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グレイも、アランも、ローゼリットも、マリアベルも、それから、1人離れた所で転がっているハーヴェイも、多分、全員呆然としていた。
もう勝てないと思って、諦めそうになった時にハーヴェイがやってくれた。4人を逃がすために特攻してくれて、それでもマリアベルが駄々を捏ねて、そうしたら、まるで精霊たちが愛しい魔法使いの願いを叶えるみたいに、どこかから冒険者が現れて、あっさりとミノタウロスを片付けてしまった。
どこかから、と言うか、3階に続く階段からだろう。
彼らは、3階から下りてきて、そしてグラッドを護ろうとミノタウロスに突っ込んだグレイ達のように、ハーヴェイを護ってミノタウロスに突っ込んだ。大きな違いは、ほんの数分で、ミノタウロスを討ち取ってしまった事か。
「……大丈夫……?」
呆然としていたら、えらく声の小さい僧侶のお姉さんに尋ねられて、グレイは慌てて「はい」と頷いた。ちょっと声が裏返った。うわ。恥ずい。とか思うが、僧侶のお姉さんが優雅に微笑んだから、まぁ、いいか、とか思う。
何せ――何せ、ローゼリットのお陰で美人は見慣れたと思っていたのだが、その3段斜め上を行くような、素晴らしい美人だったのだ。いや、ローゼリットが大人になれば、こんな感じになるのかもしれないけど。
青い瞳は宝石みたいに深い色で透き通っているし、髪は氷を梳いたみたいな、銀のような淡い青のような、不思議な色をして煌めいている。影を落とすくらい長い睫も、髪と同じ氷のような色。唇は紅を塗っているわけでもなさそうなのに、桜桃みたいに真っ赤でつやつやしていた。雪のように、という比喩があるが、まさにそんな感じの白くて滑らかな肌。人間である証しのように、ほんの少し、血の気がある頬は薔薇色だ。
白と青の僧服が、まるでこの人の為に作られたように似合っている。僧侶としての役職が違うのか、単純に冒険者としての財力の違いか、袖や襟や、足首くらいまである長いスカートの裾は、繊細なレースや刺繍で飾られている。その上から、黒いケープを羽織っているが、そちらも、いかにも高価そうな布で仕立てられていて、銀糸で刺繍が施されている。
っていうか、この人が、さっき歌ってたんだよな、とかグレイは思って困惑する。広い広間に響き渡るような歌声、というか詠唱? だったのに、今は、集中しないと聞き取れないくらいちっさな声だ。
優雅に微笑んだお姉さんは立ち上がると、すすすっ、と盗賊も顔負けなくらい音もなく移動して、黒い甲冑に、でかい盾を持った聖騎士の男の影に隠れてしまう。俺、嫌われた――? とか困惑しながらグレイが立ち上がると、背後から「……いつものことだ」と陰気な声が聞こえる。
「う、わわ、はいっ!?」
慌てて振り返ると、もの凄く背が高くて、見慣れない武器を持った青年がグレイを見下ろしていた。黒い筒のような金属の武器。武器、だろう。多分。とにかく見た事の無い武器を、持っている。濃紺の瞳をすぅっ、と細めて、グレイを確認するように眺めて、頷いてから無表情に言う。
「……戦士か」
「は、はい。戦士です。グレイといいます。あ、の……助けてくださって、ありがとうございました」
青年の持っている武器はよく分からないが、しかし、助けてくれたパーティ――というか、ギルドの一員であることには間違いなさそうだった。
先ほどの僧侶の女性も、眼前の青年も、黒い服に銀糸で同じ意匠が刺繍されている。剣と盾。どこかで聞いた気がする。有名ギルド、だったはずだ。それはそうか。低層階にいる者達とはいえ、幾つもの冒険者パーティを全滅させた怪物、ミノタウロスをあっというまに討伐してしまったのだから。
「いや、構わない。俺は銃撃手のアルゼイドだ」
銃撃手、という職業を初めて聞いた。袖の無いコートのような、黒い服を着ていて、手足には部分鎧を付けている。部分鎧も、艶めくような黒で、頑丈そうなのに不思議と軽そうだ。後衛、だろう。多分。視線は、鋭すぎるくらい鋭くて強そうなのに、何処かちょっと眠そうだ。
口調こそ陰気な感じだが、助けてくれたし、助言もくれたし、多分、良い人なんだろう。雑な感じでグレイは見当をつける。
アルゼイドの背後では、ローゼリットとアランがハーヴェイに駆け寄って、何かを話していた。何かというか、割とハーヴェイはローゼリットに怒られている感じで、それでもハーヴェイは幸せそうで、あぁ、助かったんだんなぁ、とかグレイはぼんやり思う。
それから、マリアベル――は、よく分からないことになっていた。
やはり、有名ギルドの一員なのだろう。銀糸で剣と盾の意匠が刺繍のされた、黒いローブを着た青年の横顔が見えた。頭には、黒い三角帽子。いかにも強そうというか立派というか、ごちゃごちゃした装飾のついた木製の杖を携えている。というか、装飾の1つっぽい丸い鉱石が、浮いているような、気がする。
魔法使い、なのだろう。横顔を見る限り、それなりに若そうだが、三角帽子の下に見える髪は老人のように真っ白だ。瞳の色は――よく分からない。青のような、赤のような、黄色のような。グレイが見ている間に、彼の瞳の色は万華鏡のように変わっていく。色ガラスの粒が移動するように、それぞれの色の粒は決して混ざらないが、1色に留まりもしない。彼も結構背が高い。そして、後衛とはいえ冒険者だからか、それなりに鍛えているようだった。ひ弱な感じは全くしない、と、いうか。
彼はマリアベルの両脇の下に手を差し込んで、軽々とマリアベルを持ち上げて、じぃっとマリアベルを見つめていた。マリアベルはマリアベルで、不思議そうに彼を見下ろして身じろぎもしない。グレイには、訳が分からない。
「あの……あれも、いつもの事なんですか?」
途方に暮れかけて、グレイはアルゼイドに尋ねてみた。銃撃手は無表情を小揺るがせもせず、相変わらず陰気で、平坦な声で答えた。
「あれは、ただの変態だ。持ち上げられているのは、お前のパーティのメンバーか」
「は、はい、うちの魔法使いです」
「そうか。災難だったな。必要なら、あの変態を斬っても構わんぞ」
「えぇ……?」
アルゼイドは全くの無表情で、グレイには彼が冗談を言っているのか、本気なのか、まったく分からない。
「アルゼイド、後輩を困らせないでください」
別の意味でグレイが途方に暮れていると、涼やかな声が掛けられた。炎のように鮮やかな赤毛に、氷のように落ち着き払った青い瞳。どこかの制服というか、軍服のようなデザインの黒い服を着ている。
元々の体格と、それから防具らしい防具を付けていないため、後衛のように華奢に見えるが、腰に長剣と短剣を2本下げている。あっさりとミノタウロスの腕を叩き斬る腕前は、先ほどグレイ達が見た通りである。一流――というか、超一流の剣士だろう。彼女の足元では、漆黒の毛皮に銀色の首輪を付けている美しい狼が音も無く付き従っている。神話の中の戦乙女のように、恐ろしく強くて、恐ろしく綺麗なお姉さんだった。