06
遠くから見た限りでは森のようであったが、実際に根元まで歩いてくると、なるほど、緑の大樹は確かに1本の大樹だった――実物を見ても、なお、信じがたいほどに巨大ではあったが。
「ほぉー……」
誰が漏らした声であったか。もしかしたら全員だったかもしれない。
呆けていると、他の冒険者パーティが嫌な感じではなく笑って「頑張れよ、新米」と声を掛けながら、グレイ達の横を通り過ぎていく。彼らもかつては、同じことをしたのだろう。
気を取り直して、緑の大樹の迷宮の入り口を見る。昨日、冒険者登録所の責任者に言われた通り、ミーミル衛兵の装備をした男が4、5人立っていた。冒険者たちは、彼らに証明証を見せるか、見せないかして緑の大樹の迷宮に続々と入っていく。
「あたしたちも行こう!」
気合いを入れたのか、上を向いて呆けていたらずれたのか、魔法使いの帽子を被り直してマリアベルが言った。おう、とか、ええ、とか、うん、とか返事をして、まずはミーミル衛兵たちに声を掛ける。
「おはようございます! 冒険者です! 新米です! 緑の大樹入ります!」
証明証を見せながら、矢継ぎ早にマリアベルが言うと、兜の下でミーミル衛兵が笑った。
「元気だなー。お嬢ちゃん」
「マリアベルです!」
「そうかい、マリアベル。他のメンバーも、全員新米か?」
「はいっ!」
元気にマリアベルが頷くと、ミーミル衛兵は別の衛兵に声を掛けた。
「だそうだ。久しぶりだが、グラッド、サリオン、仕事して来い」
「「はっ!」」
グラッド、サリオン、と呼ばれた衛兵は敬礼して応じた。おそらく、グラッドの方はまだ若い。サリオンはそれなりに熟練のようだ。
「なんの話ですか?」
彼らのやり取りが分からず、ハーヴェイが尋ねる。はじめにマリアベルが声を掛けたミーミル衛兵が言った。
「いいか、新米。緑の大樹の迷宮は広いんだ」
「……はぁ、そりゃ、まぁ、見た感じ、そうですよね?」
格好良く言われて、ハーヴェイは首を傾げる。
「いや、お前たちみたいな新米は分かっていない。そして冒険者なんぞ、勇猛果敢な阿呆だと相場が決まっている。よく分からんまま突っ込んで、帰り道を失って干からびて死ぬのが目に見えているわけだ」
「干からび……」
ローゼリットが困惑したように呟いた。
「そこで、だ。新米だけのパーティが緑の大樹に挑む時には、まず初めに衛兵と緑の大樹の内部を歩く。ある地点からは、俺たち衛兵は口を挟まないから、自力でこの入り口まで戻ってくる。そこでめでたく、お前たち新米パーティは自由に緑の大樹の内部を歩き回れるようになる、って決まりだ」
「……ラタトクス細則、38則?」
自信が無かったのか、最後に疑問符をつけながら、マリアベルが尋ねる。衛兵の方は驚いたようだった。
「お嬢ちゃん……いや、マリアベル、なるほど、魔法使いか。よくよく読み込んでいるな」
「っていうほどでもないんですけど。んと、“経験者不在のパーティには、第1則の前提として、冒険者としての市民登録の他に、ミーミル衛兵による承認を必要とする”、ですよね」
第1則とは、“冒険者が緑の大樹の迷宮に立ち入る権利を与える”といった意味合いの物である。衛兵は頷いた。
「その通り。で、これが“ミーミル衛兵による承認”ってヤツだ」
「うーにゅ。てっきり証明証を見せるだけかと……」
変な声を漏らして、マリアベルはグレイ達を振り返った。まぁ、仕方がないし、拒む理由もない。グレイとアランが頷くと、「それじゃあ」と、マリアベルは衛兵たちに言った。
「記録者は誰にする? マリアベル? それとも僧侶のお嬢ちゃんか、他の誰かか?」
言いながら、衛兵は羊皮紙の冊子を取り出した。マリアベルとローゼリットは顔を見合わせて、マリアベルが小さく「うぬぅ……」と呻くと色々察したのか、ローゼリットが手を挙げた。
「私が」
「みたいだな」
ミーミル衛兵は笑いながら、ローゼリットに羊皮紙の冊子と、ペンを差し出した。
「ミーミル政府から、最初で最後の無料の贈り物だ。自由に使うと良い」
「ありがとうございます」
生真面目にローゼリットは返事をして、受け取った。自由に、とはいえ、冒険者には緑の大樹内部の地形や動植物の報告義務が課せられている。使用用途は推して知るべしというやつだろう。ローゼリットは、肩から掛けている皮の鞄に、丁寧に仕舞い込んだ。
「よし、それじゃ、今度こそ行って来い。グラッド、お前が先頭だ。サリオンは後ろに付け。地点はいつもの通り」
大人しく5人で、グラッド、呼ばれた衛兵に着いて行く。迷宮の入り口、と言っても、ぱっと見は木の裂け目のようで、大人2人が並んで通れるかどうか、といった感じの細い隙間だ。そう言えば、緑の大樹の中なのだから、迷宮は暗いのだろうか、と今さらグレイは思う。
ミーミル衛兵に連れられているとはいえ、緑の大樹の迷宮に足を踏み入れた時にはやはり、興奮した。入るだけで、空気が違う。光の色が違う。
樹木の裂け目から、確かに緑の大樹の内部に入ったはずなのに、不思議と地面には下草が生え、広いスペースがあり、壁のようにまた木が生えている。迷宮――とは言ったもので、どこか人工物のようだ。女神たちが造った、というのも信じてしまいそうになる。道があり、小部屋が出来ている。上を見上げると、木々の間から日の光が見える。辺りは決して暗くない。奇怪なのだが、それ以上に美しい森だ。
グラッド、と呼ばれた衛兵は若いようだったが、しかし、こういった新米冒険者の様子には慣れたものなのだろう。歩き出すでもなく、待っていてくれた。
「すっ……ごい!!」
歓声を上げて、マリアベルが走り出しそうになったので、慌ててグレイはマリアベルの長衣を掴む。が、するりと抜けて、マリアベルはくるりと回って弾んでみせた。
「すごい! 緑の大樹! 迷宮! 明るいよ! 木の中なのに木が生えてる! なんで何で!?」
「落ち着けって」
弾みながら言うマリアベルを落ち着かせるつもりで言ったが、しかし、グレイの声も上擦っていた。
「ふっしぎ、だねー」
呆然と、ハーヴェイも呟いた。アランは声も出ない様子で、ローゼリットは錫杖を額に当てて、小さく何か囁いていた。祈りの言葉だろうか。
「よし、よし行こう! もう、ほんとに! グラッドさーん、サリオンさん、お待たせしましたー!」
しばらく弾んで満足したのか、満面の笑顔でマリアベルは言った。可愛らしい少女に言われて悪い気はしないのだろう、衛兵たちも機嫌良さそうに歩き出した。衛兵たちは、鎧に大きな鈴を下げていて、歩くたびにガランゴロンと、低い不思議な音がする。
目につく限りでは、道は、3、4人が並んで歩ける程度の幅がある。先頭に、グラッド。それからアラン、グレイがまず先に立ち、半歩遅れてハーヴェイ、その後ろにマリアベルとローゼリット。最後に、サリオンが付いた。
歩きながら、ふと思いついたようにローゼリットが羊皮紙を取り出しかけたが、サリオンが止めた。細則には記載されていないが――衛兵がいなくなってから、が、現地ルールらしい。現地ルールとわざわざ言ったのは、マリアベルの為だろう。細則で決まっていると言ってしまえば手っとり早いだろうが、どうもそこまでは細則に記載されていないらしい。ローゼリットは特に逆らわずに頷いて、鞄から手を放した。
それなりの数のパーティが緑の大樹に入ったはずだが、不思議と辺りに他の冒険者は見当たらない。おそらく、今歩いているのは初心者用の道なのだろう。入り口付近の地形は、とっくの昔に調べ尽くされているだろうから、今更探索する冒険者もいないのだろう。
小一時間ほど歩いただろうか。グレイはもちろん、マリアベルでさえ、入り口の方角がどちらであったか自信が無くなってくる頃、一際大きな木の前で、グラッドは振り返った。
木によって行き止まりになったような場所で、ひとまずは、戻るしか出来なさそうな場所だ。
「気付いているだろうが、ここが到着地点で、出発地点だ。ミーミル衛兵はただ“地点”と言うけれど」
グラッドはそう言いながら、鎧から鈴を外して、布でくるんでいる。サリオンも同様だ。鈴を2人とも背嚢にしまうと、サリオンの方が、後方を示して芝居がかった口調で言った。
「さぁ、冒険者。君たちの冒険を始めるがいい」
おぉ……と、全員でため息のような声を揃って漏らして、グレイとアランは顔を見合わせた。
「って言っても、まずは戻るしかないよね」
後ろから口を挟んだのはハーヴェイだ。お前な、とかアランはぼやいたが、それ以外は特に異論もなくグレイとアランが踵を返した。
「とりあえず、この道戻って左だよな」
「右だよ……」「右です……」
歩きながらグレイが言うと、女性陣2人が不安そうに声を合わせて言った。
「……右な」
グレイが言い直して、アランと並んで歩き出した。