、マリゴールドは笑う。恐ろしいくらい傲慢であるはずなのに、少女の様に可憐で邪気の無い笑顔だった。
「次にミーミルへ戻って来るのが、とっても楽しみなの。うふふ、可愛いマリアベル。小さな魔法使い。早くわたくし達の所まで来て頂戴ね」
グレイの隣で、小さな魔法使いは「にゅっふー。そうだねぇ」と、やっぱり傲慢に、可愛らしく、笑った。