2-27
恐々としながら3階を歩き始める。いつだって、迷宮の歩いた事がない場所を歩くのは息苦しいくらい動悸がする。いつだって、とか思うが、実際は迷宮に入りだしてまだ1カ月位なんだよなぁ、とかハーヴェイは思う。
3階の道幅はかなり一定だ。というか、少し歩いただけでも一定すぎる。2階では顕著に道の幅が変わったし、1階でも2階でも、時々小部屋のような、道が極端に太くなっている場所があったのだが、3階には全くない。茸が目印になるかと思ったが、妙にケバケバしい色の茸は冒険者の期待を嘲笑うみたいに、等間隔に迷宮の木々から生えている。
「……これは、逆に、迷いそう?」
十字路に行きついて、ハーヴェイは前方と左右を見回して、やっぱり同じような道がひたすら続いているのを確認してから戻って、4人に尋ねるともなしに言うと、マリアベルがにゅぅん、と声を上げた。
「そうかもねぇ。同じような道ばっかりだねぇ」
困ったように、でもやっぱり、どこかほにゃっとした顔でマリアベルは言う。
マリアベルは魔法使いだし、法令を熟知していたり、結構賢いのだと思うが、そんな感じが全然しなくて可愛い。女の子っぽい可愛さと言うより、不思議な生き物っぽい可愛さがある。口癖のせいかもしれないが、とにかく、マリアベルがほにゃっとしてると落ち着く。
「……まぁ、どんな道でも、俺は無理だけどな」
じゃっかん、方向音痴の気があるグレイは言い切り、ローゼリットがくすりと笑った。
「いや、言い切るな……よ?」
アランが呆れたように言いかけて、ふと傍らの藪に目をやった。ハーヴェイ達も釣られるようにそちらを見る。何かいる?
「……敵です! マリアベルは下がって詠唱を!」
ローゼリットが声を上げたのをきっかけにして、ですよね、というか、やっぱり? みたいな気分で全員、武器を構える。
藪から飛び出してきたのは、そんな気はしていたが、茸だった。傘は半球型で、真っ黒だ。で、絵具で描いたみたいに鮮やかなピンクの斑模様をしている。ハーヴェイの腰くらいまでの大きさだ。それが3匹? 3体? 呼び方は分からないし、そもそも何で動くのかも分からないが、柄をしならせて、弾みながら襲いかかって来る。
ハーヴェイの目の前で、茸が一際高く跳ねると、柄の真ん中辺りに裂け目が現れた。裂け目のなかには、凶悪な感じの牙が見える。
「う、わわっ!?」
慌てて避ける。牙って、とか思っていると、駆け寄ってきたグレイが長剣を振り下ろした。『激怒の刃』。茸の傘に、斜め上から綺麗に入って、「やった……!」とハーヴェイが歓声を上げかけると、グレイは、なんか違うな? みたいなちょっと変な顔をした。
グレイは感触で気付いたのだろう。斬られた茸は横回転しながら転がって、ハーヴェイ達から数歩分離れた所で、何事も無かったかのように起き上がった。
「嘘っ!?」
ハーヴェイは信じられない気分で声を上げる。グレイに斬られた筈の傘も、ちょっと凹んでいたが、また弾んで近寄って来る間にだんだんと膨らんで、元の形状に戻ってしまった。
「何だこれ!」
アランも腹立たしそうに声を上げる。珍しく2体を相手にしながら、長剣を振り回している。当たっているのだが、茸はちょっと凹んで、転がって、そしてすぐに起き上がっている。
「アラン、一旦下がってください! マリアベルの詠唱が終わります!」
ローゼリットが、マリアベルの方に近寄ってきた茸を錫杖で打って、アランが転がした茸の方へ押しやる。アランが言われた通りに下がるのを見ると、マリアベルが杖を掲げて叫んだ。
「Ärger von roten wird gefunden!」
修業の成果か、茸にはこちらの方が効きそうだからか、得意の『雷撃』ではなく『火炎球』を使った。茸2匹を巻き込んで、炎の塊が弾ける。
マリアベルの判断は、大正解だった。一体何がどうしてこうなるのか、面白いくらいに茸2匹は一気に燃え上がり、あっという間に炭っぽくなった。
「にゅ、にゅうん……?」
やったマリアベルもびっくりした顔をしている。はぁぁ、効いたねぇ、とかハーヴェイは言いかけた所で、ローゼリットが「まだ1匹います!」と残りの茸を指して言う。
仲間が炭になったのに、残る1匹の茸はめげずにグレイに噛みつこうとして弾んでいる。
茸だろうが、蝶だろうが兎だろうが、正面から斬りつけて勝てる気はあんまりしないので、ハーヴェイは茸の背後に回る。卑怯だし、情けないよなぁ、とかハーヴェイ自身思わなくもないが、出来ないものは出来ないし、怖いものは怖いし。それでもやっぱり迷宮へ、ローゼリット達と入りたいから、ハーヴェイは敵の背後を狙う。
茸は弾んで、グレイに噛みつきかけて、盾で防がれて、ぽんっ、とハーヴェイの方へ背中? を向けながら下がって来る。
傘への剣戟は効かない。らしい。なら、柄は? と思って、少し下を狙う。
すっ……と、あっさり短剣の刃は茸の柄に入り込んだ。時々感じられる、うん、これは死んだな、という確信。ハーヴェイの確信通り、茸はそれきり動かなくなる。
短剣を引き抜いて、蹴っ飛ばして茸を地面に転がして、それでも一応、グレイとハーヴェイは武器を構えたままで茸を見つめる。やっぱり動かない。ローゼリットが茸に向けて、錫杖を掲げて額に当てる。小さく何かを呟いてから、「……問題なさそうですね」と言った。
「キノコ、動いたねー」
にゅ、とアランの背後に隠れていたマリアベルが、顔を出して言う。ぽてぽてと足音を立てて、茸に近づいて行く。人間の子供くらいの大きさのある茸は、倒れていてもけっこう変な迫力があるのだが、マリアベルは恐れる様子も無く魔法使いの杖の先っぽの赤い鉱石で茸の傘を突っついている。
「何か、持って帰れるかなぁ?」
突っついて、茸の傘の不思議な感触を確かめて満足したらしいマリアベルは、首を傾げて言った。
「どうだろうなー。でかいしな。あ、牙とかあったけど」
「本当? ……ん、しょっ、と」
グレイに言われると、マリアベルは茸をひっくり返した。茸は、くわっ! と牙を剥いたまま事切れていて、植物? 菌類? には似つかわしくない位、尖った白い牙が見えた。
「にゅーん。牙だねぇ」
そう言って、素手で牙に手を伸ばそうとしたので、流石に慌てたみたいにグレイが止めた。
「おま、素手で触るなって」
「にゅ?」
「俺が取るから」
「にゅー、そっかぁ。お願いねぇ」
マリアベルはちょっと残念そうに手をわきわきさせながら、それでも大人しくグレイに回収を任せた。
グレイが皮手袋にくるまれた手で、一際太そうな茸の牙を引っぱる。あっさり抜けた。
「……なんか、石っぽい?」
グレイに言われて、ハーヴェイとマリアベルもまじまじと牙を見つめる。
「確かに、石っぽい、かな?」
「そうだねぇ。白いし、つやつやしてるし、石っぽいねぇ」
「その辺の石拾って、牙にしたのかな?」
「まさか。キノコが石で武装するって」
グレイはハーヴェイの言葉に、笑って言いかけて――上手くいかなかったようだった。たぶん、武装した、2足歩行の牛とかを思い出してしまったのだろう、とハーヴェイは見当をつける。マリアベルは、気遣うみたいに、チェシャ猫みたいに笑って「5万年くらいしたら、茸も歌って、踊るようになるかもねぇ」と言った。
「何、話してんだ?」
茸に噛みつかれた所を、ローゼリットに治してもらい終わったらしいアランが尋ねて来る。マリアベルが歌うように、「キノコが、5万年くらいしたら、歌って、踊るようになるかもねって、話だよぉ」と答えると、案の定、わけが分からなかったようで顔をしかめる。が、深く突っ込むのをやめたのか、「気の長い話だな」と言って話を切り上げた。