2-25
しばらく探索を進めるが、やはり3階へ進めそうな階段は見つからない。道の幅が一際広くなっていて、見通しが良い場所で昼の休憩にすることにする。
車座になって座り、各々食べたり飲んだりしながら、階段は見つからないけれど、まぁ2階の探索を進められそうだし、いいんじゃない? みたいな空気になる。いや、なりかけた。
何の前触れもなく、どころか、ちょうど齧ったパンを咥えたままハーヴェイが立ち上がって辺りを見回す。何だよ、とかアランやグレイが茶化す隙もない。ぞっとするほど真剣な顔だ。
「ちょ、おい、まさか……」
グレイが言う間に、マリアベルとローゼリットは荷物を抱え直して立ち上がっている。アランとグレイも慌ててそれに倣う。
ようやく思い出したようにパンを噛み切って飲みこんで、顔を青褪めさせたハーヴェイが前方を指して言う。
「や、これ、まずい。怖い。絶対無理だ……に、逃げよう!」
ハーヴェイは近くにいたマリアベルの背中を押して駆け出しそうになるが、にゅうっ、とマリアベルは唸って眉を寄せて、前方を指差して言った。
「で、でもこっち、まだ行ったことないよ? 行き止まりだったら、どうしよう?」
「あ、そ、そっか……」
マリアベルの背中に手を置いたまま、困ったようにハーヴェイが言って辺りを見回す。
つうか、え、居るの、居ちゃうの――ミノタウロス。とかグレイは思うが、その名前を口に出せない。妙に口の中が乾いていて、気のせいじゃない? とか気休めを言いたいのに、とても言えない。
「……それでも、これだけ見通しの良い場所に5人で立っているよりは、移動した方が良いと思います。行きましょう」
ハーヴェイの緊張がうつったのか、わずかに顔を青褪めさせたローゼリットが言って歩き出す。「……だ、だよな」と、ようやく声が出たのでグレイも言って歩き出す。
というか、ローゼリットに先頭を歩かせるわけにはいかないので、慌てて追い抜く。追い抜いてから、あれ、でも後ろからミノタウロスが来てるなら、俺、後ろの方がいいかな、とか思って振り返ると、ちょうどローゼリットと目が合った。
「俺、後ろに居た方が良いかな?」
尋ねると、ローゼリットは即座に首を振った。
「後ろには、アランがいますから。グレイとハーヴェイで、前をお願いできますか?」
「ん、分かった」
迷いない感じでローゼリットに言われると、少し落ち着く。相変わらずグレイの心臓はバクバクいっているが、ちょっと周りを見回す余裕が生まれた。
いつの間にかグレイに並んだハーヴェイは、後ろを気にしながら早足で歩いている。動揺しているようだけれど、足音はまったくしない。流石だ。見通しの良い太い道が続き、時々左右に枝分かれするように、細い道がある。細い道がある度に、ハーヴェイはちょっと先行して、そちらを覗き込んで、戻ってくる。
グレイの2、3歩後ろを歩くマリアベルは、マリアベルにしてはかなり不安そうな顔をして、ハーヴェイが先行している間、落ち着かないのかその場で弾んでいる。何で弾んでるのかは、グレイには良く分からない。別に、マリアベルがちょっと弾んだくらいでは、大した音もしないからどうでも良いのだが。
最後尾を歩くアランは、ほとんど後方を見ながら歩いているような様子で、転ぶなよ、とかグレイは余計な心配をしてしまう。
4本目の細い道をハーヴェイが見に行った所で、「そうでした」とローゼリットが小さく呟く。ハーヴェイが戻って来て、「行こうか」と言いかけたところで逆に手招きをする。
「あの、『加護』を、使っても良いですか?」
今回ローゼリットが教会で覚えてきた魔法は、使用すると、一定時間、冒険者の筋力や体力を向上させてくれるらしい。万が一に備えて、という事だろう。後方を見ても、今のところ、何も見えない。少し祝詞を唱えて、魔法を使うくらいなら問題なさそうだ。
「つうかロゼ、もっと早く思い出せよ」
「う……」
アランが呆れたようにちょっと笑って言うと、ローゼリットは声を詰まらせた。悔しそうだ。「ローゼリットをいじめちゃ、だめよぉ」とマリアベルが頬を膨らませて言う。「まぁまぁ」とハーヴェイがとりなすようにアランとマリアベルの間に入る。全員、まだちょっと顔が引きつっていたが、じゃっかん場が和む。
「そうだよな、ローゼリット、頼む」
グレイが言うと、ローゼリットは頷いて詠唱を始める。魔法使いの呪文は全然意味が分からないが、僧侶の祝詞は聖書の一部のようだ。細かい事はグレイには分からないが、何となく、ありがたい気がする。聖女のような外見のローゼリットが唱えているからありがたく感じる、という俗っぽい可能性も否めないが。
「我らが父よ、愛し子に憐れみと祝福をお与えください」
ローゼリットが魔法をかけた。5人の左手の甲に、星と、それを二枝で護るトネリコの意匠が浮かび上がり、身体が軽くなる。
グレイやアランやハーヴェイは防具が光っているのでそれほど違和感はないが、マリアベルは自分の手の甲が発光しているのを面白そうに眺めている。
「にゅふあー、すごいねぇ、荷物軽くなった」
マリアベルが嬉しそうに、とはいえ小声で言うと、ほっとしたようにローゼリットは微笑んだ。
「だいたい、1時間程度効果は続くそうです。私も気を付けますが、手の甲の光が消えていたら教えてください。『加護』を掛け直しますから」
ローゼリットと会うまで、あまり僧侶の魔法に縁が無かったマリアベルとグレイは、凄いねぇ、とか、凄いなー、とか言い合ってから、また歩き出す。歩き出すというか、逃走を続けるというか、まぁ、そんな感じだ。
今のところ、グレイの見える範囲には何もいない。青虫や南瓜や――それから、ミノタウロスも。
ハーヴェイを疑う訳ではないが、移動を始めた当初よりは、何とか大丈夫そうじゃない? という気分になって来る。『加護』の魔法で、身体だけではなく精神も護られているのかもしれない。
とはいえ、普段よりも早足で進む。ローゼリットは、羊皮紙の冊子に一応記録を取っているようだが、きちんと書いている地図とは別の頁に、かなり簡単な走り書きを残しているだけだ。
ついに太い道が行き止まりになる。もしも左右に道が無かったら、戻るんだよな――と思ってグレイは後方を振り返る。女神の悪戯のように、馬鹿みたいに真っすぐの道が続いている。さっき昼休憩した場所が見える。それから――
「……おいおいおいおい」「階段、あったよ!」
グレイが呻くのと、ハーヴェイが歓声を上げたのはほぼ同じタイミングだった。そばにいたマリアベルは、どっちを見ようか一瞬悩んで、それからグレイが見つけた者を見た。
「にゅっ……!?」
相当距離があるはずなのに、でかい、のが分かる。なるほど、牛のように茶色い肌をしている。肌なのか、毛皮なのかは、この距離では良く分からない。丁度、横道から現れたところで、横顔が見える。人間のように二足歩行をしているくせに、横顔が長い。まるで、馬とか、牛みたいに。手には、柄の長い斧みたいな武器を持っている。一目で分かった。こいつだ。こいつがミノタウロスだ。
「にっ……逃げるぞ!」