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何とも複雑な気分になる話を聞いても、やっぱり夜になれば眠くなるし、朝になれば迷宮へ向かうことになる。
ハーヴェイはさっそく新しい短剣を下げて出かけ、目敏いマリアベルが楽しそうに「ハーヴェイ、短剣、いつ買ったのー?」とまとわりついている。「そうだねぇ」とはぐらかそうとして、何かすぐにボロを出して失敗しそうだ。もう少し粘れよ、とグレイは思う。
いつもはマリアベルが向かうが、マリアベルがそんな調子なので今日はグレイが迷宮入口のミーミル衛兵に冒険者証明証を見せに行く。聞きなれた声が、ちょっと笑って「お前らはいい加減、顔で大丈夫だよ」と言ってくる。
「……グラッドさん」
グレイが確認するように尋ねると、兜で表情は見えないが、声には多分に親しみを込めてグラッドが答える。
「おー。お前らには、ほんと、助けられたよ。この通り、復活して通常業務だ」
何かうっかり泣きそうになる。良かった。本当に良かった。グラッドが無事で良かったのも勿論だし、グレイや、マリアベルの選択は間違っていなかったと思える意味でも、本当に良かった。
マリアベルにも教えてやろうと振り返ると、マリアベルはハーヴェイにじゃれ付きながら、こっちを向いてチェシャ猫みたいに笑ってちょっと手を振ってきていた。あの不思議な魔法使いは、グラッドの復帰をグレイより早く気付いていたらしい。グラッドも手を振り返してやっている。それから、ちょっと考えるように顎に手を当てて、元冒険者のミーミル衛兵は言った。
「ハーヴェイ、短剣、新調したんだな」
その声は、世間話では有り得ないくらい感慨深げなものがあった。
「あー……はい。新調って、いうか」
グレイが頭を掻いて答えると「言い方が悪かったな。知ってるよ」と前置きをしてからグラッドは言った。
「特注品だ、1点物だ、貯金はたいて買った、って、性格の悪い盗賊に、何度も何度も見せつけられたよ……っと、つまんない話だったな。ほら、マリアベルが待ってるんだから、迷宮、行って来い。あと、無事に帰って来いよ」
何かを振り切るように、グラットに肩を叩かれる。マリアベルは、マリアベルにしては珍しく、急ぐ様子もなく笑っている。何だろうな。とグレイは思う。マリアベルには、グラッドと、マーベリックの話は、していないの、だが。
「……性格の悪い盗賊と、和解とか、出来ないんすか。生きてるのに」
余計なお世話だろうか――ためらいながらグレイが言うと、グラットは兜の下で「どうだろうな」と呟いた。呟いた声は、聞き間違いでなければ、震えていた。
「考えてみるよ。俺は“また”生き残れたし」
今度こそグラッドに強く肩を押されて、グレイはちょっと頭を下げてから、マリアベルの元に戻る。大樹と同じ、鮮やかな緑色の瞳をきらめかせて、マリアベルが笑っている。その隣では、ちょっと首を傾げてローゼリットが立っている。相変わらず、夢の中の生き物のように、ローゼリットは綺麗だ。ハーヴェイは短剣の由来の説明に困ってるみたいな顔をしていて、アランは平常運転程度に目付きが悪い。前髪、切れよ、とかグレイは思わなくもない。ともあれ、全員グレイの大事なパーティの仲間だ。そんなことは、改まって言ったりしないけど。
緑の大樹の幹は余りにも太くて、ごく近くの根元から見上げると茶色い壁のようにしか見えない。かなり上の方に、太い枝が何本も、幾重にも、張り出していて、豊かに葉を茂らせている。頂点がどうなっているかは、まったく分からない。その巨大な樹木の中には、女神たちが造りたもうたと語られる迷宮が広がっている。いつか人類が踏破するかもしれないし、しないかもしれない。グレイのパーティの魔法使いは、踏破するよぉ? と軽やかに笑う。
グレイは荷物を背負いなおして、いつか届くかもしれない高みに向かって歩き出した。届くかは分からないが、歩かなければ届かないことは確実だからだ。
歩き続ければ、いつか見えるかもしれない景色にグレイは思いを馳せる。それは素晴らしく美しい景色のような、気がした。