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だが、アルゼイドはわずかに首を振って、めんどくさそうに戦乙女に応じる。
「困らせているのは、うちの変態だ」
「……それは否定しませんが」
戦士――だろう。赤毛のお姉さんはすたすたと魔法使い2人に近付いていく。
「ハーティア、今度は何を始めたのです?」
尋ねられると、マリアベルを陽に透かして何かを確認するように眺めていた魔法使いは、ようやくマリアベルから視線を外して嬉しそうに微笑んだ。
「ローズマリー、凄いことに気付いた!」
グレイ達より10歳――とは言わないが、5歳以上は軽く年上に見えるが、それなのに小さな子供のように無邪気に笑って魔法使いは言う。
「どうしました?」
戦士のお姉さん――ローズマリーは根気良く尋ねる。ハーティアは、未だにマリアベルを持ち上げたままだ。持ち上げたまま、ローズマリーにもよく見えるように差し出して、満面の笑みで言う。
「――魔法使いだ!」
「…………」
ローズマリーはこめかみに手を当てて黙り込む。頭が痛くて声も出ないといった顔だ。マリアベルは呑気に、にゅー? とか歌うように言っている。グレイは全力で、いやいや、見れば分かるし。黒いし。杖だし。帽子は、駄目になったけど。とか突っ込みたかったが、相手はどう見ても高位のパーティなので口をつぐむ。
「……見りゃあ分かるだろ」
呆れたように、グレイの想いを代弁してくれたのは、聖騎士の男だ。黒い全身鎧を付けていて、兜で顔は下半分しか見えないが、アルゼイドや、ハーティアと同世代だろう。いかにも聖騎士っぽい、そして極上っぽい鎧だ。鉄や鋼ではなさそうな、不思議な素材で出来ているように見える。携える盾も、鎧と同じ素材で出来ていて、表面には銀で、剣と盾の意匠が刻まれている。おそらく聖騎士の特技、『矛盾』でついさっきミノタウロスの頭を叩き割った筈なのに、盾には汚れ1つ、傷1つ付いていない。
聖騎士の男の影からちょっと顔を覗かせて、魔法使いを見ている僧侶のお姉さんは、いっそ悲しそうだ。まぁ、確かにパーティメンバーがこんな変人だったら、悲しくもなるかもしれない。
「……左様ですか」
ローズマリーは、何とか、という感じでそれだけ言うと、手を伸ばしてハーティアからマリアベルをふんだくった。マリアベルを下ろして、ふわふわの金髪にそうっと手を乗せて、「私たちの魔法使いが、ごめんなさいね」と言っている。「悪いことは、されてないよぉ」とマリアベルはのんびり答えた。
魔法使いのハーティアはまったく心折れる様子もなく、満面の笑みで歌うように続けた。
「この子は今では珍しいくらい、本当の、本物の、魔法使いだよ」
言われて、マリアベルはちょっと頭の上に手をやって、帽子を被り直そうとしたらそこに帽子が無いことに気付いて悲しそうに「にゅーん」と唸ってから言った。
「お兄さん、初めまして。あたしねぇ、魔法使いで、マリアベルっていうの」
「ふぅむ。初めまして、マリアベル。僕はギルド“ゾディア”の魔法使いで、ハーティアだよ」
ギルド“ゾディア”。それを聞いて、グレイはちょっと顔を強張らせた。現在冒険者が到達しうる、迷宮の最高層、14階まで探索を進めているミーミルの3大ギルド。その中でも最強と名高いギルドのパーティだ。驚いたのと、感動と、それからまぁちょっと、この人が? 的な残念感と、様々な感情が混ざり合って、グレイ自身にもどう言ったらいいかよく分からない。
マリアベルは、“ゾディア”の名前に驚きもせず、ただただ真っ直ぐにハーティアを見上げて言った。
「ねぇ、ハーティア。あたしは、あたし達は、珍しいのかなぁ?」
マリアベルの問い掛けは、酷く真摯な響きを含んでいた。ハーティアも笑みを消し――それだけで、不思議な容貌と相まって、偉大な魔法使いに見えた――頷いた。
「おそらくね。少なくとも、僕は僕以外で、君くらい本当の、本物の、魔法使いを初めて見た」
「それは本当? あたしは、本当の、本物の、魔法使いかなぁ?」
「僕が見る限りではね。マリアベル」
重ねてハーティアに言われ、マリアベルは「にゅーん」と唸った。いつもの通りの、のんびりしていて変な声。ただ少し、悲しそうだ。
ローズマリーは訳が分からないといった表情で、2人の魔法使いを眺めている。漆黒の獣は、ローズマリーの足元に座って彫像のように微動だにしない。アルゼイドは完全な無表情。聖騎士の男は、兜でほとんど表情が読めない。僧侶のお姉さんは、聖騎士の後ろにすっかり隠れてしまった。
魔法使いの青年は、慰めるみたいに、からかうみたいに、マリアベルの頭に自分の帽子を載せた。案の定、マリアベルにはハーティアの帽子は大きすぎて、顔の上半分くらいが隠れてしまう。
「マリアベル。本当の、本物の、魔法使い。君は何を成し遂げる?」
にゅ、とハーティアの帽子を両手で持ち上げて、顔を出して、マリアベルはハーティアを見上げてはっきりと、いや、いつも通りふにゃふにゃしてるけど断固とした、マリアベルの独特の口調で言った。
「あたしはねぇ、迷宮を、踏破するよぉ」
ミーミル最強と謳われつつも、14階までしか達していない、未だ踏破は成らないパーティの魔法使いに向かって、マリアベルは言いやがった。グレイは頭が痛くなる。マリアベル、お前、宣言するにも、相手が、なぁ!?
ハーティアは笑いもせず、怒りもせず、なるほど、と静かに頷いた。
「僕は、すべての竜を、狩り尽くす――なるほど、可愛い、小さな、マリアベル。僕達の道は異なるようだ。だけれど、また袖振り合う事もあるだろう。どうか元気で」
「ハーティアもねぇ。帽子、ありがとう」
マリアベルはそう言って、乗せられた帽子を両手で持って掲げる。ハーティアがちょっと屈むと、その白髪の上にぽふん、と黒い三角帽子を乗せた。
「どういたしまして。それじゃあ、また」
「またねぇ」
マリアベルはそう言うと、黒いローブの裾を翻してローゼリットの方へ走って行き――かけて、不意に振り返ってローズマリーを見上げて言った。
「そうだ。お姉さん。氷精霊ちゃんに嫌われてるからって、そんな装備じゃ、危ないよぉ」
それは、受け取り様によっては喧嘩を売っているようにも聞こえて、グレイは背筋が寒くなったが、当のローズマリーは、美しい顔にわずかに苦笑をのせて頷くだけだった。
ハーティアもまた、わずかに苦笑してから、ローズマリーに「行こうか」と声を掛けている。
「……魔法使いって」
グレイが呆然と呟くと、初めてアルゼイドは口の端を緩めて笑った。
「お前も、大変だな」




